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遺留品情報[2013年02月15日(Fri)]
遺留品情報


平成25年2月8日、「中川清」と刻まれた万年筆(下記の写真)を沖縄県糸満市糸洲の軍構築壕にて発見し保管しています。

沖縄戦でお亡くなりになられた「中川清」というお名前のかたは、福井県に2名、石川県に1名、計3名おられます。

現在、戦死者3名の情報は福井・石川両県及び厚生労働省に問い合わせし調べていただいております。

また、沖縄戦の生還者が「当時沖縄のどこかで万年筆を紛失した」、「当時、別の場所で中川清さんから預かったが、その後どこかで紛失した」など、さまざまな可能性が考えられます。

【概要】
●この万年筆を発見した場所は糸満市糸洲です。
●この壕は人工壕で、独立歩兵第21大隊が陣地として1945年6月5日以降に構築しました。
●1945年6月8日からは独立歩兵第23大隊もこの場所に合流しています。
●1945年6月16日夜間、独立歩兵第21大隊・第23大隊は宇江城・真栄平方面へ移動しています。
●それ以降はこの場所に組織的な日本軍は駐留していません。


これらの情報にお心当たりがございましたら、どのような些細な情報でも構いませんので本会事務局までご連絡をお願い致します。

遺留品返還のために、ぜひ皆様のご協力をよろしくお願い致します。

※遺留品の返還は無償でおこないますので、どうぞご安心ください。


中川清さん万年筆B送信用.jpg

中川清さん万年筆A送信用.jpg

中川清さん万年筆@送信用.jpg


戦没者慰霊の会ひょうご事務局 楠田まで
〒678−0043 兵庫県相生市大谷町8−8
電話 090−6667−7661
FAX (0791)22−7661
  Eメール irei-hyougo@zeus.eonet.ne.jp






平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 6[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 6


番外編。

沖縄で遺骨収集をしていると、めずらしい様々な生き物と出会うことがあります。

今回の活動で真っ暗な壕を掘っていると、何やら小さな生き物がこちらの様子をうかがっています。

ふと見てみると、トカゲのようなヤモリのような・・・。

尻尾は太短くグレーで横から見ると笹の葉っぱのような形で、胴体はオレンジの模様で目もオレンジで吊り上がっており、非常に目つきが悪い。

こいつの正体は「クロイワトカゲモドキ」。


2013 okinawa 006.jpg


沖縄遺骨収集 093.JPG

写真下は去年の遺骨収集で撮ったもの
たぶんこれも「クロイワトカゲモドキ」だと思うんですが・・・
なんか、尻尾が違うような・・・


聞けば沖縄県の天然記念物で、どうやら非常にめずらしいらしいです。




違う場所では、大きなヤドカリが。

ちょこっと触るとすぐに貝の中に隠れてしまう、シャイな奴です。


2013 okinawa 125.jpg


2013 okinawa 126.jpg


こいつの名前は・・・すみません、忘れてしまいました。

なんでも、こいつも沖縄本島にしか生息していないらしいです。

興味がおありの方は調べてみてください。




最後はついでに、以前遺骨収集をしたときに見つけた「ヒカリゴケ」


沖縄遺骨収集 043.JPG


沖縄遺骨収集 044.JPG


フラッシュで少しわかりにくいのですが、真中の少し左の黄色っぽい点々がそうです。・・・多分。

「ヒカリゴケ」は自らが発光するのではなく光を反射するらしく、ライトを消すと見えなくなります。


沖縄で遺骨収集の合間に出会った、ほんのつかの間のやすらぎを与えてくれためずらしい生き物たちでした。

平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 5[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 5


慰霊祭。

今回の4日間の活動でお迎えした御遺骨を並べて、最後に慰霊祭をおこないます。

この日までにお迎えした御遺骨は、土のう袋8袋にもなります。

まずは土のう袋をきれいに敷き、御遺骨を素手でだいたいの部位ごとに丁寧に並べていきます。

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壊さないように丁寧に素手で並べていく


茶色っぽい御遺骨とコケが生えたようで白っぽい御遺骨があるのがおわかりでしょうか?

