CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2013年07月 | Main | 2013年09月 »
<< 2013年08月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新コメント
全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉[2013年08月15日(Thu)]
全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉


当然と言えば当然なのかもしれませんが、安倍首相の式辞よりも、平和を願う気持ちや戦没者に対する哀悼と感謝の気持ちがよく表れていると思うのは、私だけでしょうか?

CA9HNSI2.jpg

写真=時事通信


天皇陛下のお言葉

本日、戦没者を追悼し平和を祈念する日に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。



終戦から68年経ちました[2013年08月15日(Thu)]
終戦から68年経ちました


今日8月15日は、終戦記念日です。

あの忌まわしい戦争が終わって、68年経ちます。

先の大戦により命を落とした軍人だけではなく、民間人や外国人を含めたすべての戦争犠牲者に対して哀悼の誠を捧げるとともに、日本だけではなく世界の平和を願う日でもあります。

本日、日本武道館にて執り行われた「全国戦没者追悼式」に天皇皇后両陛下や安倍首相も参列しました。

その中で安倍首相は式辞を述べましたが、昨年までの式辞とは違い「戦争は絶対にしない」という言葉はありませんでした。

去る8月6日には、広島では原爆記念日で平和を誓う式典がおこなわれているなか、海上自衛隊史上最大の護衛艦「いずも」が神奈川県で進水しました。

この艦は空母型で、大きさは長さ約250メートル、幅約38メートルで、戦時中世界最大であった日本海軍の戦艦「大和」「武蔵」とほぼ同じ大きさです。

日本を取り巻く近隣諸国のさまざまな思惑に対して、憲法改正を含む軍事力増強を図りつつある日本。

これらのことは自国を守るためには確かに必要なことなのかもしれませんが、われわれ一国民としては、再び戦争という最悪の事態が訪れないようにと切に願うことしかできません。



安倍首相の式辞全文

 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。

 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。

 いとしいわが子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

 御霊を悼んで平和を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かにこうべを垂れたいと思います。

 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道をまい進してまいりました。

 きょうよりもあす、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。

 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。

 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り開いてまいります。

 世界の恒久平和に、あたう限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。

 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまには、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。


終戦68年 参列予定の妻は過去最少[2013年08月14日(Wed)]
終戦68年 参列予定の妻は過去最少


戦没者御遺族も年々ご高齢になり、遺留品返還も難しくなってきております。
私たちも1日でも早く御遺族にご遺骨や遺留品を返還できるように努力するとともに、過去の歴史の1ページとして忘れ去られようとしている戦争の惨劇を後世に語り継ぎ、命と平和の尊さを伝えていかなければなりません。



毎日新聞の記事より


<全国戦没者追悼式>終戦68年 参列予定の妻は過去最少

 
 68回目の終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下をはじめ安倍晋三首相、99歳から10歳までの遺族ら約5800人が参列する予定。日中戦争と第二次大戦で犠牲になった約310万人を悼み、平和への誓いを新たにする。

 厚生労働省によると、参列を予定する遺族約4800人のうち、戦没者の妻は16人(0.3%)と、統計が残る1981年以降最も少ない。父母の参列予定者は3年連続で0人で、遺族の高齢化が年々進んでいる。一方で戦没者の子は3100人超と約3分の2を占めている。

 式典は正午前に始まり、安倍首相が式辞を述べた後、正午に全員で黙とうする。天皇陛下のおことばに続き、衆参両院議長や遺族代表らが追悼の辞を述べる。

 15日は全国36都道県で関連行事があり、厚労省のまとめでは約4万9000人が参加を予定している。

【遠藤拓】


あなたはどう思いますか?[2013年08月14日(Wed)]
あなたはどう思いますか?


山形新聞の記事を転載します。
先人たちが残してくれたこの国をどの方向へ向かわせるのかは、今を生きるわたしたちが決めることです。
多くの犠牲により成り立っている日本。
いまのままでいいのでしょうか・・・。
難しい問題ですが、あなたはどう思われますか?




山形新聞より


元兵士・遺族、改憲議論を思う。ニューギニア作戦に参加・斎藤繁衛さん


 安倍晋三首相が憲法改正に関する発言の度合いを強めている。戦争放棄と戦力不保持を明記した9条の改正を念頭に、集団的自衛権の行使容認にも前向きだ。先の大戦で死線を超えた元兵士、辛苦を味わった遺族らはこうした状況をどう受け止めているのか。終戦記念日を前に、あらためて語り継ぐべき戦争体験や平和への思いを聞いた。

国を守る抑止力必要
 歩兵第224連隊は1944(昭和19)年1月から45年8月の終戦までの間、オランダ領ニューギニアで連合軍と戦った。同連隊所属の約3300人のうち、生還したのは600人程度。斎藤繁衛さん(93)は生存者の一人だ。

 40年12月、20歳で兵役に就いた。224連隊は中国山西省の南部にある周村鎮警備に当たっていたが、44年1月にニューギニアでの作戦に加わった。

 5月に米軍が上陸作戦を開始すると、日本軍は苦戦を強いられた。日本軍が「入江峠」と名付けた場所での戦闘で、斎藤さんの中隊は最前線に投入された。初めて対峙(たいじ)した米軍の圧倒的な戦力。一方的に弾丸を撃ち込まれ、顔を上げることすらできない銃撃戦で、仲間を何人も失った。「『ドーン、ヒュッ』という花火のような音の後、辺りが真っ白になった」。近くで迫撃砲がさく裂し、仲間2人が倒れた。そのうちの一人が「天皇陛下万歳」と最後の言葉を残して亡くなった。「即死と違って、腹を撃たれたら死ぬまでに時間がかかるから、そう言って死ぬんだ」。斎藤さんは「二度と聞きたくない言葉だ」と話す。

