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会員の声[2014年03月20日(Thu)]
会員の声


今回も活動にご参加いただいた大阪府の中村尚司さんは大阪府立高校の教員で、本会が以前一般募集で参加者を募って活動したとき初めて遺骨収集活動をおこない、沖縄の現実を目の当たりにし、それ以来この活動を熱心に続けるとともに、インターネットを通じてこれらの現実を多方面にわたり発信してくれています。

そして職場の学校でも沖縄の現実や戦争の愚かさを生徒と話し合い、命の尊さを生徒とともに考え伝えてくれている、本会では最も古く熱心で有望なメンバーのひとりです。

活動の最中は真剣な眼差しで黙々と掘り続ける一方、結構おちゃめな一面もあり、周りを明るくしてくれるムードメーカーでもあります。

そんな中村さんより、今回の活動のご感想をいただきました。



「遺骨収集は今回で三回目になりますが、続けていくこととこの現状を伝えていかなければならないと思いました。

自分は初めて参加するまでは、沖縄戦と今の現状について全然しりませんでした。参加してみて、あまりにも知らない自分が恥ずかしくなりました。また、沖縄戦はもう歴史のもの。遠い過去だと感じていました。
若い世代は風化していると思います。戦争を体験していない若い世代がしっかりと引き継がなければなりません。だからこの活動を続けていく必要があると考えました。

毎回参加していつも思うことは、遺骨が見つかったとき、明るい場所にでてこられて本当に良かったなと思います。
この体験を日常の生活に戻っても、忘れずに伝えていきたいです。

中村 尚司」

2014okinawa 042.JPG

壕内部から出た余分な土を、すさまじい馬力で掘り返す中村さん


中村さん、至らぬ点も多いかとは思いますが、懲りずにまた一緒に頑張っていきましょうね。本当にありがとうございました。そして、おつかれさまでした。


重要なお知らせ[2014年03月20日(Thu)]
重要なお知らせ




ホームページ閉鎖のお知らせ

このたび移転のため、ホームページを閉鎖いたしました。
今後必要事項はこのブログ「命と平和を考える」内でお知らせいたします。
また、会員様へのお知らせは、このブログ「命と平和を考える」内の「会員様へのお知らせ」カテゴリへ掲載いたします。



Eメールアドレス変更のお知らせ

今回の移転に伴いEメールアドレスを変更いたしましたので、今後は新しいEメールアドレスへご連絡をお願いいたします。

新しいEメールアドレス
irei.ikotsu@gmail.com




会報「国の宝」休刊のお知らせ

また、上記の諸事情により、会報「国の宝」を休刊させていただきます。



口座閉鎖のお知らせ

上記の諸事情により、郵便振替口座を一旦閉鎖いたしましたので、お振込をなされないようにご注意ください。



会員の皆様および関係者様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3[2014年03月20日(Thu)]
平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3


活動3日目。

この日は糸満市真栄里の陣地跡へ向かいます。

途中、「白梅の塔」横にある自然壕を見学し、ご一緒してくださる浜田さんご夫妻が「白梅学徒隊」について解説してくださりました。

「白梅学徒隊」とは、皆様ご存じの「ひめゆり学徒隊」と同じく女学生による看護隊ですが、「ひめゆり学徒隊」とは違って一般にはなじみがない方も多いかと思います。

「ひめゆり学徒隊」は何度も映画にもドラマにもなりましたが、ではなぜ「白梅学徒隊」の知名度は一般に低いのでしょうか?

それは、「ひめゆり学徒隊」の学生たちは師範学校出身でしたが、「白梅学徒隊」などその他(積徳女学校など、看護隊として学徒動員した学生部隊は数多くあります)の学生たちはみな同じ働きをしたにも関わらず、普通の女学生たちということだけで戦後の扱いまでもが師範学校出身者である「ひめゆり学徒隊」出身者とは違ったのです。

戦後は「ひめゆり学徒隊」と違い大きく報道されることも少なく、慰霊碑建立の際も一般や法人から思うように寄付が集まらず、関係者が出し合って慰霊碑を建立したとのことです。

過去には沖縄戦で犠牲になられた女子看護隊全体の慰霊碑建立や慰霊祭の計画もあったようですが、「ひめゆり学徒隊」関係者が「師範学校出身者を一般の女学生や沖縄以外から来た女学生と同じ扱いにすることは遺憾である」として、この計画はお流れになってしまったという話もあるようです。

政府の命令によりみな同じように過酷な任務を遂行したにもかかわらず、そういった身分の違いを現在もなお引きずり、さらには差別化を図ろうとする人々も多く存在しているのです。

非常に残念なことではありますが、戦争を知らない私たちには到底理解できないことがあるのかもしれません・・・。


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白梅の塔」。この横に「白梅学徒隊」が任務を遂行した病院壕がある。
米軍の馬乗り攻撃により多くの尊い命が犠牲となった。


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浜田さんに当時の状況などの説明をしていただいた。
中に入ると拝所があり、全員で戦没者に感謝と哀悼を祈った。