茶色の御遺骨は地中に埋まっていた御遺骨で、コケが生えたようで所々緑がかって白っぽい御遺骨は、地表に転がっていた御遺骨です。

沖縄戦から68年近くも経っているにも関わらず、並べ終わって改めて見ると御遺骨の多さに驚かされます。

御遺骨をひとつひとつ並べながら、68年前にここでどのようなことがあったのかを考えると目頭が熱くなってきます。

遺骨収集活動のなかでも、一番悲しく辛い瞬間です。

すべての人が無言で御遺骨を並べていきます。

これが、沖縄の現実なのです。


並べ終わるとろうそくを灯し各自線香をお供えし、戦争終結の報告と哀悼の誠を捧げます。

中には涙をこらえきれずに、車のところまで行き涙をぬぐう方もおられました。

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今回お迎えした御遺骨の中には、1歳にも満たない子供の御遺骨や、3〜4歳くらいの子供の歯も多く含まれていました。

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子供であろう御遺骨を手に語りかける正木氏


慰霊祭が終わると、国吉氏がメンバーを集めて人間の骨格について講義をしてくださり、みなさん聞き入っていました。

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参加者に講義する国吉氏


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顎と頭部を合わせて確認するメンバー


すべての御遺骨を前に、平和のありがたみと命の尊さ、そして戦争の惨劇と沖縄の現実を目の当たりにしたメンバーたちの気持ちは、活動を始める前とは明らかに違うものになっているのが感じ取れます。

このあと全員で頭から足の骨までを一柱として、二柱を一袋にして袋にお納めします。

結果、今回お迎えできた御遺骨は十六柱にもなりました。

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二柱ずつ丁寧に袋に納めていく参加者


このあとこれらの御遺骨は、何人分の御遺骨であるかを調べるために、とりあえず沖縄県平和祈念公園内の仮安置室へ納められることになります。

その後、荼毘に付され、納骨されることになります。



これをご覧の方々はここで見たことをご家族や知人にお話ししてください。

そして、命について話し合ってください。


普段の生活ではありえない現実を肉眼で見る。
そして、他人の骨を素手で触り感じることなど、一生のうちにまずありえないことでしょう。

メンバーは貴重な時間と旅費などを使い、沖縄戦でご親族がお亡くなりになったわけでもなく、子供たちに命の尊さや「人」としてのありかたを伝えたいとか、忘れ去られようとしている戦没者たちのために何かできないかと思い集まった方々です。
遺骨収集活動はかなりの重労働で精神的にも過酷であり、これをすることによりだれかが得をするものでもありませんが、参加者の方々の熱い思いを知ってください。

沖縄の暗く冷たい山野に眠る御遺骨は、まだまだ数え切れないほどあります。

さらには、海外に眠る戦没者は百万人を超えるといわれています。

土に埋もれ、誰の目にもつかず誰からも忘れ去られた彼らの戦争は、まだ終わってはいないのです。

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平成25年沖縄戦戦没者遺骨収集活動 おわり



この度の活動にご協力いただいた、国吉さん、浜田さんご夫妻、正木さん、本当にありがとうございました。
また、今回ご参加いただいたメンバーの方々もありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
本当に感謝しております。            



平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 4[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 4


活動4日目。

この日は朝から那覇市の国吉勇氏のご自宅にある「国吉戦争資料館」へ見学に行き、その後遺骨収集へ向かいます。

74歳の国吉氏は60年もの間1人でご遺骨を掘り続けており、沖縄での遺骨収集の第一人者で、ご本人も沖縄戦でご家族を亡くされています。

国吉氏は沖縄戦で亡くなられた方すべての犠牲者を軍民関係なく捜索し続けており、本会の主旨にも深くご理解いただき、いつもご協力いただいております。

こちらの資料館では、長い年月をかけ国吉氏が発掘された遺留品を15万点以上展示しており、日本最多の展示数を誇っているそうです。

国吉氏は発掘し持ち主が特定できないものはすべて出土した日付、場所、品名などを明確に記録しています。

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以前、国吉氏とともに病院壕で発見した珍しい薬
場所や日付などが書かれている


