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栃尾ブログ
新潟県長岡市栃尾地域(旧栃尾市)は、中越地震の被災地です。
震災からの復興を契機にで地元の住民と都会の学生の間に「絆」ができました。
このプロジェクトは「絆」によって行われる地域活性化への挑戦です。
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活気づく学生との交流 [2009年04月22日(Wed)]
私たちNPO法人国際ボランティア学生協会が新潟県長岡市栃尾地域において進めているプロジェクトが、新潟日報に掲載されましたので、ご紹介させていただきます。

中越地震から5年 被災地のいま 
活気づく学生との交流 
古民家を改修 復興拠点に

「学生が来るのが楽しみ。うれしい」。
長岡市栃尾地域にある二軒だけの田代集落に住む平沢ムツさん(76)は、自宅のこたつに入りながら目を細めた。
小さな集落に、首都圏などの学生が訪れ、交流する話が進んでいる。
 ムツさんと夫の成美さん(77)宅の隣の空き家がその拠点となる。
5月には、学生たちが訪れる予定。ムツさんは「山菜の取り方を教えたり、いろいろ交流したりしたいねぇ。うちにも寄ってほしい」と、大勢の若者が来る日を待ち遠しそうだ。
 
 田代のある半蔵金地区は、全村避難した旧山古志村(長岡市山古志地域)と接する。
被害も大きく、中越地震では、80数軒あった家の7割が半壊以上となった。
 震災後、栃尾の中心部や、旧長岡市部へ移り住んだ人も多く、地区は約50世帯になり、過疎・高齢化が進んだ。
田代も四軒あったが、半減した。

 田代に拠点づくりを進めるのは、栃尾地域に復興支援に訪れるようになった国際ボランティア学生協会のメンバーら。
その一人で法政大学大学院一年生の眞淨睦さん(24)は「今後も雪下ろしなど地域の人を手伝うのはもちろん、畑作業に挑戦したり、いろいろなことをやったりしたい」と張り切る。

 空き家は、木造二階建てで、約200平方bあり、百人ほどが宿泊できる。
ただ、7,8年前から人が住まなくなり、壁は割れ、床がゆがんだ状態。雨漏りもする。
地震で栃尾地域の住民ときずなができた学生たちが取り組むのは、家の改装からだ。

 栃尾地域の仮設住宅で暮らしていた人たちが、交流を続けようと結成した「同住会」。
代表の千野義夫さん(66)=同市北弐頃=らが呼びかけ、地元の建設業者が、田代の空き家の改装に使う廃材や使用済みのコンパネを収集中だ。

 23日、空き家を見回りに訪れた千野さんは「震災でつらい思いをしたが、栃尾全域の人の結びつきや、全国から集まる学生とのつながりができた」と振り返る。
「学生が定期的に来るようになれば、地域は活気づく。被災を機にできたきずなをさらに深めたい」と力強く語った。
いえ[2009年04月21日(Tue)]
みなさん…

気になりませんか…??



IVUSAの家。


古民家古民家言われても想像できないよっ!

って人のために

今日は



ちらっと。







こんな。

木造二階建て。


トトロはでないですよ(^^)


タヌキはでるらしいです。


中は行ってからのお楽しみです。


もうずっと誰も住んでいないだけあって
ほんとにぼろぼろです。


隙間風、雨漏りはもちろんのこと
床はいつ外れてもおかしくない状態です。

まっくろくろすけくらいはでるんじゃないかと…


でも中は広くて
IVUSAみんなで泊まれそうなくらいです。

ここをきれいにして囲炉裏おいてごはんとか作ったら楽しそうだなーとか
いろいろ想像できますね。

掃除してぴかぴかにして
床板はって
たたみを敷いて

ってちょっとずつ直していったら


この古民家も生まれ変わります。


この最初の状態を見た上で
プロジェクトに参加していくと

最初はあんなボロボロだったのになー
なんて話すこともできるんじゃないかと思います。

これは
最初に行った人にしかわからない感動があると思います。



ますますわくわくしてきましたね。



とちおがIVUSAを待ってる!


とちおに行くまで
あと9日。
スタート地点[2009年04月20日(Mon)]
こんにちは!

