• もっと見る
栃尾ブログ
新潟県長岡市栃尾地域(旧栃尾市)は、中越地震の被災地です。
震災からの復興を契機にで地元の住民と都会の学生の間に「絆」ができました。
このプロジェクトは「絆」によって行われる地域活性化への挑戦です。
« ★必読★栃尾の物語 | Main | 栃尾レポート »
<< 2019年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
新潟の楽人
2011年度ふりかえり〜Part1〜 (03/31) ホタルの先生
現地レポート 二日目 (02/14) 浅丘柚胡
栃尾行事紹介1月 (08/18) めろん
5次隊現地レポート1日目 (08/05) IVUSA 桑原望
5次隊現地レポート1日目 (08/05) めろん
5次隊現地レポート1日目 (08/04) めろん
5次隊現地レポート1日目 (08/04) 体操のお姉さん
最終日 (06/14) とちおっ子
現地レポート (02/28) NOAH
現地レポート (02/16)
最新トラックバック
異彩世代図鑑 (後半)[2010年07月17日(Sat)]
月刊myskipより掲載。後半です。


大学卒業後は賃貸住宅を扱う不動産会社に就職。

様々な災害現場を目撃して「家が人間にとっていかに重要か痛感し、安全かつ安心な住宅を多くの人に提供したい」という思いから選んだ仕事だったものの、いつしか数字に追われ当初の理想とかけ離れた毎日に疑問を感じるようになっていった。

そんな時、学生時代に何度も訪れた栃尾で長岡地域復興支援センターの職員を募集していることを知り、思い切ってトライ。

昨年11月から栃尾で暮らし始めた。

「今やっている仕事は一言でいうと『地域のコミュニティづくり』です。

たとえば定期的にお茶会を開いて、そこでおばあちゃんたちから聞いた郷土料理や地域の伝統などを広報誌で発信したり、とにかく人と関わる仕事が多いですね」

 コンビニは2軒しかない、ファストフードのお店もない、そんな場所で東京育ちの自分が暮らしていけるのか、ちょっぴり不安も抱えていた。

「驚いたのは栃尾の人たちの絆の強さ。最初は正直とまどうこともありました」。

しかし「暮らしてみて分かったことは、その絆が地域内での助け合いに繋がっているということです。私は学生時代の経験から人間関係を通して成長できる環境に身を置きたいとずっと思っていました。

なので今は生活そのものが『楽しい成長の場』であるように感じています」

 「栃尾サテライト」の仕事は残り3年。

その後のことは全く未知数と語る泉さん。

「3年間を通して得られたことを次のステージで活かしたい。

それが何かまだ分かりませんが、とにかく精一杯頑張りたいと思います」

掲載終わり。

いかがでしたでしょうか。

栃尾との出会いが、渡辺泉さんの人生を大きく変えたようですね。

栃尾の活動にも、ちょくちょく顔を出しますので、栃尾で会えると思います。
異彩世代図鑑 (前半)[2010年07月13日(Tue)]
長岡のフリーペーパー 月刊myskipにIVUSAOGである渡辺泉さんが掲載されました。

そこで、ブログでもご紹介させていただきます。


渡辺泉 Izumi Watanabe 24才

中越地震がきっかけで新潟と縁が生まれた東京出身の若者、それが今回取材した渡辺泉さん。

彼女は震災翌年に小千谷を訪問、その後も栃尾地域を度々訪れるなど精力的にボランティア活動を展開。

現在は長岡地域復興支援センター「栃尾サテライト」の職員として働いている。

「新潟とは水が合う」と笑顔で語る24才の素顔に迫る。


 東京生まれ東京育ちの渡辺泉さんが新潟に強く関心を持つようになったのは、2004年の中越地震がきっかけだった。

当時高校3年生だった泉さんは、自分が連日テレビから流れる映像を通してしか被災者と向き合えないことに、もどかしさや違和感を覚えていた。

しかし「受験生ということもあり、被災地にすぐに行くことはできませんでした」
 
泉さんの思いが叶い新潟県を訪れることができたのは翌年の6月、大学に入学してから所属した「NPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)」の一員としてだった。

