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戦争と命を考える上映会[2011年08月16日(Tue)]
戦争と命を考える上映会




今日、注文していたDVD「太平洋の奇跡」が届き、本会事務所にてPM2時より上映会を開催しました。

上映会と言ってもみんなで集まって放映しただけではありますが、見終わった後に「戦争とはなんであるか」「平和とはなんであるのか」を話し合う場もつくり、それぞれの意見が交わされました。

映画自体は、竹野内豊さん演じる日本軍の指揮官、大場栄大尉は実在の人物で、降伏時の堂々とした行進や、写真でも有名ですがアメリカ軍へ軍刀を渡すシーンも史実と同じく描かれており、竹野内さんのこの役に対する意気込みが感じられる作品でした。

作品のほうはご覧いただければわかりますので説明はいたしませんが、私たちは上映後に映画についてではなく、当時の人々の様々な想いについて話し合いました。

サイパン戦だけでなく、当時を生きる日本軍人、民間の日本人や原住民、アメリカ軍人や日米両国の兵士の家族の視点からも意見を交わしました。

当時を生きた方には、それぞれにそれぞれの想いがあるのですが、私たちを含め戦争を知らない人たちには、実際に戦争に関わる人は最後にはすべて悲しみや恨み、辛さしか残らないということを知ってほしいと思います。

そして、人類で最も愚かな行為であるということを知ってください。

戦争は、失われなくてもいい命や物はたくさん失われますが、何一つ生まれるものはありません。

主演の竹野内さんがおっしゃる通り、若い方にはこのような映画をもっと見ていただき、アメリカと日本がいかにしてあのような酷い戦をし、いったいどれほどの命が失われたのかを知っていただきたいです。

そして、今あなたが生活している日本の平和が何故あるのかを考えていただきたいと思います。

また私たちも平和への誓いを新たにし、あのような惨劇をくりかえさないように頑張って語り継いでいきたいと思います。
兵庫県姫路護国神社英霊感謝祭[2011年08月16日(Tue)]
兵庫県姫路護国神社英霊感謝祭


昨日は66回目の終戦記念日でした。

日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式典が行われ、天皇皇后両陛下、首相をはじめ閣僚が参列し、世界の恒久平和を願いました。

本会は地元兵庫県姫路護国神社で行われた「英霊感謝祭」に参列致しました。

兵庫県姫路護国神社は、世界遺産「姫路城」の真横に建立されており、別名「白鷺城」とも言われる真っ白な天守閣を望む素晴らしい位置にあります。




兵庫県姫路護国神社本殿


参列者は午前中に昇殿参拝し、地元兵庫県姫路にて出征し散華された方をはじめ、国の犠牲となられた英霊の御霊へ哀悼の誠を捧げました。


お神酒


主に兵庫県の方々のほか、岡山県や鳥取県の出身者で編成された陸軍第10師団はその本拠を姫路に置き、フィリピンで終戦を迎えましたが、ほぼ壊滅状態でした。

地元の歩兵第39連隊を含む陸軍第10師団以外にも、加古川には陸軍航空隊、加西には海軍航空隊があり、これら航空隊からは神風特攻隊として多くの方がお亡くなりになっています。



神社内にある、フィリピンで亡くなられた方の慰霊碑


その後、兵庫県姫路護国神社崇敬奉賛会主催の「英霊顕彰の集い」に参加させていただきました。

会場には、パラオペリリューの日本軍守備隊とアメリカ軍との武力の違い、ペリリュー島に現在も残る戦争の爪痕の展示物がありました。



熱心に展示物を見る参加者の方々


英霊顕彰の集いでは、電子紙芝居「お父さんへの千羽鶴」や「英霊の言乃葉」の朗読を聴き、英霊に対する想いに更けました。


「英霊顕彰の集い」会場


午後からは元兵庫県立姫路東高等学校長の三木英一先生による、「終戦の詔書」の解説の講演会に参加しました。

非常に丁寧でわかりやすい解説で、玉音放送の内容を説明していただき、その内容から昭和天皇の御聖断の覚悟、昭和天皇がいかに国民やアジアの事を思い、述べられたのかを勉強しました。

