宮城県山元町東日本大震災復興支援活動は無事に終了しました(3月13日)
[2024年03月13日(Wed)]
最終日となる本日は、学生89名、事務局員1名で活動しました。
5日間お世話になった活動拠点である普門寺を中心に入念に掃除をした後、班ミーティングを行い、班で今回の学びを共有しました。
その後、解団式を行い、リーダーである中村和輝(国士舘大学4年)を筆頭に、思いの丈を語りました。笑いあり涙ありの山元の日々、私たち東日本大震災復興支援活動14次隊は終了を迎えました。
今回は30名弱の学生が、同日程で実施した能登半島地震災害救援活動にも参加しており、能登組と山元町組として別れてそれぞれの活動に取り組みました。
坂野住職も「能登の今の状況を、どうしても山元町と重ねてしまう。今年はやはり今までとは違う気持ちで3.11を迎えた」とおっしゃっていました。
能登半島地震でも東日本大震災同様に辛い思いをした方々がいるという事実をふまえ、私たち学生は微力ながらも無力ではないことを信じて向き合っていきたいと感じました。
東日本大震災から13年、あと10年もすれば東日本大震災を経験していない学生がほとんどになります。本協会は活動開始当初から「震災のことを風化させない、繋いでいく」と活動を続けできました。
東日本震災を忘れず繋いでいくため、山元町に元気を届けるために、今後も引き続き精一杯取り組んでいきます。
山元町での活動開始当初からお世話になっている普門寺の坂野住職をはじめとした山元町の住民の皆様、関わっていただいた全ての方々、誠にありがとうございました。
5日間お世話になった活動拠点である普門寺を中心に入念に掃除をした後、班ミーティングを行い、班で今回の学びを共有しました。
その後、解団式を行い、リーダーである中村和輝(国士舘大学4年)を筆頭に、思いの丈を語りました。笑いあり涙ありの山元の日々、私たち東日本大震災復興支援活動14次隊は終了を迎えました。
今回は30名弱の学生が、同日程で実施した能登半島地震災害救援活動にも参加しており、能登組と山元町組として別れてそれぞれの活動に取り組みました。
坂野住職も「能登の今の状況を、どうしても山元町と重ねてしまう。今年はやはり今までとは違う気持ちで3.11を迎えた」とおっしゃっていました。
能登半島地震でも東日本大震災同様に辛い思いをした方々がいるという事実をふまえ、私たち学生は微力ながらも無力ではないことを信じて向き合っていきたいと感じました。
東日本大震災から13年、あと10年もすれば東日本大震災を経験していない学生がほとんどになります。本協会は活動開始当初から「震災のことを風化させない、繋いでいく」と活動を続けできました。
東日本震災を忘れず繋いでいくため、山元町に元気を届けるために、今後も引き続き精一杯取り組んでいきます。
山元町での活動開始当初からお世話になっている普門寺の坂野住職をはじめとした山元町の住民の皆様、関わっていただいた全ての方々、誠にありがとうございました。