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まだ洗浄途中の今回発見したもの


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ノコギリで切断された腕の骨
病院壕でのもの


鉄でできた物や傷みやすい物は、腐敗や浸食がそれ以上進まないようにきれいに洗浄し錆止めなどの加工を施し、出来る限り発掘した当時のまま保管することを心がけています。

国吉氏は資料館をどなたにでも公開し、通常の資料館では禁止されている写真撮影や手にとって触ることもできるようにされています。

しかし残念なことに、たまに一部の不届き者が展示物を持ち去ってしまうとか・・・。

ここでは国吉氏ご本人が詳しく解説してくれるので、とてもわかりやすい資料館になっています。

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国吉氏の説明をうけるメンバーたち


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見学する女性メンバー


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自由に撮影するメンバー


「国吉戦争資料館」の見学で詳しい説明を聞き終えた後、前日の続きを調査するために移動します。

説明を受けて現物を見ることで、出土したものが何なのかがわかりやすくなります。


現場に着き、前日と同じく女性陣はお一人を除き再び正木氏とともに調査します。

最年少の女性はと言うと、どうしても前日と同じ場所を一人で調査したいとのことで、タコ壺の続きを調査していただきます。

相変わらず作業は思うように進みません。

そこへ1時間ほど一人で散策に行っていた国吉氏が帰ってきて、新たな大きな壕を発見したと言っています。

さらに、その壕は土が柔らかくて作業がしやすいらしく、国吉氏と浜田氏が活動最終日である私たちに気を使ってくださり、
「タコ壺は後日時間をかけてするので、やりやすいほうへ行こう」
と言って下さり、そちらへ向かうことにしました。

私たちは泣く泣くタコ壺をあきらめ、移動しました。

ところが国吉氏についてジャングルを進むと、かなりの急勾配の崖になります。

スコップやツルハシ、それに弁当などのたくさんの荷物を担いで降りるには、かなり大変です。

浜田氏と私は
「さっきほんとに、国吉さん一人でこんなところ行ったの?」
などと口から出るほど険しい道です。

国吉勇74歳、恐るべしスーパーおじいちゃん!!

てな感じでジャングルを20分ほど歩くと、その壕はありました。

入口は2つありますが、1つは岩で塞がっており、入ることができません。

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壕の片方の入口
岩があり、入れない


5メートルほど離れた場所にもう一つ入口がありますが、かなりの勾配で、入口も狭い。

国吉氏は食事を取らず中へ行くと言って、一人で壕の中へと消えて行きましたが、我々はまず昼食にします。

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昼食もとらずに壕に入っていく国吉氏


私が知り合ったころの国吉氏は、昼食こそ取らなかったのだが、必ず500mlのスポーツドリンクを持って壕に入っていました。

しかし最近は、飲み物も全く持たずに来て、朝から夕方までろくに休憩もせずに掘り続けます。

ご高齢ということもあり、少し心配です。


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つかの間の休憩


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過酷な活動のあいまの昼食に、笑顔もこぼれる


昼食が終わり、まずは私が中に入り、少し入口を広げてから順番に入って行くことにします。

入口はかなり狭く、匍匐前進で入ります。

中はかなり広い人工壕で、焼かれた形跡は全くありません。

まずは内部を調査します。

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入口すぐからの内部
15メートル程で突き当り、左に曲がる


2013 okinawa 137.jpg

さらにその奥を20メートル進むと突き当りに


この壕は入ると約15メートルで突き当りになり、広く部屋のようになっています。

そこからは左にしか曲がれず、左に行くと幅3メートルほどの通路でその先約15メートル程で突き当ります。

そこからは左右に幅1.5メートル程の通路があり、左へ行けば表の岩で閉ざされたもう一つの出口へと繋がっています。

右に行くと約15メートルで突き当り、そこは水場となっていました。

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一番奥の水場
壁も池もご覧の通り、人工的に四角く掘られている


