〜スポット展「いつまでも戦後でありたい2019 疎開で出雲に来た学童の手紙」を開催します!〜 [2019年07月29日(Mon)]
1944(昭和19)年6月、太平洋戦争の戦況悪化に伴い、日本政府は東京や大阪など大都市の子どもたちを空襲から守るために、国民学校初等科学童の集団疎開を実施することを決定しました。
同年9月、島根県は大阪市西区の学童約3000人の疎開先となり、出雲市でも1500人を超える学童を受け入れたようです。疎開宿舎となったのは市内の寺院や旅館などで、神門寺(出雲市塩冶町)は大阪市西区の高台(たかきや)国民学校の学童約40人を迎え入れました。 このとき、教員として学童たちと生活を共にしたのは鳥取県出身の故・岩崎希子(いわさきまれこ)さん。先に大阪に帰った学童から岩崎さん宛に送られた手紙6点を、出雲弥生の森博物館で保管しています。これらの中には、「空襲で家が全焼して父親が焼死した」など、大阪大空襲の惨状を綴ったものも見受けられます。 今回のスポット展「いつまでも戦後でありたい2019」では、これらの手紙を展示します。戦争の悲惨さを後世に伝える一助となれば幸いです。 【開催期間】 8月7日(水)〜9月9日(月) 参考サイト ・博物館ホームページ |