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中は広い。ここも内部が焼かれて黒こげの状態だ。



このあと私たちは糸満市真栄里へ場所を移し活動をおこないました。

この場所は摩文仁の陸軍司令部に近く、沖縄戦末期に大激戦が繰り広げられた場所です。

私たちが向かった場所は小高い山の頂上付近で、頂上からは360度見渡すことができる場所です。

すべてが見渡せる場所ということは、米軍もこの場所を陥落することが必須であることは言うまでもありません。

しかしそのことが意味することは、日本軍の激しい抵抗に合うということです。


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海側の山の中腹にある陣地跡。
艦砲の標的となったのは言うまでもない。


もちろん海に近いので、軍艦からの艦砲射撃も容易であり、私たちが活動したこの場所では艦砲射撃をもろに受けたであろうバラバラになった御遺骨が多数発見されました。

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小雨が降る中、黙々と掘り続けるメンバー。



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数日前、この場所では浜田さんが顔面の御遺骨を発見しました。

この御遺骨は顔部分だけが上を向いた状態で地表に出ていたと言います。

戦後69年もの間、誰からも忘れられ放置されていたその姿を見たときは、本当に申し訳なく思い、胸が熱くなりました。


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69年間もの間、何を思って空を見つめていたのか・・・


このあと次々に残骨(破片)が発見され、初めて参加したメンバーも骨の見分け方がだいぶ判ってくるようになりました。


この日が活動最終日ということもあり、この後、摩文仁の平和祈念公園内にある「戦没者遺骨収集情報センター」へ移動し、慰霊祭をおこないました。


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全員で御遺骨を並べていく。



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今回発見した御遺骨



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一人ずつ線香を手向ける



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通りすがりの観光客も手を合わせてくれた


今回も無事に事故なく終了できました。

お世話になった国吉勇さんをはじめ、浜田さんご夫妻、西谷さん、又吉さん、そして何より一生懸命取り組んでいただいたメンバーのみなさんに心より感謝いたします。
本当にありがとうございました。
そして、本当にお疲れさまでした。

このブログをご覧の皆様にお願いです。
ここに記したことは、現在の沖縄での現実です。
このことを一人でも多くの方々に知っていただくために、このブログを知人の方に教えて差し上げてください。
また、お世話になっている浜田さんご夫妻のブログにも、詳しく紹介されておりますのでそちらのほうも是非ごらんください。



平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2[2014年03月01日(Sat)]
平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2


活動2日目。

前日と同様、この日も浦添市経塚の軍構築の人工壕で活動をおこないました。

前日に要領を掴んだ女性陣が一番奥を掘り進んで行きます。


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掘りやすい土質のため、女性でも容易に作業できる。


女性陣がどんどんと掘ったこれらの土は作業の妨げとなるため、当然外まで運び出さなければいけません。

実はこれが一番大変な作業で、長年に渡り積もった土の量はとんでもない量になります。

そこで力が強い男性陣でバケツリレーをして、邪魔になるすべての土を外に運び出していきます。


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力をあわせて、バケツリレー!


このような地道で過酷な作業が数時間続き、みんながへとへとになっていたとき、奥で作業をしている女性陣から「何か出てきました!!」との声が。

すぐに中へ入って確認します。

すると小銃弾の塊とともに、何やらレンズらしき物が。

掘りだしてみると、2枚のガラスを貼り合せたもので、どうやら合わせガラスになっています。

そのほか、急造爆雷か何かの一部のようなものや、腐食した革製品などの遺留品が次々と掘りだされていきます。

その中でも非常に珍しいのは、防毒マスクの防毒吸収管です。

防毒吸収管自体はこれまでも各所でたくさん出てきていますが、そのほとんどが湿気などで腐食しており、原形をとどめていません。

ところが今回発見した吸収管は、きれいに原形を保っているだけではなく、当時の塗装(帝国陸軍の国防色)もほとんど残っており、昭和15年製を意味する「昭和15」の刻印やその他の刻印まではっきり残っている完品です。

これには沖縄戦遺骨収集の第一人者である国吉勇さんも「長い間遺骨収集をして吸収管はたくさんあるけど、こんなに状態の良いものは初めて見たね」と驚かれました。




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2枚のガラスを貼り合わせた「合わせガラス」らしい。
長い間土の中に埋もれていたせいか、2枚のガラスの隙間には汚れが。





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火薬?なのか何なのかよくわからないが、割ってみるとタールのように柔らかく、重油のような匂いがした。



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「化工」なのか「化I(アイ)」の刻印



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「昭和.15」の刻印



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多くの遺留品を発見した吉田さんは、本会では最も長いベテラン会員だ。


その後も奥まで掘り進み一番奥まで到達しましたが、ここでは遺留品以外は発見できませんでした。

このように過酷な作業の結果一片の御遺骨も発見できない場合もありますが、御遺骨が発見されなかったということは、この場所ではどなたもお亡くなりになっていないということですので、それはそれで喜ばしいことであると、参加者一同ホッと胸を撫で下ろしました。

こうして一つ一つの壕を掘りつづけ、遺留品さえもまったく出てこないこともありますが、こうした地道な活動により、一柱でも多くの御遺骨を発見できるように、私たちボランティアは微力ではありますが毎年頑張っています。

翌日活動最終日は場所を変えて、糸満市真栄里へ出かけたいと思います。

つづく




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