ガマ(壕)調査報告[2011年09月26日(Mon)]
ガマ(壕)調査報告
先日より調査している沖縄県糸満市のガマ内部の報告です。
先日成果物より報告した「山城陸軍病院本部壕」とは別の、伊敷の「轟壕」(トゥルルチ)、「糸洲壕」(ウッカーガマ)、「ウンジャーガマ」の内部と、真壁の「タ―ジリガマ」、阿波根の「阿波根グスク」(富嶽山)内部に御遺骨が残っている可能性が高いことがわかってきました。
伊敷の「轟壕」(トゥルルチ)、「糸洲壕」(ウッカーガマ)、「ウンジャーガマ」の3つは内部で繋がっており、1000人以上が避難していたと言われておりますが、米軍の馬乗り攻撃を受け多数の死者を出しています。
「ウッカーガマ」から逃げた人の一部は、「山城陸軍病院本部壕」へ向かったという記録がありますが、重傷者は残り、「ウッカーガマ」で亡くなっています。
また、この3つの壕は内部に水脈があり、現在でも大雨の後になると鉄砲水となり、1945年6月〜10月当時の台風の影響により、遺体が鉄砲水で下流へ流された可能性が高いです。
特に再調査が必要な場所は、「ウッカーガマ」側から入り、つきあたりを右に奥へ進んだ地点の水脈の底にあたる場所と、「ウッカーガマ」側から入り、つきあたりを左に進み「轟壕」と「ウンジャーガマ」の分かれ目の手前右側の狭い洞穴内部です。
ウッカーガマ突き当り右側
ウッカーガマの遺品(食器、ガラス瓶)
真壁の「タ―ジリガマ」、阿波根の「阿波根グスク」(富嶽山)内部は、改めて全体の再調査が必要です。