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どうしても間に合わせたい[2011年10月31日(Mon)]

どうしても間に合わせたい


昨日、沖縄県でお世話になっている国吉勇氏よりお電話をいただきました。

以前よりホームページや当ブログでもお伝えしている、「木下勇吉」さんの万年筆の件です。

木下勇吉さんの情報は、私以外に、国吉氏と長年お付き合いがあり共に遺骨収集をされてきた小倉暁氏(70)が調べてくださり、かなり有力な情報を入手していました。

小倉氏は元自衛官で、木下勇吉さんの配属部隊などをもとに防衛省へ掛け合い、御遺族を探し当てました。

木下勇吉さんの御遺族は鳥取県境港にお兄様の奥さまがただ一人御健在とのこと。

御遺族はぜひともと返還を望まれているが、なにぶん御高齢であり(90歳になる)取りに行くことや慰霊参拝はできないと言います。

来月半ばに御家族の法事があるらしく、それまでに木下勇吉さんの万年筆をお返し出来ればと思い、現在沖縄の国吉氏と小倉氏と調整中です。

御遺族は法事までとのこだわりがおありのようで、もしかするとお兄様などが沖縄戦でお亡くなりになった弟の勇吉さんのことをずっと気にかけておられたのかもしれません。

あと、勇吉さんが戦死されたとされる場所が、万年筆が発見された場所より約2キロほど離れていることもわかりました。

では、なぜ万年筆がお亡くなりになった別の場所から発見されたのであろうか?

我々は、そのことも調査中です。

万年筆をお返しする日までに、木下勇吉さんの正確な命日とともにお調べ差し上げたいと考えています。

ちなみに、木下勇吉さんは、24歳という若さで戦死しています。

階級は陸軍伍長でした。


うれしいメール[2011年10月24日(Mon)]

うれしいメール


先日おこなった沖縄での遺骨収集活動にご参加いただいた、兵庫県の福沢さんと大阪府の中村さんから、活動終了後、こんなうれしいメールをいただきました。


◆兵庫県の福沢さんからのメール◆
先日は、沖縄で何かとお世話になり、まことに有難うございました。
この度の貴重な経験は、私のこれからの人生に大きな糧となると感じています。
すでに、いい意味で私の中で、何かが大きく変わりつつあることを感じています。
今まで知らなかった戦争の隠れた部分なども知ることができ、これまで自分はどれほど甘えた気持ちで過ごしてきたのかと、情けない気持ちでいっぱいです。これからは、自分がこの世で生かされている意味を考え、この命を精一杯生かすよう、心がけながら生きて
いきたいと思っています。
この機会を下さった楠田さんには、言葉に出来ないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
楠田さんのおっしゃる、今回、経験したこと、知ったことを、後世にもしっかり伝えていけるよ
う、心がけていこうと思います。
本当にありがとうございました。

◆大阪府の中村さんからのメール◆
無事大阪に帰りました。
今回の貴重な体験を少しでも多くの人に伝えることができればと思います。
また明日から教育現場に戻ります。
明日高校生に何か感じてもらい、国吉さんや楠田さんのような人間を育てていければと考えています。
また何かの形で参加したいと強く考えています。
本当にありがとうございました。