「その時は小千谷市で、地震の影響で住んでいた家を離れることになった方の荷物整理をお手伝いしました」。

その後もIVUSAを通し栃尾の仮設住宅を何度も訪ねるなど新潟とは深い縁を結んだ。
 

災害救援の活動は中越地震だけにとどまらず、国内で何かあればできる限り駆けつけようと、積極的に動いた。

「2007年の秋田水害のときは現地の人たちから『来てくれてありがとう。今度は私たちが(他の災害で困った人たちを)助ける番だ』と言われました」。

その言葉を聞いたとき「自分たちの活動は小さいものかも知れないけれど、確実に次に繋がるものなんだ」と実感。

草の根的なボランティアの大切さを思った。

その活動はカンボジアの子どもたちのための地域の図書館建設や、スマトラ沖地震被災地での住宅復興など海外にまで広がる。

「私達の渡航にかかる費用を義援金として送ったらどうかという意見があることも知っています。

でも直接現地に行き、そこで暮らす人たちとふれ合って分かること、伝えられることがきっとあるし、そのなると信じています」 

(後半に続く・・・・)
新聞掲載記事 新潟日報2月20日[2009年10月31日(Sat)]
復興を願う気持ちは一緒
 
栃尾の仮設住民 津波被災者へ文具などを贈る

 
栃尾&インド
中越地震で被災した長岡市(栃尾)北荷頃の仮設住宅の住民が18日、スマトラ沖地震の津波被害を受けたインド南東部の被災地へ文房具などを贈った。

「同じ被災者として、力になりたい」。

募金で購入した鉛筆に手作りの千羽鶴を添えて、来月現地を訪れる学生ボランティア団体に思いを託した。

栃尾とインドとの橋渡し役をするのはNPO法人国際ボランティア学生協会。

3月2日から2週間、住宅建設支援のためインドのナーガパッティナム地域に入る。

同協会の学生は18日、昨年末に続き124人が二回目の雪下ろしボランティアに栃尾を訪れた。

学生のボランティア精神に感激した仮設住民たちは、インド支援の話を聞き「私たちも何かお手伝いがしたい」とさいの神のイベントで募金を集め、インドの被災者に贈る鉛筆や消しゴムばどを購入した。

 同日夜に開かれた学生と住民交流会の席で、贈呈式が行われた。

仮設住宅自治会の区長、千野義夫さん(63)は「復興を願って折った千羽鶴と文房具です。」インドの人たちに頑張ってくださいと伝えてください」と手渡した。

 同協会の学生代表小久保淳さん(23)は「現地の子どもたちに文房具を届け、帰ってきたら栃尾で報告会を開きたい」と話していた。

写真=インドへの支援物資をボランティア学生に託した仮設住宅の住民たち(18日夜、長岡市栃堀のふるさと交流会館)

新潟日報 2006年2月20日 朝刊
新聞掲載記事 長岡新聞10月19日[2009年10月26日(Mon)]
真の復興へ 仲間に

新潟支部事務局長・桑原氏に聞く

 国際ボランティア学生協会(IVUSA:いびゅーさ)は数多くある日本のNPO団体の中でもまぎれもなく傑出した正統派のNPOである。

 2年前の中越大震災では、多くのボランティアの活躍があったが、中でもIVUSAはひときわ印象強く、多くの感動を私たちに与え続けてくれた。

 このIVUSAで多くの若者たちを率いて熱い情熱で、支援活動の先頭に立っているのが、新潟支部事務局長 桑原望氏である。

桑原氏は大震災後、いち早く市内にボランティアセンターの立ち上げと運営に力を注ぎ、さらに自らも現場の最前線に出向き、家屋の掃除、避難所の運営、炊き出しといった現場での業務もこなしてきた。 

 彼らの多くの活躍の中でも特筆なのは、地震での被害が甚大であったのも関わらず、マスコミなどの注目度も少なく、市外の団体による支援活動はほとんどかった、栃尾地域で積極的に活動を展開し、しかも復興が落ち着いてきた現在もなお、栃尾地域で継続的に活動を行っていることであろう。

 いまも栃尾地区で地元の復興に力を注ぐ桑原氏に聞いてみた。(以下桑原氏談)

【震災発生からこれまで様々な場所で様々な活動を行いましたが、私たちの活動を地域の真の復興につなげるためには、継続的な活動によって住民と顔の見える関係になり、支援する人、される人ではなく、仲間になることだと思います。

 最初に除雪ボランティアの活動を行いました。

私たちは、ただ、一方的に奉仕活動をおこなったのでは意味がない! 住民を元気付け励まし自立を手助けするのだ!と。

このような理念で、住民の方と一緒に活動を行いました。

震災や豪雪によって疲れきっていた住民の皆さんですが、「スコップはこう持つのだよ」と学生と一緒に除雪を行い、同じ立場で活動を行うことで、住民の方は「東京に震災が来たら俺は行くよ。」「今後もずっと若者と交流していきたいね」といった感想もおっしゃってくださいました。

また、私たちは、津波の被害のあったインドでの活動を予定していました。

そのことを聞いた仮設住宅の住民から「同じ被災者として出来ることはないか」という申し出があり、住民の方から文房具、寄せ書き、千羽鶴などを私たちが橋渡しとなり、インドの子どもたちに対して寄贈されました。

