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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


『政権交代とは何だったのか』 [2012年02月02日(Thu)]
山口二郎『政権交代とは何だったのか』岩波新書、2012年。

政権交代とその後の民主党政権について、山口さんがその意義と限界を論じた本で、いつものように目配りの良い好著だと思います。

おそらく、当初の彼の期待は大きく裏切られたはずですが、あえて意義や肯定面をも指摘して今後への見通しにつなげようと努力しているようです。

山口さんは『政治改革』(1992年)で選挙制度改革の口火を切ったわけですが、よく誤解されているのとは違って、一貫して小選挙区制論者ではなく比例代表制論者です(97年の新労働党の勝利を現地でみてから小選挙区制にやや容認的になったようですが)。しかし、この本では、再度の選挙制度改革や政界再編には慎重な立場を示しているのが注目されます。

しかし、それとはやや矛盾するわけですが、小選挙区制やマニフェストが想定する事前選択型モデルには否定的で、選挙後の政党間の協議を重視する立場は堅持されているようです。

私自身は、これだけ無原則な日本の政党を考えると、比例代表制のもとでは、選挙の時だけもっともらしい理念を掲げておいて、選挙後は好き放題にポスト目当ての政界再編や連立政権づくりに狂奔することが目に見えるだけに、とても賛成できません。

小選挙区制ならば、選挙前に第一党になれる勢力を形成して臨むしかないし、その際にマニフェストを掲げればその後の変節にも一定の歯止めがかかる可能性があります。

山口さんはまた、政治改革、小選選挙区制導入を主導した民間政治論調、21世紀臨調の政治学者たち(佐々木毅さんなど)を指して臨調型政治学と名付け、その意義と限界を指摘しています。私もその端くれなので興味深く読みました。

こうした政治論は細川政権の誕生と、選挙制度改革に大きく寄与した。この時期は戦後政治学の中でも、政治学が現実の制度変革や政党・政治家の行動に最も大きな影響を与えた時期といえる。(177ページ)

他方で、民主党政権が、民主党の政党としての未熟(共有された理念の欠如、党内決定ルールの不備など)によって失敗したことについて、臨調型政治学が「統治形式への関心の偏重」(181ページ)という問題を持っていたことに責任があると批判しています。

私から言えば、これは的外れで、民主党がこのような政党にしかなりえていない最大の原因は、山口さんが関与した社会党の自己改革が挫折し、私がささやかながら提言した共産党の自己改革が試みさえされなかった結果、戦後革新勢力が小選挙区制のもとでの二大政党にほとんどまともな遺産を継承できなかったことにあります。

それでも、政権交代(正確には政権交代のある民主主義というシステム)という戦略的目標を達成するためには自民党と並ぶもう一つの政党を寄せ集めで急造するしかなかったのです。そうした文脈から言えば、ともかくも96年創立の旧民主党が小選挙区制すら理解できず、与党と野党の間をふらつくゆ党などと皮肉られる状況からここまで成長したこと自体が奇跡に近いことです。(最終的には、小沢一郎氏の力があってはじめて政権交代を実現できたわけですが)

こうした角度から考えれば、民主党がこのような政党であることはかなりの程度やむを得ないことですし、それでも政権交代のある民主主義へと移行したことの意義ははかり知れません(国民にはいかに実感しにくかろうとも)。

山口さんは、理念や政策内容を擁護したり批判したりする政治学者が少なかったと嘆いていますが、そして、私自身も、山口さんが新自由主義を全面批判するのに対して、新自由主義を踏まえた第三の道を主張する点でことなった立場で議論を行ってきた立場から同感しますが、民主党に共有される理念が欠如していることの責任が政治学者にあるとは思えません。

急造の政党とはいえ、理念や決定ルールを形成しようとする政治家があまりに少なかったという民主党自体の責任が何よりも重いはずです。

(しかし、イタリアで、共産党が左翼民主党へと内部討論を経て転換した経過を現地で見て、一流の左翼政党というもののイメージを深く印象付けられたために、かえって、日本の戦後史のなかで民主党がこのようにしかなりえなかったことには寛容になってしまいます。『大転換』、『イタリア共産党を変えた男』などを参照)

私自身も、民主党に深く失望させられた体験がいくつかありますが、しかし、それでもなお、せめて二大政党の1つとして政権交代の主役にさえなってくれればいいという立場で見てきました。何しろ、小選挙区制のもとで政権交代を実現するための戦略的発想自体が欠如しているという状態が続いていましたから。

それにしても、民主党政治家たちが、自分の権力欲ばかりを追求し、自民党政治家たちほどの政党意識すらもてない人たちだという点には深い失望を禁じえません。国民が、不安を抑えてもあえて民主党に政権を託したことの意味を受け止めえず、舞い上がってしまったというしかありません。

しかし、これが日本政治の現実であり、何よりも「政党」というものの水準を成熟させていくという方向にしか展望はありません。こうした惨憺たる現実に関与するのは辛抱のいることですから、今後も大部分の政治学者たちは関与しないままだとは思いますが、山口さんや佐々木さんたちが貴重な先例を作った現実関与型の政治学者が少しは増えることを期待します。

(追記)

あるブログ経由で見に来る人が多いようなので、一言付言しておきます。そのブログの筆者は、現実関与に不可避的に伴う他人の判断ミスをあげつらうのが好きなようですが、そうしたリスクも含めての現実関与だということは理解不能なのでしょう。(私自身は、ミスを認識するたびに自分で公表して修正するようにしています。山口さんもそうです。)

しかも、民主党への政権交代よりも麻生政権が続いていた方がよかったなどという、政治音痴丸出しの時流に掉さすだけの評価を偉そうに述べています。

現実政治の評価は時とともに変わりうるし、価値観や立場によっても変わります。そうした謙虚な感覚がないからこそ他人に「ネオリベ左翼」などというレッテルを貼って批判したつもりになれるのでしょう。

ましてや、混沌とした状況の真っただ中で立場を鮮明にしてコミットするリスクなど負う勇気はかけらもないのでしょう。古臭い左翼の教条や信条だけで評論していれば何か一貫した立場を堅持しているようにも思えるでしょうし。
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