講演会の最後に、意味を理解したうえで玉音放送を聞きましたが、これまで難しい感覚で聴く玉音放送とは違い、心に響くものがありました。

66年前にこれを聴いた人々は、戦争が終わった安堵感、敗戦の悔しさや悲しみ、占領下に於ける自分たちのこれからの生活への不安など、ひとりひとりのさまざまな想いがあったのでしょう・・・


その後私は時間の都合でお先に失礼致しましたが、その他、ひとり語り「パラオに散った先人達」、海ゆかば斉唱などの催しが行われました。

今回が初めての開催だということでしたが、主催された崇敬奉賛会の若い方々も、第一回目とは思えない程要領よくスムーズに進行されており、途中崇敬奉賛会の方と遺骨収集の話をしたり、私自身も充実した一日を過ごすことが出来ました。

8月15日は言うまでもなく、日本人にとっては忘れてはいけない日です。
そして、今年の12月8日は開戦70周年の節目の年です。


みなさんも365日のうちのたった1日か2日だけでも、戦没者のこと、日本の歩んで来た険しい道のり、平和についてのこと、更には命について考える日があってもいいのではないでしょうか。

最後に、お世話になった兵庫県姫路護国神社の泉宮司様をはじめ神社の方々、それに姫路護国神社崇敬奉賛会のみなさま、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
長崎 原爆の日[2011年08月09日(Tue)]
長崎 原爆の日


今日8月9日は長崎原爆の日です。

66年前の今日、私の祖母の姉妹が長崎で被爆しました。

私の祖母は当時長崎県島原に住んでいました。

原爆が投下された数日後、鉄道伝いに被爆者がたくさん線路を歩いて逃げてきたといいます。

看護婦だった祖母は長崎に救護へ行ったらしいですが、そこで見たものは地獄そのものだったと言っていました。

私は幼少のころ、被爆した祖母の姉妹さんに何度かお会いしたことがありましたが、その姿は子供の私から見ればとても恐ろしかったのを憶えています。

爆心地から数百メートルの地点に居たらしく、体の半分(左右どちらかは忘れました)がケロイドで大変なことになっており、手は皮膚がくっつき、顔は半分なくなっていました。

頭を洗うと、そのころでもガラスが出てくると言っていたことを憶えています。

そのおばさんは、癌で亡くなりました。

今思えば、あの日以来大変な苦しみだったと思います。

二度とあのような非人道的な兵器が使われることがないことを願います。

また、唯一の被爆国であり、現在再び福島で放射能の恐怖と闘わなければいけなくなった日本は、世界に向け核の恐怖を訴え続けなければいけないと同時に、戦争が人々にもたらすものとは何かを伝えていかなければならないと思います。
広島原爆の日[2011年08月06日(Sat)]
広島原爆の日


きょうは、日本人として忘れてはならない日の一つである「広島原爆の日」です。

今から66年前の8月6日午前8時15分、広島で世界初の原爆が投下され、御存じの通り広島は一瞬の間に壊滅し、多くの方がお亡くなりになりました。




広島の人々は、核戦争を経験したのです。



式典で広島市長が核兵器廃絶を訴えておりました。

小学生代表の福原君、中学生代表の藤田さんのお二人は、戦争を始めるのは人間であると訴え、戦争そのものの罪を訴えかけていました。



現在、被爆者の平均年齢は77歳だといいます。
そして未だに原爆症の苦しみと闘っている人もたくさんいらっしゃいます。

広島には最後に核実験が行われた日に日付を0に戻すカレンダーがあります。

その数字は今日現在で、たった128日です。
たった128日前には核実験が行われているのです。

私たち日本人は今日という日を永遠に忘れずに、唯一核戦争を経験した国民として、世界に核廃絶を訴え続けていかなければなりません。

戦争とは実際に戦闘に参加した方はもちろん、残された家族、友人も深く傷つけ、その傷はその者たちが亡くなるまで残ります。

核兵器を使う使わない以前に、戦争そのものを絶対に起こしてはならないと思います。

世界では今でも戦争が起こり、罪のない人々が亡くなったり苦しんだりしています。

人類史上最悪の戦争を経験した日本人は核だけではなく、戦争そのものがもたらす悲劇を忘れ去ろうとしています。

もっと声を大にして語り継いでいかなければならないと思います。

戦争を経験した方々は、お辛いとは思いますが、もっと話してください。平和のためにあなたが経験した惨劇をもっと語り継いでください。

そして戦争を知らない世代は、もっと真剣に聞き、考えてみてください。
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