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〜弥生ブロンズネットワークリレー講座 第3講「銅鐸を埋めた時代の出雲平野」を開催しました〜 [2017年01月30日(Mon)]

 1月28日(土)にリレー講座を開催しました。この講座は、近隣の加茂岩倉遺跡ガイダンス、荒神谷博物館、古代出雲歴史博物館、そして、ここ出雲弥生の森博物館の4館で連携して、リレー方式で講座を開催するものです。今年度は加茂岩倉遺跡銅鐸出土20周年の節目を記念して、「銅鐸」をテーマに各館で開催しています。

 第3講となる今回は、出雲市文化財課の景山このみ主事が講師を務め、「銅鐸を埋めた時代の出雲平野」と題して、銅鐸を埋めた時代を探り、その時代の出雲について考えました。当日は、75人の方にご参加いただきました。

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 講座では、青銅器そのものや鋳型、生産遺跡から、年代の移り変わりを知ることができる、との説明から始まりました。もともとは武器として作られていた銅剣・銅矛は、時代が進むにつれて大型化し、マツリでの使用に重きをおかれていったこと、銅鐸も、同様に紐でぶら下げて鳴らす鐘「聞く銅鐸」だったものが、「見る銅鐸」へ変化したと説明しました。また、青銅器を早い段階で入手したとしても、大切なものとしてしばらく埋納せず、子孫代々受け継ぐ「伝世(でんせい)」という習慣により、埋められた時期の年代判定を難しくしていることも紹介しました。
 また、青銅器の鋳型は、九州や近畿からたくさん発見されており、盛んな交流の中で出雲にも九州や近畿で作られた青銅器が運ばれたとの説明もしました。

 出雲における青銅器埋納の諸説にも触れ、保管なのか、廃棄なのか、奉納なのか…、未だ謎に包まれていることや、そもそも出雲で青銅器が作られていたのかということについても、肯定・否定の両方の意見を紹介したうえで、今後、出雲でも青銅器の生産をうかがわさせる資料が発見されていけば、このようなことが解明されていくだろうと期待を込めました。

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 講師は、銅鐸を埋めた時代の出雲平野部や丘陵部のムラの特徴についても説明しました。
 本館では、各ムラの生活をうかがい知ることができる出土品の展示や早川和子さんが描かれた出雲のムラの様子をイメージした絵を掲示していますので、是非、見に来てください。

 リレー講座の最終回となる第4講は、2月11日(土・祝)に「国宝青銅器を未来に伝えるために」と題し、古代出雲歴史博物館で開催します。



 弥生ブロンズネットワークリレー講座に関しては、こちらをご覧ください。
  (島根県立古代出雲歴史博物館ホームページ内)