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〜秋季企画展「いつまでも戦後でありたい ―出雲市民と戦争―」これに注目! その2「父をしのぶ」〜 [2015年12月15日(Tue)]

 松江聯隊(まつえれんたい),と呼びならわされた旧陸軍歩兵第63聯隊。そこに所属する機関銃兵として中国山東省へ出征した景山龍一さん(当時21歳)は,旧日登村寺領(雲南市木次町)の家族にあてて,たくさんのたくさんの手紙を送った。なかに,幼い娘・初恵さんあてた「初恵ニ読ンデ聞カセテ下サイ」という手紙がある。
 「初恵や お前のお父さんだよ」に始まり,「おじじ」と「おがさん(母さん)」に「とんと(肩タタキ)して あげよ」,「大造(弟の名)は,ほせ者だから かわいかわいしてやれよ」と家族へのいたわりを勧め,「まんまくうに ほへえ(泣く)なよ」と食事を心配し,「晩にや,おじじとええ子して ごうごせよ(寝なさいよ)」と言い聞かせる。遠く離れていても,わが子が目の前に居るかのような書きぶりだ。そして,最後に安心させるように「じきに お父さんがもどってくるぞ」と結んである。
 しかし,1938(昭和13)年5月2日,台児荘の激戦で戦死。子たちが父と再びまみえることはなかった。
 それから65年,息子と娘は追悼の石碑を建て,父の手紙の一節を刻んだ。「この鉄砲が牛蒡(ごぼう)であったらナー」。
 奥出雲葡萄園にほど近い丘にその碑はある。

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「この鉄砲が牛蒡であったならナー」の石碑


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初恵さんあての手紙ほか