
栃尾の物語(3)〜文集の作成〜[2010年09月27日(Mon)]
インドでの活動を報告するために、訪れたのは、震災から一年と半年がたった4月後半であった。
そのため、自宅を再建し、仮設住宅を離れる人も増えてきた。
震災により、仕方なく仮設住宅に入ったのだが、
IVUSAの学生との交流など、楽しい思い出も多くあったようで、
「仮設住宅が無くなるまでここにいたい」という住民が多くいたのには、驚いた。
そこで、住民たちは、記念に文集を作成しようということになっていた。
しかし、高齢者が多い、仮設住宅では、パソコンはおろか、字が書けない人も多くいた。
そこで、4月末に学生が訪れた際に、学生が聞き取りをしようということになった。
マスコミと違い、同じ目線で信頼関係を作ってきた学生相手に、住民は本音で語ってくれた。
こうして、仮設住宅住民の文集は完成した。
当時、仮設住宅の区長であった千野さんの挨拶文を抜粋する。
「出会いがあれば別れが有る」そんな言葉は私たちには無いような気がする。
お互い励ましあった皆が同じだからだ。
一緒に屋根の雪下ろしや花植え、住宅団地の草むしりなど
都会の学生とは思えないという住民の声と、
学生さんの次は何処をと、次への指示を求める声、
順調に進む作業と作業中の学生との会話は私たちの後々に語られる。
とどの森での交流会、ふるさと交流会館での交流会等々、
ひとりひとりのあの時の顔や言葉を懐かしく思う。
私たちの地域の再発見に栃尾に足を運んでいただき交流を続けてもらいたい気持ちと
ご支援ご協力くださった多くの方々に感謝申し上げます。
仮設住宅団地 区長 千 野 義 夫
(続く・・・・)
そのため、自宅を再建し、仮設住宅を離れる人も増えてきた。
震災により、仕方なく仮設住宅に入ったのだが、
IVUSAの学生との交流など、楽しい思い出も多くあったようで、
「仮設住宅が無くなるまでここにいたい」という住民が多くいたのには、驚いた。
そこで、住民たちは、記念に文集を作成しようということになっていた。
しかし、高齢者が多い、仮設住宅では、パソコンはおろか、字が書けない人も多くいた。
そこで、4月末に学生が訪れた際に、学生が聞き取りをしようということになった。
マスコミと違い、同じ目線で信頼関係を作ってきた学生相手に、住民は本音で語ってくれた。
こうして、仮設住宅住民の文集は完成した。
当時、仮設住宅の区長であった千野さんの挨拶文を抜粋する。
「出会いがあれば別れが有る」そんな言葉は私たちには無いような気がする。
お互い励ましあった皆が同じだからだ。
一緒に屋根の雪下ろしや花植え、住宅団地の草むしりなど
都会の学生とは思えないという住民の声と、
学生さんの次は何処をと、次への指示を求める声、
順調に進む作業と作業中の学生との会話は私たちの後々に語られる。
とどの森での交流会、ふるさと交流会館での交流会等々、
ひとりひとりのあの時の顔や言葉を懐かしく思う。
私たちの地域の再発見に栃尾に足を運んでいただき交流を続けてもらいたい気持ちと
ご支援ご協力くださった多くの方々に感謝申し上げます。
仮設住宅団地 区長 千 野 義 夫
(続く・・・・)