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一番奥には水場があり、澄んだ水がたまっていた
水の中には一匹のカニが・・・


私たちが昼食を取っている間から掘り始めている国吉氏は、すでに御遺骨を出していました。

遺留品は電球やソケット。ここには照明があったようです。

早速みんなで掘り始めます。

土質は「クチャ」と呼ばれる硬めの泥で、掘るのは簡単ですが靴底や道具には粘土質の泥がからみつきます。

掘っていくとメンバーがご遺骨をいくつかお迎えします。

私の場所は水場が近い場所なので、水ガメや瓶ばかりがでてきます。

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水ガメや瓶のかけら


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泥まみれ汗まみれになり作業するメンバー


ここの地盤は50センチ程ででてきます。

崩れ方も壁のみで、天井はほとんど崩れていませんでした。

その後も広範囲を掘っていきましたが、小さなご遺骨とわずかな遺留品が出ただけで、身元が確認できるような物も出ず、残念ですが時間となり終了としました。

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出る時も当然這って出ます


このあと再びジャングルを20分かけて車の場所まで戻り、今回お迎えしたご遺骨を並べて慰霊祭をおこないます。

平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3


活動3日目。

この日からはさらにメンバー5名が参加しました。

お一人を除いてメンバーの方は遺骨収集には初参加ということですので、まずは現地を実際に見ながら危険事項を説明していきます。

前夜に簡単な説明会をおこない注意事項などを説明していましたが、参加者たちは現場を目の前にして緊張しているのがわかります。

前日、立ちあがる際に崖から垂れさがっているツルを引っ張り、頭上から大きな岩のかけらがヘルメットを直撃するというアクシデントがありましたので、垂れさがるツルや崖と壕内部の側面には絶対に触らないようにと説明します。

次に、狭い壕に2班に分かれて入り、全員に壕内を案内し説明します。

今回まず、女性陣は前日に引き続き正木氏が調査している小さな壕を担当していただき、男性陣は前日まで私と国吉氏が調査していた深い壕内部の掘削をおこなっていただきます。

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正木氏の丁寧なご指導を受けながら作業するメンバー


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作業開始すぐ、次々に御遺骨をお迎えするメンバーたち


男性陣のお一人のN氏は経験者ですので、すぐに状況を把握し、もう一人のメンバーとともにスムーズに作業をこなしていきます。

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狭く暗い壕内で作業する男性メンバーたち
大きな岩が作業を阻む


壕内部は非常に狭く、作業は二人が限度。

見ると、経験者のN氏が一緒にいるもう一人をしっかりサポートしています。頼れる存在です。
やはりこういう方がおられると非常に安心ですね。


狭い壕内部は二人の男性陣に任せ、私は浜田氏ご夫妻と壕がある山の上に登り、周辺を調べます。

この山の頂上はさほど高くなく、数十メートルほどしかありませんが、頂上に登るとそこは360度見渡せる場所となっており、周りには視界を遮るものはありません。

遠くに与座岳や糸満市内を望み、反対側は摩文仁や荒崎海岸方面の海も望めます。

頂上付近のジャングルを歩くと、そこらへんに不自然な石積みがたくさんあります。

トーチカ跡です。

さらには、通称《タコ壺》と呼ばれる一人用の塹壕跡が等間隔で無数にありました。

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《タコ壺》と呼ばれる一人用塹壕の跡


その下には散兵壕跡もたくさんあります。

散兵壕とは、みなさんも映画などでご覧になられたことがあると思いますが、人が隠れるほどの深さの長い溝のような塹壕です。

この散兵壕は敵に向かって左右に長く掘られており、等間隔で何人もの兵士が隠れて狙撃などをしていた場所で、掘れば必ずと言っていいほど御遺骨や遺留品がでてきます。

浜田氏ご夫妻と相談し、正木氏たちが掘る壕はそのまま継続し、男性陣が調査している軍構築壕はこれまで御遺骨が一切出ていないのであとは国吉氏にまかせて、男性陣は午後から山頂のタコ壺を調査することにしました。


