CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
Main | 2011年07月 »
<< 2011年06月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新コメント
沖縄全戦没者慰霊祭[2011年06月23日(Thu)]
沖縄全戦没者慰霊祭


今日、糸満市摩文仁の平和祈念公園では正午から遺族や総理も出席し、沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれました。

沖縄では毎年この日を「慰霊の日」として、県民あげて平和に対して考える取り組みを行っています。


6月23日、何故この日なのか


実は昭和20年のこの日、沖縄守備隊最高指揮官だった牛島満中将と、参謀長の長勇中将が司令部壕の中で自決しました。

これにより、日本軍の組織的戦闘は終わったとされています。
それにより沖縄県は6月23日を慰霊の日と定めました。

しかし、実際には沖縄戦は県民をも巻き込みながら終戦後の9月まで続き、これらの戦闘で軍人だけではなく老若男女問わず約25%の民間沖縄県民が犠牲となったと言われています。

その数は15万人とも20万人とも言われています。

これは実際に日本国内で起こった悲劇なのです。

そして沖縄には未だ土の中に犠牲者のご遺骨が埋もれたままになっているのです。

みなさんも、今一度平和について真剣に考えてみて下さい。


私たち「戦没者慰霊の会ひょうご」は、これらの犠牲により私たちの平和が出来上がり豊かな生活があるという事を、少しでもみなさんに伝え語り継ぐ事ができればと思います。

そして、一日でも早く一柱でも多くのご遺骨を、冷たく暗い土の中から発掘出来ればと思います。

沖縄の全ての犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
県商生学徒動員空襲犠牲者追悼慰霊祭[2011年06月09日(Thu)]
県商生学徒動員空襲犠牲者追悼慰霊祭


去る2011年6月9日、兵庫県明石市にある明石公園にて、財団法人神商同窓会主催の「県商生学徒動員空襲犠牲者追悼慰霊祭」が開催され、当会も参加させていただきました。

神商同窓会は、日本で最も古い商業学校である「旧兵庫県立第一神戸商業学校(通称 県商)」の歴史ある同窓会です。

ご存じのとおり大東亜戦争末期、文系・商業系の学生は戦局の悪化に伴い、一部は軍隊(学徒出陣)へ、そしてその他は軍需工場へと動員されていきました。

これを「学徒動員」と言いますが、当時国家の命により軍隊以外(主に軍需工場)で働く者を「産業戦士」と呼んでいました。

今回の追悼慰霊祭は、そんな「産業戦士」と言われる方々が空襲により犠牲となられたことで開催されました。






神商同窓会67回生 宝官進一郎さんにご協力頂き、宝官さんが述べた「追悼のことば」の原稿を頂きましたので、そのまま掲載したいと思います。(宝官さんには許可をいただいています)



追悼のことば

本日此処明石公園において、第二次世界大戦(太平洋戦争)において学徒動員時に爆撃を受け犠牲となられた学友の慰霊祭が挙行されるにあたり、同窓生を代表して衷心より哀悼の誠を捧げます。

戦後66年を経て当時15、6歳の少年だった私どもも、今や80歳の齢を重ねる年代を向かえました。

振り返りますと昭和16年12月8日の日米開戦の翌年、17年4月に県商(旧兵庫県立第一神戸商業学校)に入学した私どもは、戦局の悪化にともない一部は軍隊志願に、他のものはすべて国家総動員法、学徒動員法により、在学3年生より勉学を犠牲にして国家のために軍需工場は動員され、休日は月に2日、正月も返上して日夜航空機の生産に従事いたしました。

昭和20年1月19日、動員先の西明石・川崎航空機工場がB29の大爆撃を受け壊滅し多くの犠牲者が出ました。

その後、学生は安全のためとしてこの明石公園に避難することになり、同年6月9日の空襲時に何の避難設備も無い明石公園が爆撃を受け多数の男女学生、市民、269名の方が尊い命を失い犠牲となりました。

当時の悲惨な地獄のような状態は今も鮮明に脳裏に焼き付いています。

池の傍に避難していたとき、B29の編隊が来襲しその胴体が開いて無数の爆弾が投下されるのを、はっきり目の当たりにしました。

ザー、ガランガランという音とともに爆弾が頭上に落下破裂し、周辺の大きな松の木が吹っ飛んで無くなり、池の中にも爆弾が落ちて私どもは泥だらけになりました。

ここで県商生8名の学友が亡くなりました。

故郷、親元を離れて動員中の和歌山の女学生も大勢亡くなられました。

私どもの人生にとって最大の悲劇でありました。

昭和20年8月15日、焦土と化した日本は敗戦を向かえようやく平和が戻りました。

私ども昭和一桁生まれは育ち盛りに、言語を絶する衣食住に事欠きながらも敗戦からの復興に、お国のため、会社のため自己を捨てて必死に頑張りました。

今日、日本は平和を享受し世界の経済大国に発展しましたが、その歴史には多くの先輩の尊い辛苦とご努力、ご遺徳が深く刻まれています。

私どもは二度と戦争の悲劇を繰り返さぬよう平和の尊さと、その体験を後世に伝えるべく、先年「日輪昇る・県商生の戦争体験記」を発刊、最近も「66・67回生が語る戦時下の県商生」を発刊して、尊い戦争体験を風化させることのないよう、次世代に伝えるよう努めています。

本日、ここに戦後66年を経て、改めて悲惨な戦禍の犠牲となられた学友のご冥福をお祈りし、平和な日本の発展に努めることを固くお約束して追悼の言葉といたします。

平成23年6月9日     県商生学徒動員空襲犠牲者 追悼慰霊祭
                  神商同窓会 67回生 宝官進一郎


会場ではあちこちで空襲当日の話が聞かれました。
みなさん、80を超えているとは思えないほど、お元気でした。

県商生の方だけではなく、犠牲となられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げます。




明石空襲犠牲者
検索
検索語句
プロフィール

遺骨収集ボランティアグループ 戦没者慰霊の会ひょうごさんの画像
遺骨収集ボランティアグループ 戦没者慰霊の会ひょうご
プロフィール
ブログ
リンク集
https://blog.canpan.info/ireinokai/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ireinokai/index2_0.xml