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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


『湛山回想』 [2011年06月12日(Sun)]
 石橋湛山『湛山回想』(岩波文庫、1985年)

 経済学者の岩田規久男氏の『日本経済を学ぶ』(ちくま新書)で紹介されていて、本棚の奥から探し出して読んでいます。

 昨年7月以降の衆参ねじれ状況での日本の政党とほとんどダブって見える箇所があります。題して、「政党間のどろ合戦」(192−193ページ)。

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 藩閥との妥協こう合よりも、わが議会政治家が犯したもっと大きな過失は、彼ら政党間のどろ合戦を繰り返し、ために自ら政党と議会との権威を失墜したことであった。

 このどろ試合は政党の力が知よくなり、政権に近づく望みが増すに従って激しくなった。彼らは互いにし相排斥して、政権の獲得に努めた。しかもその方法は、堂々と政策で争うのではなく、一方においては藩閥軍閥を抱き込み、他方では暴露戦術で他党の非違をあばき、揚げ足を取るというやり方で、その結果はしばしば議会を乱闘場化した。 

 大正6年7月25日の『東洋経済新報』を見ると、多分私が書いたものと思うが、「懲罰事犯に依る言論の圧迫」という社説がある。当時憲政会の代議士であった斉藤隆夫氏が、衆議院で政府与党の政友会のため、演説中途で懲罰に付されたことを論じたものである。

 この時も議場は相当の騒ぎを演じた。しかも斉藤氏を懲罰に付した理由は何かといえば、同氏が自分の縁雑を妨害する議員に対し、「ワイワイ連中」というたのが、議員を侮辱するものだというのであった。そして斉藤氏の演説を中途で止めさせた。(誰かの問責決議などを思い出しますね。)

 前記の社説はこれを憤慨し、「彼ら党人の良心はかくまでも麻痺し終われるか。我輩はその面上に唾するもなお飽き足らない。」と記しているが、同様の例は、その前にも後にも、どれだけあったか、数え切れない。

 衆議院の議場におけるばかばかしい闘争は、一般の国民の心理に議会軽蔑の念を植え付け、民主主義の反対者によい口実を与えたが、そのほか、政党間の無思慮のどろ試合が、国政に重大な誤りを犯さしめたことも少なくない。

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 自民党の政治家たちには、これらの党人たちのDNAが継承されており、野党になった途端に噴出したようです。旧社会党系の政治家たちにもまた、万年野党根性から似たような行動様式が受け継がれている感じです。

 現在も、「彼ら党人の良心はかくまでも麻痺し終われるか。我輩はその面上に唾するもなお飽き足らない。」という言葉に同感する人は多いでしょう。

 二大政党による政権交代のある民主主義を担う水準へて政治家たちの体質が変わることが不可欠ですが、その試練は始まったばかりです。
 
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