午後になり、男性陣は三か所のタコ壺に分かれて作業開始です。

私も早速掘削開始。
しかし70年近くという年月により、雨ざらしの土砂は硬化し非常に硬い粘土質となり、その上、ジャングルの木の根が作業を阻みます。

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タコ壺を掘るメンバー。
堅い土と根っこが作業を阻む


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慣れない作業で汗だくになり休憩するメンバー
汗だくになり一生懸命に作業する彼らの、熱い想いが感じられる


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座り込み、必死に木の根と格闘する浜田夫人。
さすがに慣れた手つきで、手際良く木の根を切っていく


私も負けじとタコ壺を掘っていきます。

すると、比較的浅い場所から薬莢や瓶と、立て続けに御遺骨ががでてきました。

2013 okinawa 095.jpg

出てきた日本軍の薬莢と瓶。
写真右は粉々になっていた御遺骨の一部


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発見したご遺骨


《タコ壺》は通常1.5メートルから2メートルほど掘らないと当時の地盤までたどり着かないことが多いのですが、私が出した御遺骨は、約30センチ程下から出てきました。

この山頂には大きな不自然な穴ぼこがたくさんあります。

おそらく、まわりに360度遮るものがないこの山頂は艦砲射撃や空爆の恰好の目標となったに違いありません。

つまりこれらの不自然な穴ぼこは、アメリカ軍の攻撃により炸裂した砲弾や爆弾の爆発跡ということです。

「鉄の暴風」と言われるほどの攻撃により、このあたりの兵士はおそらくはみなバラバラに砕け散ってしまったのでしょう。

沖縄戦をある程度学ぶと、攻撃を受けたその日のことを想像するのは容易であり(実際には想像よりはるかに酷いことがあったのでしょうが・・・)、このような御遺骨を見るたびに、涙がでてきます。

戦争の悲惨さを感じる瞬間です。

一方、浜田氏は自然石がトーチカ変わりになりそうな場所を調査しています。

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大きな隙間を調べる、浜田哲二氏。
岩の隙間に頭を突っ込み、内部をくまなく調べている


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男性さながらに一人でタコ壺を掘り続ける、女性メンバー
青森からはるばる来た、今回最年少の25歳だ


その後は鉄片などが多く出土していましたが、ほとんどが砲弾や爆弾の破片でした。

みんなへとへとになり時間がきたので、今日の調査は終了としました。


調査を終えた私たちは、近所にある「糸洲の壕」と呼ばれる自然壕を見学に行きました。

この壕は以前このブログでも紹介したこともありますが病院壕として使用されており、「積徳高等女学校」の生徒たちが看護婦として学徒動員され、犠牲になっています。

住民は昼は壕内に隠れ、夕方から芋を掘り家で煮炊きをするという生活を約2ヶ月も続けたといわれており、その環境の悪さはひどかったといいます。

2013 okinawa 096.jpg

「糸洲の壕」と呼ばれる、ウッカ―ガマ自然壕に入るメンバー


中はほとんど手を入れられておらず、ほぼ当時のままの姿を保っています。

中に入り、真っ暗な中、懐中電気を消して当時を体験してもらいます。

68年前、この壕では負傷者のうめき声や死臭が漂い、気が触れた人々や苛立った人々がワッサワッサと歩き回り奇声が聞こえ、それを黙らせるために軍人が怒鳴る声が響き渡っていたのでしょう。

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真っ暗なガマ内部を見学するメンバー


当時の雰囲気を感じたメンバーは神妙な面持ちで内部に見入っていました。

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見学を終えガマを出てくるメンバー。
「オキナワ」を直に感じ、何を思ったであろうか