はじめましての方ははじめまして。

千代田エリア法政大学クラブ2年の中澤奈央です。


望さん、素敵な栃尾物語、ありがとうございました。


いよいよ栃尾物語がはじまります。


わくわくしますね♪


放置されたままの畑

避難所のまま誰も通わなくなった学校

今にも床が外れてしまいそうな古民家。


なにもないところからのスタートです。


なにもなくても


学生を待っていてくれる村の方たちのあたたかさがあります。






電気ガスのある生活に慣れた学生が

機械にすべてを任せるようになった今

自らの手で

IVUSAの村を築きあげます。



誰も住まなくなった家をきれいにし

床板をはり

畑を耕し


新たに生命を吹き込みます。


こんな素敵なプロジェクト

1発目に行くしかないですよねo(≧∪≦)o


自然に囲まれた栃尾に立った時

何を感じるんでしょうか。



これから継続して行っていくプロジェクトだからこそ

その変化をより強く感じることができます。


ちょっと都会の生活に疲れたら

栃尾に帰ろう。

そんなIVUSAのふるさと的な場所になったらいいですね。






いつか何年かたってみんなで栃尾に来た時

あの頃は何もなかったのに…

こんな話をしながら花火を見れるのは

IIVUSAの特典ですね♪





さー

栃尾が待ってる!!

IVUSAが栃尾に行く日まで


あと



10日。

栃尾の物語(4)〜ひまわりの種〜[2009年04月06日(Mon)]
二度目の春を迎えた被災地では、道路などの復旧も進んできた。

栃尾の仮設住宅でも自宅を再建できた人など、仮設住宅を離れる人が増えてきた。



そんななか、仮設住宅を訪れると、住民の方からこんな声が聞こえてきた。

仮設を離れる記念と残った人を励ますために、花を植えたいというのである。

「いいですね〜」と私が答えると、住民の方は

「まぁ また学生さんに会うための口実だけどね」と笑った。



こうして、06年5月、再び、IVUSAの学生が訪れ、無機質であった仮設住宅に沢山の花を植えた。

そのなかで、一番多く植えたのが、ひまわりの種であった。

このひまわりにはちょっとした物語がある。



平成7年阪神・淡路大震災が起きた。

瓦礫のまちになった「阪神」に「瓦礫のまちにひまわりを」を合言葉に沢山のひまわりが植えられた。

阪神大震災の仮設住宅などで育ったひまわりの種が、どういうわけだが、栃尾に届いていたのである。



この花を植える活動の頃になると、住民との絆はしっかりしたものになってきた。

仮設住宅の集会場で、連日連夜山菜をつまみながら、地元のお酒を飲み、

住民と学生は泣き、笑い、多くのことを語った。

仮設住宅の集会所でもっとも飲んだのは、栃尾の住民とIVUSAメンバーではないだろうか。



夏になるとひまわりは大輪の花を咲かせ、仮設住宅はにぎやかになった。

その大輪のひまわりの花をみながら、阪神大震災からのひまわりのバトンと次につなげたいと思った。

そこで、住民の方にIVUSAで世田谷の学校などにひまわりの種を寄贈したらどうか、と提案した。



すると、住民の方から、またも驚く返事がきたのである。

「地震では全国からお世話になった。そのお礼で直接渡したい」



そういったわけで、住民有志が直接上京し、ひまわりの種を贈呈することになった。

上京するための車中で、私は住民の方に、「標準語でしゃべってくださいね」とお願いをした。

住民の方は「おおごっつお」(たぶん、大変だという意味)と答えた。



そして、ひまわりの種は、世田谷の小学校などに寄贈され、小学校で課外授業も行ってきた。

ほとんど、上京することもなく、授業を行うことなんて考えられなかった住民の方は、

初めての経験を非常に喜んでいた。



もっとも、私が「いい冥土の土産ができましたね」と言ったら、

誰も笑っていなかったけど。・・・・・・・・・・(続く)

栃尾の物語(3)〜文集の作成〜[2009年04月03日(Fri)]
インドでの活動を報告するために、訪れたのは、震災から一年と半年がたった4月後半であった。

そのため、自宅を再建し、仮設住宅を離れる人も増えてきた。



震災により、仕方なく仮設住宅に入ったのだが、

IVUSAの学生との交流など、楽しい思い出も多くあったようで、

「仮設住宅が無くなるまでここにいたい」という住民が多くいたのには、驚いた。



そこで、住民たちは、記念に文集を作成しようということになっていた。

しかし、高齢者が多い、仮設住宅では、パソコンはおろか、字が書けない人も多くいた。

そこで、4月末に学生が訪れた際に、学生が聞き取りをしようということになった。



マスコミと違い、同じ目線で信頼関係を作ってきた学生相手に、住民は本音で語ってくれた。

こうして、仮設住宅住民の文集は完成した。



当時、仮設住宅の区長であった千野さんの挨拶文を抜粋する。



 「出会いがあれば別れが有る」そんな言葉は私たちには無いような気がする。

お互い励ましあった皆が同じだからだ。

 一緒に屋根の雪下ろしや花植え、住宅団地の草むしりなど

都会の学生とは思えないという住民の声と、

学生さんの次は何処をと、次への指示を求める声、

順調に進む作業と作業中の学生との会話は私たちの後々に語られる。

 とどの森での交流会、ふるさと交流会館での交流会等々、

ひとりひとりのあの時の顔や言葉を懐かしく思う。

 私たちの地域の再発見に栃尾に足を運んでいただき交流を続けてもらいたい気持ちと

ご支援ご協力くださった多くの方々に感謝申し上げます。



仮設住宅団地 区長 千 野 義 夫



(続く・・・・)