福沢さんは看護師をしておられ、今、まさに命の現場で働いていらっしゃいます。

中村さんは高校の教師で、若い方々に命の尊さを伝えてくれることと思います。

本会は今後も出来る限り命の尊さを伝え続けていきます。





御遺族をさがしています[2011年10月22日(Sat)]
御遺族をさがしています


「796 大西隊」「及川」と刻まれた印鑑(下記の写真)を沖縄県の国吉勇氏が発見し保管しており、返還のためにご遺族を探しておられます。

残念ながら持ち主のお名前が「及川」しかわかりません。

「796 大西隊」「及川」というお名前にお心当たりの方は、本会までご連絡ください。

どのような些細な情報でも構いませんので、皆様からのご連絡をお待ちしております。


御遺族をさがしてます[2011年10月22日(Sat)]
御遺族をさがしてます


以前のブログでもお知らせした「木下勇吉」さんが鳥取県の方だということがわかりました。

「木下勇吉」というお名前は、沖縄戦でお亡くなりになった方では、お一人しかおられません。

御本人か御遺族を御存じの方がおられましたら、本会までご連絡をお願い致します。





情報をください〜御遺族を探しています〜[2011年10月20日(Thu)]
情報をください〜御遺族を探しています〜


平成23年8月に「木下勇吉」とフルネームが刻まれた万年筆(写真)を沖縄県の国吉勇氏が発見し保管しており、返還のためにご遺族を探しておられます。









この万年筆が発見された場所は、沖縄県糸満市与座の通称「上座の殿近くの軍構築壕」と呼ばれる人工壕で、これまで出土した遺留品からみて、陣地兼野戦病院として使用されていたと推測されます。

また本会が調査したところ、当時の配置図から見て陸軍第二十四師団制毒隊(山 三四七七部隊・隊長 五十嵐正二郎大尉、満州東安から昭和20年8月5日沖縄本島上陸)、捜索第二十四聯隊(山 三四七八部隊・隊長 才田勇太郎少佐、満州東安から昭和20年8月5日沖縄本島上陸)、工兵第二十四聯隊(山 三四八一部隊・隊長 児玉ノブテル大佐、満州東安から昭和20年8月5日沖縄本島上陸)のいずれかがこの壕を最後に使用していたのではないかと思われます。

「木下勇吉」さんご本人やご遺族をご存知の方、お心当たりの方は本会事務局までご連絡ください。


もう一点。

「796 大西隊 及川」と彫られた印鑑もお預かりしており、御遺族を探しております。



どのような些細な情報でも構いませんので、皆様からのご連絡をお待ちしております。


戦没者慰霊の会ひょうご事務局
電話 090−6667−7661
FAX (0791)22−7661
  Eメール irei-hyougo@zeus.eonet.ne.jp
〜国吉戦争資料館見学〜[2011年10月20日(Thu)]
〜国吉戦争資料館見学〜


すでにお伝えしたとおり遺骨収集活動を終え、国吉勇氏のご協力によりご自宅にある戦争資料館を見学させていただきました。

国吉氏は50年以上も1人でご遺骨を掘り続けており、沖縄での遺骨収集の第一人者です。

ご本人も沖縄戦でご家族を亡くされています。

国吉氏は沖縄戦で亡くなられた方すべての犠牲者を軍民関係なく捜索し続けており、本会の主旨にも深くご理解いただき、ご協力いただいております。

こちらの資料館では、長い年月をかけ国吉氏が発掘された遺留品を15万点以上展示しており、日本最多の展示数を誇っているそうです。



資料館前で参加者の記念撮影



国吉氏は発掘し持ち主が特定できないものはすべて出土した日付、場所、品名などを明確に記録しています。

また、腐敗や浸食がそれ以上進まないように、きれいに洗浄し錆止めなどの加工を施し、出来る限り発掘した当時のまま保管することを心がけています。

そして、どなたにでも公開し、通常の資料館では禁止されている写真撮影や手にとって触ることもできるようにされています。

すべての物はご本人が詳しい解説をしてくれるので、とてもわかりやすい資料館になっています。



銃や日本刀などの鉄製品はそれ以上錆びないように手入れされている



爆発物は時間をかけ丁寧に火薬を抜き取る。
写真真中に並ぶのは、米軍の手榴弾



すべての物には詳細が書かれ、整理されている


沖縄戦の惨劇を目の当たりにした参加者は、今回の活動で何かが変わったに違いないと私は確信している。

そして今後、一人でも多くの人々に自分の目で見て、触って、経験したことと、命の尊さや平和への感謝を伝えていって欲しいと思います。



国吉氏の詳しい説明を受ける参加者たち。

今回の経験で何を思ったであろうか・・・

平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 4[2011年10月20日(Thu)]
平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 4


活動最終日


この日は前日の続きです。

しかし、御遺骨は全く出ず、今度は銃火器類が出てきました。

途中、情報センターの担当者、吉田氏がやってきて写真撮影などを行っていました。

壕の真中あたりも国吉氏が「10年以上前だから忘れたけど、楠田さんが掘った深さまで掘ってなかったと思う」と言い、改めて3人で掘りましたが、当時の地盤まで掘り下げて「やっぱり掘ってるよ」とのこと。

