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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


「幸福のデザイン」 [2009年11月26日(Thu)]
西研/菅野仁『社会学にできること』(ちくまプリマー新書、2009年)に出てくる言葉です。

2人とも、私よりは数歳年下ですが、学生時代にある程度マルクス主義の洗礼を受けつつ、その無効化のなかで、ポストモダンや実証的精緻化の動向に違和感を持ちながら社会科学のあり方を考えてきたという点で共通の志向性を感じました。

竹田青嗣さん、橋爪大三郎さん、内田義彦さん、見田宗介さんなど、意識している人たちも共通でした。

彼らの同時代の社会学(社会科学)への違和感は次のようなものです。

社会学が背後にまわる思想だという感じがハッキリと出てきたのは、八〇年代に入って、実存の解放と社会の変革がつながっているという信憑が壊れ、そもそもの社会変革の可能性も信じられなくなってきてからだと思うのです。

ふつうの人の日常性の意識があるとして、その裏側にまわって、こういう構造によってそれは可能になっているんだと指摘する。そういうやり方はマルクスの『資本論』にもありますが、しかしマルクスの場合には、社会の根本問題をつかみ、それを共有して変革の可能性をもたらそうという目標があるので、別に嫌らしくはないんですね。

しかし変革の夢もビジョンもなくなってきたとき、「裏にまわる」ということは、ただふつうの人たちから「優位」にたつこと、自分だけは正義だとおもいこめること、ということしか意味しなくなってくる。

そこには普遍性――多くの人びとをホンキで説得しうるだけの強度――がない。なるべくフェアに社会と人間を見ようとするのではなくて、「この社会はこうだからよくない」という独断的なイメージが大前提としてあって、それを傍証するような形であれこれの説明や理論が存在するというふうになりやすい。


2人の結論は次の二点です。
@社会学は、一人ひとりの「幸福のデザイン」に役立つ。
A社会学は、「社会への配慮の知的技術」として役立つ。


こういう社会学(社会科学)を作りたい、ということでしょう。深く共感します。
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