栃尾の物語(2)〜栃尾からインドへ〜[2009年04月02日(Thu)]
「同じ被災者として何かできることはないか」という仮設住宅住民の声には驚いた。
同じ被災者といっても、遠いインドの津波の被災地の話である。
本人たちはインドに行ったことすらもない。
なにより、彼ら自身生活の再建の目途がたっておらず、いまだに狭く、寒い仮設住宅暮らしなのである。

12月の除雪ボランティアで学生が東京に戻った後、早速彼らは活動を開始した。

仮設住宅の集会場に集まっては、インドの被災者のために、千羽鶴を折り、寄せ書きを書き、賽の神(お祭り)では、募金箱を設置し、住民がお金を出し合い、文房具を集めたのである。

そして2月になった。
再び、積もった豪雪のために、IVUSAの学生100名強が栃尾の仮設住宅を訪れた。

12月以上に雪は積もっていたが、住民たちに悲壮感はなかった。

「また学生に会いたかった」

「雪が消えないことを願ったよ(笑)」

という住民は、笑顔にあふれていた。



そして、夜の懇親会 100名以上の学生の前で、住民の人たちは、文房具に寄せ書き、千羽鶴を手渡した。
NHKをはじめ、各種マスコミが集まる中、彼らはどこか誇らしげだった。
中越地震によって仮設住宅に住む人間は多くいたが、仮設住宅に住みながら、海外や他の被災地の支援を行ったのは、彼らが初めてであったであろう。


こうして、栃尾の被災地からのプレゼントはIVUSAの学生によって、海を越えた。

長かった冬も終わりをつげ、被災地にも春が訪れた。
4月後半、インドの活動を終え、不自然な日焼けをした学生が再び栃尾を訪れた。
インドでの活動を報告しに訪れたのである。

住民を集め、感謝状の贈呈などを行ったあと、大きなスクリーンで映像を流した。

前半はこれまで行ったきた冬の栃尾での活動、そして、後半は、灼熱のインドであった。
そこには、栃尾の住民の送った「復興を祈る」という横断幕が掲げられており、住民が寄贈した文房具を持った子供たちの笑顔がそこにはあった。



その映像を見る住民の全員が泣いていた。

私も溢れる涙を抑えることはできなかった。(続く)

栃尾の物語(1)〜被災地栃尾〜[2009年04月01日(Wed)]
 皆さん こんにちは。IVUSAの理事であり、事務局員の桑原望です。

 今回の栃尾のプロジェクトでは、現地のコーディネートを担当しています。
さてさて、皆さんは平成16年10月23日に中越地震が発生したことを覚えていますか?

みんなは、まだ大学生になる前のことですよね。


 私たちIVUSA国際ボランティア学生協会は、これまで多くの災害現場で活動を行ってきました。

 中越地震の時も、長岡市、旧中里村、川口町、小千谷市などで、避難所の運営、家屋の片づけ、物資の配送、ボランティアセンターの運営など多くの活動を行ってきました。

 一方、旧栃尾市(現長岡市栃尾地域)は、中越地震で有名になった山古志村に隣接し、地震の被害が大きかったものの、マスコミに注目されることも少なく、ボランティアなど外部からの支援がくることもほとんどありませんでした。

そんな「栃尾」をある新聞社は、こう呼びました。

「見捨てられた被災地」

そんな「栃尾」と「IVUSA」が出会ったのは、中越地震から一年以上が経過した平成17年の12月のことでした。

その年は、被災地を記録的な大雪が襲いました。

被災者の多くは、壊れかかった自宅と仮設住宅の除雪を行わなければならず、
心も体も疲れきっておりました。

そんな時に、IVUSAは縁あって、仮設住宅や集落で除雪のボランティアを行いました。

雪の恐ろしさやスコップの使い方を学生に教える住民の姿は、ボランティアする側・される側でなく、立場は違えど、共に立ち向かう「仲間」でした。


住民の方は「生まれて初めて大学生を見た」「東京で災害が起きたら助けに行くよ」
との声が上がりました。

学生と接する中で、住民の方は学生からIVUSAがスマトラ沖津波の支援で3月にインドで
IVUSAが活動を行うことを知った住民から信じられない声が上がりました。

「同じ被災者として何か出来ることはないか」

(続く・・・)
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