 春には、住民の方とともにひまわりなどの種を植えました。
これは、仮設を離れる人が増えることや、何よりもまた学生に会いたいという住民の方の願いからで、植えたヒマワリは阪神大震災での仮設住宅で植えられていた種です。

栃尾で育ったヒマワリの種は、住民有志が直接東京の小学校を訪れ寄贈し、児童に地震や仮設住宅での暮らしの話をする予定です。また、夜は学生との交流会を行い、今度は学生の家に泊まる予定です。

私たちは、今後も、地震での被害や過疎に悩む栃尾と首都圏を中心とした学生を結びつけることにより、真の地域の復興を目指します。】

長岡新聞2006年10月19日掲載
仮設住民を花で励まそう (新聞掲載記事)[2009年10月25日(Sun)]
仮設住民を花で励まそう ボランティア学生ら花植え

 中越地震の被災者が暮らす長岡市栃尾地域の仮設住宅団地で3日、住宅に彩りを添えようと、学生ボランティアや住民約50人が花植え作業を行った。

 ピーク時は75世帯が居住していたが、現在は48世帯までに減り、復興住宅が完成する今秋以降はさらに減少する。

このため、これから仮設住宅を離れる住民を花で見送るとともに、残る住民を励まそうと、NPO法人国際ボランティア学生協会(本部・東京都)が企画した。

 参加者はサルビアやベゴニアなどの苗を丁寧にプランターへ移すと、団地を囲むようにヒマワリの種も植えた。

雪下ろしボランティアにも参加した東京の男子学生は「住民に喜んでもらえることが何よりうれしい」と汗をぬぐった。

 仮設住宅の入居期限は原則12月までだが、再建めどが立たない住民もいる。区長の千野義男さん(62)は「花を見て一日も早く復興に弾みをつけれれば」と話した。

(読売新聞 2006年6月11日 朝刊)
新聞掲載記事 3月2日読売新聞夕刊18面[2009年10月23日(Fri)]
3月2日に出発した第3次インド洋津波災害復興支援活動が、読売新聞(3月2日読売新聞夕刊18面)に掲載された。(全文掲載)


「震災復興ガンバレ 学生がインド支援 〜新潟からの贈り物携え」

 インドネシア・スマトラ島沖地震(2004年)の津波で被害を受けたインド南部の町の復興を支援するため、東京や関西の大学生ら81人が2日、現地に向け出発した。

雪かき支援に訪れた新潟県中越地震の被災地住民から託された贈り物も携えており、新潟の住民とインドの人達の橋渡しの役も務める。

 NPO法人「国際ボランティア学生協会」(本部・東京)のメンバーらで、インドで最も大きい被害を受けた町の一つとされる、ナーガパッティナムに入り、12日までの予定で土台作りやレンガ積みなど住宅建設を手伝う。

 同協会では昨年末、いまだ地震のつめ痕を残し豪雪に見舞われた新潟県長岡市の北荷頃仮設住宅団地を訪問、雪かきを手伝った。

 その際、3月にインドを訪問することや、文具が手に入らない現地の子どもたちの状況を話すと、住民達が地区の募金で文具を買うなどしてくれた。

 インドへは段ボール十数箱分の文具のほか、仮設住宅の人達が作った千羽鶴や、インドと日本の国旗をあしらった寄せ書きも持っていく。

また、「よさこいソーラン踊り」も現地で披露する。

 インドへの贈り物を呼びかけた仮設住宅住民の千野義夫さん(62)は、「中越地震では多くの人の心の温かさを感じたので、今度はこちらが被災者を励ましたかった」と話す。

 協会の学生代表の法政大4年・小久保淳さん(23)は「自分達の生活も困難なのに協力してくれた新潟の人達の気持ちもしっかり届けたい。ただ家を建てる手伝いだけでなく、元気も与えられたら」と話している。
仮設に育て花の応援団 (新聞掲載記事)[2009年10月22日(Thu)]
仮設に育て花の応援団 長岡・栃尾 住民、学生植え付け

 長岡市(栃尾)北荷頃仮設住宅を花で飾ろうと、住民と学生ボランティアが三日、ヒマワリの種などをまいた。

夏には満開のヒマワリが中越地震で被災した人たちの暮らしを包み込む。

現在、同仮設には46世帯が暮らす。

花植えは復興住宅などへの転居が本格化する前に、離れる人への記念と、残る人への励ましを目的に企画された。

震災後、栃尾地域で活動する国際ボランティア学生協会の学生と、住民約70人が協力し、神戸市から贈られた約700本分のヒマワリの種と、サルビアなど四種類の苗約950本を植えた。