この日、初めての体験ばかりのメンバーは戸惑いながらも懸命に「沖縄の現実」に向き合っていました。

本会では遺骨収集活動だけではなく、せっかく遠くまで来て下さるメンバーに、一般の観光地として整備された壕やガマではなく、なるべく当時の沖縄を知っていただくための平和学習として、多少危険ではありますがこのような自然壕を見学し、沖縄戦の追体験も取り入れています。

翌日は朝から「国吉戦争資料館」の見学をおこない、遺骨収集に挑みます。

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国吉氏のご自宅にある「国吉戦争資料館」


平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2[2013年02月12日(Tue)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2


活動2日目。

昨日の続きを掘り続けます。

前日とは異なり、遺留品もほとんど出てきません。

国吉氏もほとんど何も出ていません。

一方、隣の壕では正木氏が多くのご遺骨をお迎えしています。

そろそろ、側面の壁も近いことだし「もう、ここは何も出そうもないから、方向を変えて出口に向いて掘っていきましょうか?」と国吉氏と相談。

そんな時、何か黒い物が見えましたが、掘った穴の側面が崩れてきて、その黒い物は埋まってしまいました。

「なにか出たの?」と国吉氏。

「ちょっと待って下さい。崩れたので掘って探します。」

すると出てきたのは万年筆でした。

しかし、真中あたりでポッキリと折れています。

真っ暗な中、出てきた万年筆の土を軍手でぬぐいライトを照らすと、なんと名前が書いてあります。

《中川》

「あ〜、名字だけみたいですね。」

2013 okinawa 033.jpg


残念などと思いながら、裏を見るとなんとフルネームが。

《中川清》

「国吉さんっ!、裏にフルネームがあります!!」

「えっ?なんて書いてるの?」

「中川清さんです」


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”NORTHSTAR”と書いてあります


折れた部分を必死に探しますが、残りの部分もペン先やキャップもついには見つけることはできませんでした。

しかし、フルネームが書かれた部分が発見されたことで、持ち主を特定し、御遺族にお返し出来る可能性はあります。(詳しくはホームページの遺留品情報をご覧ください)

その後は日本刀を手入れする丁子油の瓶などの遺留品は出ましたが、やはり御遺骨はかけらも出てきませんでした。

この丁子油の瓶は、発見時には中身は入っていませんでしたが、しっかりキャップが閉められていました。

この丁子油は東京の陸軍偕行社軍需部製の「壽屋(スヤ)」のものです。

もしかしたら、出撃を前に軍刀の手入れをしたのかもしれません。

それにしても、空になった瓶にもきちんとキャップを閉めてから置いておくなんて、かなりきっちりとした方のようで、やはりここには日本人としての誇りや武士道を知る高い階級の方がおられたのかもしれませんね。


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軍刀の手入れに使う丁子油「スヤ」の瓶。キャップはベークライト製。
(写真は国吉さんが持ち帰り洗浄後に撮影)



こうして、2日目の活動も終了しました。

平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 1[2013年02月12日(Tue)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 1


今年も沖縄県へ遺骨収集に行ってまいりました。

日程は2月7日〜10日の4日間です。

今回はいつものように那覇市の国吉勇氏と青森の浜田哲二・律子ご夫妻をはじめ、神戸の正木麻衣子氏と沖縄県のY氏にもご協力をいただきました。

場所は沖縄本島の南部に位置する糸満市糸洲(いとす)で、多くの壕やガマがある場所です。

現場に到着し、まずは状況を確認します。

約10メートル離れた2つの人工壕を同時に調査していきます。

1つは奥行きが約2メートルで天井が2.5メートルほどの浅い自然壕ですが、この小さな壕ではすでに多くのご遺骨をお迎えされていました。

もうひとつは、急勾配下りの奥行き約15メートルの軍構築の人工壕で、突き当りから鋭角に左へ折れ曲がり再び急勾配で登り、その先約10メートルほどで別の出口へつながっていますが、一番奥から出口への上り坂はかなりの土砂が崩れ落ちていました。

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人工壕の入口。入口は狭く、四つん這いではいらなくてはならない。
また、入口の頭上は今にも崩れ落ちてきそうな岩を、垂れさがる木の根やツルが支えているだけで、非常に危険な状態。