さすが、国吉氏です。昔から確実な仕事をしておられたということですね。

この日は13時ごろに残りの場所もすべて終了し、あとかたずけです。

そして御遺骨をきれいに並べなおし、慰霊祭を行いました。

66年もの間、誰からも忘れられ、やっと暗く冷たい土の中から出ることが出来た英霊の御遺骨に、順番に哀悼の誠を捧げます。





ろうそく、線香、そして煙草に火をつけお供えしました。


沖縄県平和祈念公園内にある仮安置室へお納めするため、全員で収骨袋へお納めいたします。


今回お迎えすることができた御遺骨



ご遺骨を素手で触り、命と死について深く考える瞬間です。
人生のなかで、他人の骨に触ることなどまず無いと思います。
これぞ、究極の「命の教育」だと思います。
そっとそっと納めていきます。



お世話になった国吉勇氏と(後ろ右)


最後に壕入口に線香とろうそく(火災防止のため火はつけません)と煙草をお供えし、まだお迎えできていない御遺骨に黙祷を捧げました。

平和祈念公園に到着し仮安置室にお納めする時も、情報センターの方も全員で改めて線香をたき、哀悼の誠を捧げるのです。

この御遺骨はのちに正確な数を数えることになります。

正確な数が解るのは、来年のことです。

このあと、全員で一度ホテルへ帰りシャワーの後、国吉氏の戦争資料館の見学を行いました。

この壕は奥がまだ手つかずなのですが、崩れるおそれがあるので一応終了とするそうです。

しかし奥からは隙間風が入ってくることから、反対側が突き止められればそちらより掘ることも可能かと思われます。

国吉氏は今後別の入口を探すとおっしゃっておりました。

2月には私たちもお手伝いできるかもわかりません。

今回お迎えした御遺骨の御霊には、安らかにお眠りいただきたいと思います。

平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3[2011年10月19日(Wed)]
平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3


活動3日目


この日より、一般応募者も参加して活動を行いました。

まずホテルを出発する前に記念撮影です。

みなさん初めての経験からか緊張した面持ちです。



前列右より学生の多田さん(神奈川)、学生の大塚さん(東京)、そして一番左が以前に私と靖国神社にて昇殿参拝した学生の佐藤さん(山形)。
後列右より社会人の中村さん(大阪)、社会人で私と同じく兵庫県の福沢さん、学生の仁和さん(東京)、一番左が私、楠田誠一郎。


この日は国吉氏は「たちあがれ日本」の議員35名がご自宅の戦争資料館を見学しに来るとのことで、11時くらいに壕へ来ました。

それまでは、我々だけで行います。

まずは掘り方や効率のよい方法を教えます。

昨日まで国吉氏と二人で掘っていた場所が崩れそうで危険と判断し、入口に近い場所の掘削を行いました。

この場所は土を捨てる場所が遠く幅も狭いため、奥と手前に2班に分かれて双方から真中へ向かって掘り進むことにしました。

土砂はバケツリレーで搬出していきます。




この場所は天井がかなりの高さで崩れ落ちており、土砂が1.5メートルほど積っていました。

当時の地盤に到達するあたりで、御遺骨が出てきました。

初めてみる御遺骨に参加者に緊張が走り、みな神妙な面持ちとなり、言葉を失っていました。

この場所は土の色が白いので御遺骨が非常に解りやすいです。

御遺骨が発見されれば、丁寧に手で掘り出していきます。




大腿骨と脛の骨。
左上の茶色いのは顎の骨です。
奥歯が1本だけ残っており、歯科医が見れば年齢がわかりそうです。


その後、頭蓋骨も発見されましたが、かなりの湿気でとてももろくなっているので、慎重に崩さないように取り出していきます。


頭蓋骨。周りからそっと掘らないと骨がすぐに崩れます。


その後次々に御遺骨と遺品が発見されました。

小さなかけらも丁寧に集めていきます。



掘れば掘るだけ出てきます。
66年もの間、ずっと土の中に埋もれていました。


この日はかなりの御遺骨が発見されました。

国吉氏も帰る前に「思いのほか出たね」とおっしゃっていました。

国吉氏はアメリカにいる娘さん家族が帰ってきたため先にお昼過ぎに帰宅されましたが、我々は午後2:30まで作業を行い、その後は参加者の希望により自然壕(ウッカ―ガマ)の見学と荒崎海岸のひめゆり部隊自決の地などの戦跡巡りをしてホテルに戻りました。