同仮設住宅の千野義男さん(63)は「仮設住宅を花でいっぱいにすることが入居したときからの夢だった」と感慨深そうに話していた。

(新潟日報 2006年6月11日 朝刊 )
新聞掲載記事  3月2日 読売新聞[2009年10月16日(Fri)]
震災復興支援で大学生ら81人、インドに出発 

 インドネシア・スマトラ島沖地震(2004年)の津波で被害を受けたインド南部の町の復興を支援するため、東京や関西の大学生ら81人が2日、現地へ向け出発した。 

雪かき支援に訪れた新潟県中越地震の被災地住民から託された贈り物も携えており、新潟の住民とインドの人たちの間の橋渡し役も務める。

 
インドへは、段ボール十数箱分の文具のほか、仮設住宅の人たちが作った千羽鶴や、インドと日本の国旗をあしらった寄せ書きも持っていく。

また、「よさこいソーラン踊り」も現地で披露する。

 インドへの贈り物を呼びかけた仮設住宅住民の千野義夫さん(62)は、「中越地震では多くの人の心の温かさを感じたので、今度はこちらが被災者を励ましたかった」と話す。

 協会の学生代表の法政大4年・小久保淳さん(23)は「自分たちの生活も困難なのに協力してくれた新潟の人たちの気持ちもしっかり届けたい。ただ家を建てる手伝いだけでなく、元気も与えられたら」と話している。

(2006年3月2日 読売新聞)
新聞掲載記事 朝日新聞2月20日[2009年09月18日(Fri)]
インドに贈る文具など託す 渡航学生に仮設住民


中越地震の被災地で今も56世帯が仮設住宅で暮らす旧栃尾市(長岡市)で18日、仮設で暮らす被災者20人と関東と関西から来た学生ボランティア約180人が、除雪作業の後、交流会を開いた。

来月、インドの津波被災地へボランティアへ行く学生たちに、住民から現地の人々に贈る文房具などが託された。

 ボランティアに来たのはNPO「国際ボランティア学生協会」で、昨年12月に続いて2回目の除雪作業をした。

学生たちは3月、インド洋大津波の被災地、インドのナーガパティナムへの住宅建設の手伝いに行く。

これを聞いた北荷頃仮設住宅の区長、千野義夫さん(62)が「全国から色々助けてもらったので、今度は自分たちができることを」と提案し、仮設住民らが小正月行事「さいの神」で集めた募金で鉛筆やボールペンを購入した。

さらに栃尾支所にも掛け合い、ダンボール2箱分の文房具を収集し、仮設の集会所で折った三千羽の千羽鶴と合わせ、学生に託した。

被災地は過疎、高齢化が進む。

千野さんは「若い人と話し、あいさつを交わすだけで元気をもらえる。これからも交流が続いてほしい」。

拓殖大の小林あかりさん(2年)は「仮設を出る人も増え、残る人はさびしそうだった。少しでも力になれたら」と話していた。

 学生らは帰国後、ビデオカメラに収めた現地での活動の様子を、住民に見せることを計画している。

朝日新聞 2006年2月20日
ペンをスノーダンプに持ち替えて(新聞掲載記事)[2009年09月17日(Thu)]
ほぼ毎日更新という公約が厳しくなってきました。(笑)

これまでお伝えしてきたように、栃尾での活動は震災が契機となって行われております。

そういうわけで、これまでの栃尾での活動でマスコミに掲載されたものを、順次掲載していきます。


ペンをスノーダンプに持ち替えて

国際ボランティア学生協会 被災地で雪掘り 栃尾

 特定非営利活動法人(NPO法人)「国際ボランティア学生協会」の学生らが26日、栃尾市の中越地震の被災地と仮設住宅で除雪のボランティア活動を行った。

12月としては異例の豪雪となっている被災地で住民たちとともに雪と格闘した。

 活動を行ったのは、同市半蔵金・栗山沢地区と北荷頃の仮設住宅。

首都などから総勢約100人の学生が、ボランティアに取り組んだ。


 この日朝までに230cmの積雪となった半蔵金地区には約50人の学生がバスで到着。

出迎えた石丸大作区長は「12月にこんなに雪が降ることはないが、見ての通りの豪雪地帯。

応援に来てもらって本当にありがたい」と激励。学生たちは四班に分かれ、住民の指導を受けながら屋根から下ろして家の回りにたまった雪をスノーダンプで除雪した。

 同NPO法人の学生代表で、法政大四年の小久保淳さん(23)は「雪が向かってくるように降っていて大変さ実感した。役に立てれば」と除雪作業に打ち込んでいた。

新潟日報 2005年12月28日朝刊
| 次へ
プロフィール

IVUSA栃尾さんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/ivusa-tochio/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ivusa-tochio/index2_0.xml
RSS取得