中に入るとやはり火炎放射器で真っ黒に焼かれていました。

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相変わらず、真っ黒に焼かれた壕の側壁


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内部から入口を望む。
1メートルあるかないかの狭い入口


とりあえずは2人ほどで作業ができるかというくらいに天井が崩れ落ちており、蓄積した土砂は約1メートルにもなっています。

この土砂をいつものように当時の地盤まで掘り下げなくてはなりません。

真っ暗な中、国吉氏と共に掘り続けると、いつものように小銃弾などの遺留品が出てきます。

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壁の黒いところの一番下のラインまで土砂が蓄積しているのがおわかりだろうか。
ラインから当時の地盤まで約1メートルを手で掘り下げる。


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湿気が多く蒸し暑い中をもくもくと手際よく掘り続ける国吉氏。
とても74歳とは思えない動きだ。


さらに掘るとハブラシが出てきました。

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わかりにくいが、「ライオン」と書かれている


さらに掘るともう一本ハブラシが。

このハブラシは資生堂と書かれており、きちんとセルロイドのケースに納められていました。

おそらく、指揮官クラスの将校が使用していたのでしょう。

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「資生堂」の文字が書かれている


掘り続けること数十分、今度は陶器の食器類が多くでてくるが、御遺骨はかけらも出てきません。

割れた食器や茶碗がつぎつぎにでてくるなか、ひょうたん型をした小さなものを発見。

なんと、箸置きでした。

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かわいい箸置き


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裏側を見れば箸置きとよくわかる


この壕の周辺はかなり多くのゴミが捨てられているので、はじめは現代ゴミかとも思いましたが、戦時中の地盤付近で出土したことと、ここはそれまでだれも調査していない場所であることから、戦時中のものだとわかります。

国吉氏も「こんな形のものは、はじめてだ」と、興味深々。

このあと鍋なども出たことから、おそらくこの付近は炊事場だったのかもしれません。

さらに掘ると国吉氏が軍刀を腰につりさげるために装着するベルト「略刀帯」の左に刀と略刀帯を繋げておく「グルメット」と呼ばれるものを発見しました。

通常、グルメットは帯刀する下士官以上の者が装着しているのですが、普通は幅2センチほどで細く、長さは25センチ〜30センチの皮製の軍官給品ですが、今回出たものは皮の部分が編み上げた鎖で出来たものでした。

これは将校などがよく特注したものです。(写真を撮るのを忘れました)

その後は軍官給品の茶碗が出てきたのですが、これがまた国吉氏も見たことが無いものらしいです。

これまで、この壕では御遺骨が全くでていないことから、もしかしたら隊長や参謀などの上級将校が使用していた可能性が高いようです。

その後はアンプルや方位磁石、一升瓶に入った燃料(軽油のような匂いがしました)ほかの遺留品がでてきました。

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この日出てきた遺留品。

グルメットは国吉氏が持っていたため写真がありません。


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美しい絵柄が焼かれた茶碗。軍の官給品を示す「岐」の文字が見える


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軍官給品としては珍しい、「梅とウグイス」の柄


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燃料が入った一升瓶


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「NODA SHOYU」と書かれている



一方、もうひとつの壕では正木氏とY氏が地道に作業しています。

こちらのほうは、どちらかと言えば遺留品はほとんどなく、御遺骨だけがたくさん出ています。

正木麻衣子氏は国吉氏とともに活動をはじめて、9年のベテランです。

大きな御遺骨はもちろん、粉々に砕け散った小さなかけらも見逃さずに丁寧に拾い集めています。

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細かいひとかけらも逃さず慣れた手つきで丁寧に御遺骨を集め続ける、正木麻衣子氏


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土のう袋いっぱいに集められた御遺骨


やはり、細かい作業は女性にお任せして、男性はせっせと体力仕事のほうがいいみたいですね。

こうして時間が来たので、第1日目の活動は終了としました。


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