
障がいと共感(2)[2015年03月19日(Thu)]
こんにちは。ライフ仙台の炭水化物です。
障がいと共感(1)の続きになります。
ところでなぜ、私を含めアスペルガー症候群の人は、
一般的にコミュニケーションが苦手だと言われるのでしょうか。
一言でいうとタイトルにある、
共感という要素が希薄だからでは?という気がするのです。
私が思うに、アスペルガー症候群とそうでない方が、
それぞれ同じ事象を目の当たりにしたとき、
それに対する感覚や対処方法が異なるので
「そうだね(同意、または理解が可能)」となりにくく、
コミュニケーションに溝が生じることが多い気がします。
特に感情的だったり、
自分の好き嫌いに基づいたルールに
同意することを他人に求める人とは、
しばしば上手くいきませんでした。
コミュニケーション力が低いという表現は、
障がいの無い方がマジョリティであるという状況の中での、
現実的な表現なら合っているとも言えますが、
一方で少数派で在る→多数派の考え
同じ結論にならない→ずれている→したがって下手である、と
無意識に結論付けられているとも思います。
よく喋る方達は「だよね」「でしょ」など
相手に同感する言葉を頻繁に発しています。
私にはこの技術が、もの凄く難しいのです。
多分喋ることが得意な人達は、自然に出てくるんだと思います。
私は本当にそう思った時以外は言えません。反抗心などはなく
(無意味に反抗することも嫌なものの1つに入ります)
事実でないことを言いたくないからです。
次回は、実生活でのエピソードを紹介します。
(次回へ続く)
障がいと共感(1)の続きになります。
ところでなぜ、私を含めアスペルガー症候群の人は、
一般的にコミュニケーションが苦手だと言われるのでしょうか。

一言でいうとタイトルにある、
共感という要素が希薄だからでは?という気がするのです。

私が思うに、アスペルガー症候群とそうでない方が、
それぞれ同じ事象を目の当たりにしたとき、
それに対する感覚や対処方法が異なるので
「そうだね(同意、または理解が可能)」となりにくく、
コミュニケーションに溝が生じることが多い気がします。

特に感情的だったり、
自分の好き嫌いに基づいたルールに
同意することを他人に求める人とは、
しばしば上手くいきませんでした。

コミュニケーション力が低いという表現は、
障がいの無い方がマジョリティであるという状況の中での、
現実的な表現なら合っているとも言えますが、
一方で少数派で在る→多数派の考え
同じ結論にならない→ずれている→したがって下手である、と
無意識に結論付けられているとも思います。

よく喋る方達は「だよね」「でしょ」など
相手に同感する言葉を頻繁に発しています。
私にはこの技術が、もの凄く難しいのです。

多分喋ることが得意な人達は、自然に出てくるんだと思います。
私は本当にそう思った時以外は言えません。反抗心などはなく
(無意味に反抗することも嫌なものの1つに入ります)
事実でないことを言いたくないからです。
次回は、実生活でのエピソードを紹介します。
(次回へ続く)