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〜「防災の日」にちなんで −関東大震災と「奇想建築」〜 [2017年09月01日(Fri)]

 7月12日、文部科学省庁舎で開催の全国博物館長会議に出席するため、東京へ出張しました。この時、築地本願寺と東京都慰霊堂にお参りしてきました。

 ともに、伊東忠太博士の設計による建物です。築地本願寺は1923(大正12)年9月1日、関東大震災によって倒壊炎上。そこに復興されたのが、いまの鉄筋コンクリート造の本堂です。伊東忠太は、仏教発祥の地インドを彷彿(ほうふつ)とさせる建物をこの地に出現させました。

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  夜の築地本願寺

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  東京都慰霊堂

 東京都慰霊堂は、大相撲で有名な両国にあります。ここには関東大震災前に軍服などを作る大工場があったのですが、それが移転し、その跡地を都営公園とする計画がありました。なので、震災当時はまだ広い空地でした。そこに押し寄せた4万人もの避難民を火災旋風が襲いました。わずか1時間の惨劇で、95%の方々が亡くなったといいます。その悲劇の地に建てられたのが、やはり伊東忠太設計の「震災記念堂」でした。被災者の遺骨を納め慰霊するこの建物は純和風デザインですが、背後に納骨堂としての三重塔が建ちます。完成は1930年でした。
 それから15年後の1945(昭和20)年3月10日、東京の下町一帯は米軍B29の激しい空襲によって火の海となりました。「東京大空襲」です。しかし、鉄筋コンクリート造の「震災記念堂」は奇跡的に焼け残りました。
 1951年、関東大震災の犠牲者5万8000人に加え、都内戦災犠牲者10万5000人を祀り慰霊する施設として再出発したのが、東京都慰霊堂です。

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  築地本願寺を守る怪獣

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  東京都慰霊堂内部の照明

 築地本願寺と東京都慰霊堂、ともに震災・戦災を記憶する建物ですが、その各所にはグロテスクかつユーモアにあふれた怪獣たちが配置されています。「奇想建築」で著名な伊東忠太ならではの建造物です。