平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2[2011年10月19日(Wed)]
平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2


活動2日目



この日も前日の続きです。

この日は銃の部品が少しと、やはり薬が出ました。

前日の夜に調べたところ、この壕は沖縄戦真っ最中までは第24師団の陣地壕として使用され、6月23日以降(8月)に満州から逆上陸した第24師団の中隊が病院壕として使用したもようです。

このころアメリカ軍は最南端に終結しており、警戒が手薄になったところに再び日本軍が戻ってきたようです。

最後は馬乗り攻撃によりすべて焼き尽くされ、玉砕したとかんがえられます。



この日発見された遺品。浄水液と書かれた瓶。
薬瓶のほかセルロイド製の遺品や防毒マスクのゴーグル部など



さまざまな遺留品



この壕から出た日本軍の手榴弾


16日からは一般参加者も加わっての活動です。

平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 1[2011年10月19日(Wed)]
平成23年 第2回 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 1


平成23年10月14日〜17日まで、遺骨収集活動を行いました。

場所は沖縄県糸満市与座にある通称「上座の殿近くの軍構築壕」と呼ばれる人工壕です。

沖縄県で遺骨収集を50年以上手掛ける遺骨収集の第一人者、国吉勇氏に今回より本格的にご協力いただくこととなりました。

国吉氏は50年で3000柱以上の御遺骨を発見し、50年間集めた遺留品を自宅で展示して公開しております。

今回は会員ではなく一般募集し参加者を募ったところ、約1カ月半で47名もの応募がありました。

その中で志望動機などを考慮し、6名にご参加いただきました。

活動は14日と15日は私と国吉氏の二人で行い、16日、17日は一般参加者を含めて8名で行いました。

では、1日ごとの活動を追って報告していきたいと思います。


この壕の全長は約50メートル。

途中にはくぼみがあり、物置きとして使用したと思われます。


活動1日目


まず1日目は一番奥から掘削し始め、当時の地盤を出すまで約60センチ程掘り下げていきます。

すると当時の地盤へ到達すると、多くの薬瓶が出土しました。

国吉氏曰く、1日で出るのは多くて5〜6個が最高だったが、この日は10個以上とその他インク瓶や剃刀も出土しました。

そのほかは、アルミ製のチューブに入った薬、電子部品、鉛筆の芯、大日本とアルファベットで書かれたビール瓶、細いガラスに入った液体の薬と粉薬、薬莢ほか。

壕内部はかなり湿度が高く、埃はまったく立ちませんが、スチームサウナのようで、撮影しようとしてもすぐにレンズが曇ってしまい、なかなかうまく撮影できませんでした。



黙々と掘り続ける国吉氏は、今年72歳になる



火炎放射で溶けて曲がったガラス瓶。
後ろに見えるのは、絵具の容れ物や、陶器類と軍靴の底。



結局この日は1日中遺留品はかなり出たものの、持ち主を特定できるようなものは出ず、御遺骨も発見できませんでした。

終えホテルに帰り、国吉氏もはっきりと解らなかった壕の名称と用途、それに使用した部隊の特定をするために入手している資料を調べまくり、この壕の用途と使用していた部隊名がおおまかなところですが解ってきました。

翌日に国吉氏に報告する為にメモをとり、床につきました。



発見した剃刀。横に「親愛」と書いてある。



この日出た遺留品。
国吉氏は遺留品すべてを洗浄し、いつどこで出た物かをすべて記録し管理している。
写真は国吉氏が洗浄したものを活動最終日に撮影したもの。

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