 ニューギニアは飢えと病との戦いでもあった。海上封鎖のため日本からの食料供給が滞り、現地は慢性的な食料不足だった。「人の肉以外はなんでも食べた」。ヘビ、カエルなどはもちろん、腐ったサゴヤシをひっくり返して裏にいる虫のさなぎを集めて食べた。名前は知らない。皆は「サゴムシ」と呼んだ。コメが尽きてからは、サゴヤシから取れるでんぷんも貴重な栄養源だった。

 生水は飲めない。一度沸騰させる必要があったが、煙や火の明かりは敵に居場所を知らせることになる。夜に大きな葉で火の明かりを隠すようにして湯を沸かした。

 戦闘の長期化や食料不足で体力が落ちた兵士をマラリアやアメーバ赤痢などの病気が襲った。多くの兵が衰弱して死んでいった。免疫ができる他の熱病と違い、マラリアは何度でも感染する。寒けが1時間ほど続いた後に、40度以上の高熱が出る。赤痢などを併発し、栄養失調などで命を落とした。ニューギニアで亡くなった224連隊の約2700人中、約3分の2が病死や餓死だった。

 斎藤さんは「戦争は2度とすべきではない」とする一方で「今の日本には他国の脅威から国を守れるだけの十分な力が無い。戦争の悲惨さを知っているからこそ、憲法9条を改正して国を守る対策を取ってほしい」と強調する。「現状のままでは、拉致問題も領土問題も解決しない。戦争のためではなく、国を守る抑止力の強化として、9条改正を望む」

 「戦場で亡くなった戦友のことを書きたい」と今も戦争に関して執筆を続ける斎藤さん。テレビで流れる戦争の映像は見るのも嫌だが、ニューギニア戦線の悲惨さが世間にあまり知られていないことが悔しいという。「経験している自分だからこそ伝えられることがある」。涙をにじませながらこう語った。
(報道部・白井一歩)


戦没6万331人分を名簿に[2013年08月14日(Wed)]
戦没6万331人分を名簿に



大東亜戦争(太平洋戦争)時には多くの商船や輸送船も攻撃対象となり、海の藻屑と消えてしまいました。
海没した船や航空機からは、ご遺骨はもとより遺留品すらも収容することは難しい場合が多いのです。
しかし、こうした悲劇が繰り返されないためにも、今を生きる私たちが忘れず、語り継ぐことが必要ではないでしょうか。



毎日新聞の記事より


闇に沈んだ船員に光。
神戸の資料館、戦没6万331人名簿に。5年かけ来月完成


 太平洋戦争中に徴用され、撃沈された民間船などの資料を集めた「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区)が、戦没した船員の名簿6万331人分のデータベース化を進め、9月に完成する見通しになった。ばらばらだった記録を体系的にまとめる作業で、5年前から始めた。その過程で、輸送船の犠牲者が従来把握されていたより数十人多かったことが判明するなど、埋もれた歴史に光があたり始めた。【石川貴教】

 戦没船員の情報はこれまで、船舶関連団体などによる公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」(東京都)の資料など膨大な名簿の中から、本籍地や氏名を頼りに探していた。しかし、本籍地が不明だったり、氏名の読み方が分からない場合があり、遺族が探すのを諦めるケースもあった。

 そこで、同資料館が2008年から、同顕彰会の資料を基に、船員の氏名を50音順にリストアップ。▽生年月日▽没年月日▽死亡場所▽船名や職名▽本籍地▽遺族の名前と続き柄−−について蓄積した資料と照合して一人ずつ事実関係を確認しながら整理している。現在、スタッフ5人が作業している。

 新たな発見があったのは、1944(昭和19)年11月17日、米潜水艦の魚雷で撃沈された輸送船「摩耶山丸」。陸軍に徴用され、フィリピン・レイテ島に兵員や物資を運ぶ途中だった。船の所有会社の資料では、戦没船員は55人とされていたが、同資料館のまとめ作業で、他に数十人の船員が戦死していたことが分かった。調査の結果、「乗船していた4000人以上の兵士の食事を担当した人」と推察されるという。

 他にも、船名の誤植や、沈没時期と船員の没年月日の食い違いも見つかった。遺族の項目に同じ女性が「妻」「母」の続き柄で何人分も並ぶケースもあり、スタッフの大井田孝さん(71)は「家族を何人も亡くしたのかと思うと、やるせない気持ちになった」と打ち明ける。それでも「データベース化が、新たな歴史が分かるきっかけになれば」と話す。問い合わせは同資料館(078・331・7588)。



戦没した船と海員の資料館


 太平洋戦争で国に徴用されたり、物資を戦地に運ぶなどして撃沈された民間船とその船員の資料館。生き残った船員や遺族でつくる「戦没船を記録する会」が約6年かけて収集した資料の寄贈を受けた全日本海員組合(本部・東京都)が、2000年に関西地方支部所有の海員ビル(神戸市中央区)にオープンさせた。犠牲になった船の模型や写真、図面などが展示されている。入場無料。


検索
検索語句
プロフィール

遺骨収集ボランティアグループ 戦没者慰霊の会ひょうごさんの画像
遺骨収集ボランティアグループ 戦没者慰霊の会ひょうご
プロフィール
ブログ
リンク集
https://blog.canpan.info/ireinokai/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ireinokai/index2_0.xml