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伊丹市は落ち着いた良い街やと思います。もっともっと伊丹の魅力を多くの方に知ってもらえると嬉しいな。
そして素敵な伊丹のまちづくりが活発になること。
伊丹市立市民まちづくりプラザ・スタッフ一同頑張ります。

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人気No.1市民みんなが先生徒講座[2011年12月04日(Sun)]
昨年度行った講座の中でも一番人気の歴史物
今回のテーマは「荒木村重」
講師は伊丹市民で、伊丹市文化財ボランティアの会・池田利夫会長にお願いしました。狭いまちプラが25名の市民で満員に。ほんま狭い


ところで・・・・・
現在の大阪府池田市生まれで隣の伊丹で名を成した荒木村重。
フロイスも感動し本国に送った報告書に書いた有岡城。
この有岡城を完成せしめた優秀な戦国武将。
しかし信長に背き難攻不落の有岡城で籠城戦に入ったものの、説得に来た黒田官兵衛を牢に押し込めたあげく、メカケと数名の従者を連れて有岡城から尼崎城に脱出。
その後有岡城は落城し、信長は見せしめのため妻子一族郎党を残虐な方法で皆殺しに。
村重はそれを横目で見ながら、毛利を頼って逃走。
信長亡き後は堺に戻り自分を蔑み茶人道糞を名乗るも、秀吉の御伽衆に招かれ道薫として余生を送った村重。

さあてこの村重・・・・・
戦国武将にあるまじき卑怯者という評価が多く、市民の間特に女性には嫌われている 。

まあね
有岡城存亡の危機に際して、大事な茶道具と鼓をもって、メカケだけ連れ、妻子を残して逃げ、それがために妻子は皆殺しにされて・・・というイメージで見てしまうと確かにそうなるかもしれない。

でもね
信長に背くにもそれなりの理由があったわけだし、讒言によって嵌められたのではないかと疑われる節もある。何よりも心根の優しいところがあり、敵方に対し無情な振る舞いができなかったという面も強い。
妻子を残して逃げたと言われるが、毛利の援軍を得るためには自分がいくしかないと思ったかもしれないし、「御殿自らお願いしまする」と家臣に強く勧められたのかもしれない。毛利の助力さえ得られたら本願寺勢力と挟み撃ちにして、信長に勝てるという確信があったのやもしれない。
また信長に背いた以上、自分が腹を切っても切らなくても、負ければいずれ妻子は皆殺しにされると判断し、賭けに出たのかも。
脱出もコソコソ逃げ出したのではなく、包囲の鎖の弱いところを狙って正面突破したという説もある。
メカケだけ連れてと言われるが、メカケは女武者だったようで、忍びを兼ねていたのかもしれない。いずれにしても現代人が妻子放ったらかして彼女だけ連れて逐電するのとは訳がちがっているはずである。
妻子殺されてから毛利を頼り尾道に逃げたのも、信長をいつか倒すという復讐のためかもしれない。
堺に戻り道糞と名乗ったのも、自分の判断どおりにならなかった事を悔やみ自分を蔑んだのであり、卑怯な自分を蔑んだのではなさそうな気もする。
妻子殺されてからも腹を切らなかったのは、隠れキリシタンだったからかも。
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村重が妻子殺されてからも卑怯者と蔑まれることなく、本能寺の変の前には信長の嫡子信忠が手紙を出して慰め、また堺に戻ってからも元同僚の武将や秀吉に親しまれたのは歴史的事実であり、ただの卑怯者でなかったことを伺わせる。
そもそも妻子一族郎党を残虐な方法で皆殺しにしたのは信長であり、村重が責められるべき事ではないようにも思える。
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池田会長は中立的に話されたのだが、2時間のお話を聞いていて荒木村重弁護論がいろいろと頭に浮かんできた。
終わってからも元有岡城本丸のあった辺の住民で、村重キャラを作り有岡スタンプラリーを開催し、親子連れ200名を集めた主婦の方とお話が続いている。
市民みんなが先生徒講座のいいところは、講座聴き終わってから事が起きるというところにある。今回はどんなアクションが起きてくるか楽しみ。
自分としては荒木村重・名誉回復委員会を作りたくなってきたぞぉ・・・

いずれにしても現代
陸上自衛隊の総監部が置かれ、第三師団の膝下でもある伊丹市。
これはかの地が、地政学上の要衝であることの証。
その地に戦国時代フロイスも驚嘆した有岡城をきずき、又果敢に信長に反抗した荒木村重。

今も伊丹といえば江戸時代・清酒発祥の地で売っているが、その前に有岡城があるやん。荒木村重がおるやん。・・・・・
鉄道工事のためとはいえ、有岡城跡を惜しげもなく破壊してしまったのも、村重の悪いイメージに遠因しているのかもしれない。
その人物像については、市民が新たな像を浮かび上がらせていくしかなさそうである。

信長が攻めあぐねた有岡城。
有岡城総構え図(右下角に本丸があった。現代のJR伊丹駅付近。ピンクが武家屋敷群。オレンジが町民街。オレンジの中にあるグレーゾーンが砦。)
有岡城落城後100年間は本丸跡、ピンクの武家屋敷跡は、荒地となって放置されていたらしい。
伊丹は江戸時代近衛領となってからオレンジゾーンを中心に清酒造りで発展、最盛期200の酒造り問屋が軒を並べ栄ていく。
だが江戸末期に灘においしいところを持っていかれ、現在は白雪と老松の2社だけが頑張っている。

Posted by ぷら坊 at 19:41 | まちプラ講座・イベント | この記事のURL

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