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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


福沢諭吉の二大政党論 [2009年11月25日(Wed)]
今回の政権交代についての論評を見ていると、中堅の研究者の評価はそれほど高くなく、注文の方が多い感じですが、長老の政治学者は政権交代の歴史的な意味をより重く捉えているようです。私は年齢的には長老ではないつもりですが・・・。

そのなかでも、篠原一「政治システムの転換と歴史的展望」、坂野潤治「『大正デモクラシー』と『平成デモクラシー』―小さな福祉国家を求めて」(ともに『世界』臨時増刊、所収)が味わい深い論文でした。

坂野さんが、吉野作造の民本主義が@一般民衆の為(格差の是正)、A憲政の常道(普通選挙制と二大政党制)の二本柱であったことを紹介し、それを民主党の「生活第一」と「政権交代」に対応させているのは、日本政治史の研究者の面目躍如という感じです。(前掲論文)

坂野さんの全体的主張は、『日本憲政史』(東京大学出版会、2008年)に集大成されています。明治初期にすでに福沢諭吉がイギリス型の二大政党制を主張しており、それを大正時代に吉野作造が継承したというものです。

その流れの中で、1916年に衆議院の過半数を取った憲政会の総裁・加藤高明が「憲政の常道」(多数党に政権を渡せ)を主張し、1924年総選挙で勝って護憲三派内閣ができたことで、「憲政の常道」が初めてスタートした。8月30日に起こったことはそのことの(戦争、敗戦、自民党一党支配などを挟んだ)再現だというのが坂野さんの歴史的位置付けです。

「もう疲れた、少し休もう。」と題した論文の結びの一節を紹介しておきます。

本稿の結論は「経済大国」も「民主主義」も、そろそろ「化」の字を落としてもいいのではないか、という一語につきる。もう無理な「成長」もいらないし、「民主化」もいらない。我々日本国民は、「化」ではなくて、その成果を享受してもいい時に来ているのではないか。

「国家」や「社会」に「目標」などは要らない時代になってきているのではないか。「富国強兵」で「成長」を鼓舞して「公議輿論」で「民主化」につとめてきた150年の歴史に一つの終止符を打つべき時ではなかろうか。


今回の政権交代の歴史的意味を最も長いスパンで指摘した味わい深い一節だと思います。

最後に、坂野さんが紹介した福沢諭吉の二大政党論『民情一新』(1879年)の要点を抜粋しておきます。私自身、「政権交代のある民主主義」を主張し始めた93、4年の頃にはまったく知らなかったものです。私も民間政治臨調も福沢諭吉の手のひらで踊っていたということでしょうか。

●英国に政治の党派二流あり。一を守旧と云い一を改新と称し、常に相対峙して相容れざるが如くなれども、守旧必ずしも頑陋ならず、改新必ずしも粗暴ならず、唯古来の遺風に由て人民中自から所見の異なる者ありて双方に分るるのみ。此人民の中より人物を選挙して国事を議す、之を国会と云ふ。

●故に国会は両派政党の名代人を会するの場所にして、一事一議大抵皆所見を異にして、之を決するには多数を以てす。内閣の諸大臣も固より此両派のいずれにか属するは無論、殊に執権の太政大臣たる者は必ず一派の首領なるが故に、此の党派の議論に権を得れば、其首領は乃ち政府の全権を握て党派の人物も皆随て貴要の地位を占め、国会多数の人と共に国事を議決して之を施行するに妨げあることなし。且政府に地位を占ると雖も国会議員の籍を脱するに非ざるが故に、政府に在ては官員たり、国会に在ては議員たり、恰も行政と議政とを兼るの姿なれば、自から勢力も盛にして事を為すに易し。

●されども歳月を経るに従ひ人気の方向を改め、政府党の論に左たんする者減少して一方の党派に権力を増し、其議事常に多数なれば則ち之を全国人心の赴く所と認め、政府改革の投票(ウヲート・ヲフ・ケレジート)を以て執権以下皆政府の職を去て他の党派に譲り、退て尋常の議員たること旧のごとし。但し政府の位を去ればとて其言路を塞ぐに非ず、前の執権は即ち今の国会中一党派の首領にして、国事に心を用ひて之を談論するは在職の時に異ならず。唯全権を以て施行するを得ざるのみ。

●且又両党相分れて守旧と改新と其名を異にし、名義のみに就いて見れば水火相敵するが如くして、其相互に政権を握るに随て全国の機関忽ち一変す可きやに思はるれども、事実に於ては決して然らず。前に云へる如く、守旧必ずしも頑陋ならず、改新必ずしも粗暴ならず、等しく是れ英国文明中の人民にして全体の方向を異にするに非ず、其相互に背馳して争ふ所の点は些細のみ。

●右の如く政府の改革諸大臣の新陳代謝は全く国会の論勢に任して、一進一退其持続する時限五年以上なる者は甚だ稀にして、平均三、四年に過ぎず。不平も三、四年なり、得意も三、四年なり。
(坂野潤治『近代日本の国家構想』岩波書店、1996年、106−107ページ)
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