
人間は交換可能な消費単位でしかないのか?[2015年12月15日(Tue)]
こんにちは、ライフの二等兵です。
最近、就活をしていて
「人間は交換可能な消費単位でしかないのだろうか?」
と感じることがありました。
障がい者を雇用したことのない企業は数多いですが、そうした企業が異口同音に言うのが「健常者並みの能力を発揮できるなら障がい者でも構わない」という言葉です。
企業側としては能力がある人間であれば誰でもいい。
裏を返せば、個々の個人の抱えている状況などはパフォーマンスを発揮できればどうでもいい。……ということではないでしょうか。
アニメの『攻殻機動隊 新劇場版』には、
「人はみな、交換可能な消費単位だ。お前と私のどちらが消耗品か、すぐ判る。」
というセリフが出てきます。
これは現代の雇用状況にもそのまま当てはまる気がします。
人間の人格や感情を一切無視した、
経済性・合理性中心の世の中になっている……。
そんな気がしました。
しかし、このような時代であってもなんとか安心して生きていける術を見つけたいと思いました
最近、就活をしていて
「人間は交換可能な消費単位でしかないのだろうか?」
と感じることがありました。
障がい者を雇用したことのない企業は数多いですが、そうした企業が異口同音に言うのが「健常者並みの能力を発揮できるなら障がい者でも構わない」という言葉です。
企業側としては能力がある人間であれば誰でもいい。
裏を返せば、個々の個人の抱えている状況などはパフォーマンスを発揮できればどうでもいい。……ということではないでしょうか。
アニメの『攻殻機動隊 新劇場版』には、
「人はみな、交換可能な消費単位だ。お前と私のどちらが消耗品か、すぐ判る。」
というセリフが出てきます。
これは現代の雇用状況にもそのまま当てはまる気がします。
人間の人格や感情を一切無視した、
経済性・合理性中心の世の中になっている……。
そんな気がしました。
しかし、このような時代であってもなんとか安心して生きていける術を見つけたいと思いました
