異彩世代図鑑 (後半)[2010年07月17日(Sat)]
月刊myskipより掲載。後半です。
大学卒業後は賃貸住宅を扱う不動産会社に就職。
様々な災害現場を目撃して「家が人間にとっていかに重要か痛感し、安全かつ安心な住宅を多くの人に提供したい」という思いから選んだ仕事だったものの、いつしか数字に追われ当初の理想とかけ離れた毎日に疑問を感じるようになっていった。
そんな時、学生時代に何度も訪れた栃尾で長岡地域復興支援センターの職員を募集していることを知り、思い切ってトライ。
昨年11月から栃尾で暮らし始めた。
「今やっている仕事は一言でいうと『地域のコミュニティづくり』です。
たとえば定期的にお茶会を開いて、そこでおばあちゃんたちから聞いた郷土料理や地域の伝統などを広報誌で発信したり、とにかく人と関わる仕事が多いですね」
コンビニは2軒しかない、ファストフードのお店もない、そんな場所で東京育ちの自分が暮らしていけるのか、ちょっぴり不安も抱えていた。
「驚いたのは栃尾の人たちの絆の強さ。最初は正直とまどうこともありました」。
しかし「暮らしてみて分かったことは、その絆が地域内での助け合いに繋がっているということです。私は学生時代の経験から人間関係を通して成長できる環境に身を置きたいとずっと思っていました。
なので今は生活そのものが『楽しい成長の場』であるように感じています」
「栃尾サテライト」の仕事は残り3年。
その後のことは全く未知数と語る泉さん。
「3年間を通して得られたことを次のステージで活かしたい。
それが何かまだ分かりませんが、とにかく精一杯頑張りたいと思います」
掲載終わり。
いかがでしたでしょうか。
栃尾との出会いが、渡辺泉さんの人生を大きく変えたようですね。
栃尾の活動にも、ちょくちょく顔を出しますので、栃尾で会えると思います。
大学卒業後は賃貸住宅を扱う不動産会社に就職。
様々な災害現場を目撃して「家が人間にとっていかに重要か痛感し、安全かつ安心な住宅を多くの人に提供したい」という思いから選んだ仕事だったものの、いつしか数字に追われ当初の理想とかけ離れた毎日に疑問を感じるようになっていった。
そんな時、学生時代に何度も訪れた栃尾で長岡地域復興支援センターの職員を募集していることを知り、思い切ってトライ。
昨年11月から栃尾で暮らし始めた。
「今やっている仕事は一言でいうと『地域のコミュニティづくり』です。
たとえば定期的にお茶会を開いて、そこでおばあちゃんたちから聞いた郷土料理や地域の伝統などを広報誌で発信したり、とにかく人と関わる仕事が多いですね」
コンビニは2軒しかない、ファストフードのお店もない、そんな場所で東京育ちの自分が暮らしていけるのか、ちょっぴり不安も抱えていた。
「驚いたのは栃尾の人たちの絆の強さ。最初は正直とまどうこともありました」。
しかし「暮らしてみて分かったことは、その絆が地域内での助け合いに繋がっているということです。私は学生時代の経験から人間関係を通して成長できる環境に身を置きたいとずっと思っていました。
なので今は生活そのものが『楽しい成長の場』であるように感じています」
「栃尾サテライト」の仕事は残り3年。
その後のことは全く未知数と語る泉さん。
「3年間を通して得られたことを次のステージで活かしたい。
それが何かまだ分かりませんが、とにかく精一杯頑張りたいと思います」
掲載終わり。
いかがでしたでしょうか。
栃尾との出会いが、渡辺泉さんの人生を大きく変えたようですね。
栃尾の活動にも、ちょくちょく顔を出しますので、栃尾で会えると思います。