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兵庫県姫路護国神社秋季大祭[2011年11月02日(Wed)]
兵庫県姫路護国神社秋季大祭


兵庫県姫路護国神社より御案内状をいただき、秋季慰霊大祭へ参列しました。

国歌斉唱で始まり、参列者全員で英霊に感謝を捧げるとともに、日本の恒久平和を誓いました。

兵庫県には護国神社が二社あります。
護国神社は陸軍師団が置かれた場所に建立されており、ここ姫路には陸軍第10師団が置かれていました。

姫路護国神社は、戊辰の役(明治元年)以降国難に殉ぜられた兵庫県西南部地域(播州、但馬地区)出身の護国の「みたま」56988柱命を祭神としています。



東は明石市、三木市から、西は赤穂市までの御遺族がお集まりになり、ご家族の御霊に感謝と哀悼の誠を捧げられていました。





御遺族もかなり御高齢となり、式典の最中に起立を何回もおこなうのですが足が悪いかたもおられ、進行の方も「足の悪い方はお座りのままで結構です」と案内されていました。

今後、我々若い者が「戦争と平和」を真剣に考え、日本の正しい歴史を語り継いでいかなければなりません。

仕事の都合もありますが、なるべくは春と秋の大祭、終戦記念日には護国神社へ出向き、平和を願い続けたいと思います。






兵庫県姫路護国神社英霊感謝祭[2011年08月16日(Tue)]
兵庫県姫路護国神社英霊感謝祭


昨日は66回目の終戦記念日でした。

日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式典が行われ、天皇皇后両陛下、首相をはじめ閣僚が参列し、世界の恒久平和を願いました。

本会は地元兵庫県姫路護国神社で行われた「英霊感謝祭」に参列致しました。

兵庫県姫路護国神社は、世界遺産「姫路城」の真横に建立されており、別名「白鷺城」とも言われる真っ白な天守閣を望む素晴らしい位置にあります。




兵庫県姫路護国神社本殿


参列者は午前中に昇殿参拝し、地元兵庫県姫路にて出征し散華された方をはじめ、国の犠牲となられた英霊の御霊へ哀悼の誠を捧げました。


お神酒


主に兵庫県の方々のほか、岡山県や鳥取県の出身者で編成された陸軍第10師団はその本拠を姫路に置き、フィリピンで終戦を迎えましたが、ほぼ壊滅状態でした。

地元の歩兵第39連隊を含む陸軍第10師団以外にも、加古川には陸軍航空隊、加西には海軍航空隊があり、これら航空隊からは神風特攻隊として多くの方がお亡くなりになっています。



神社内にある、フィリピンで亡くなられた方の慰霊碑


その後、兵庫県姫路護国神社崇敬奉賛会主催の「英霊顕彰の集い」に参加させていただきました。

会場には、パラオペリリューの日本軍守備隊とアメリカ軍との武力の違い、ペリリュー島に現在も残る戦争の爪痕の展示物がありました。



熱心に展示物を見る参加者の方々


英霊顕彰の集いでは、電子紙芝居「お父さんへの千羽鶴」や「英霊の言乃葉」の朗読を聴き、英霊に対する想いに更けました。


「英霊顕彰の集い」会場


午後からは元兵庫県立姫路東高等学校長の三木英一先生による、「終戦の詔書」の解説の講演会に参加しました。

非常に丁寧でわかりやすい解説で、玉音放送の内容を説明していただき、その内容から昭和天皇の御聖断の覚悟、昭和天皇がいかに国民やアジアの事を思い、述べられたのかを勉強しました。

講演会の最後に、意味を理解したうえで玉音放送を聞きましたが、これまで難しい感覚で聴く玉音放送とは違い、心に響くものがありました。

66年前にこれを聴いた人々は、戦争が終わった安堵感、敗戦の悔しさや悲しみ、占領下に於ける自分たちのこれからの生活への不安など、ひとりひとりのさまざまな想いがあったのでしょう・・・


その後私は時間の都合でお先に失礼致しましたが、その他、ひとり語り「パラオに散った先人達」、海ゆかば斉唱などの催しが行われました。

今回が初めての開催だということでしたが、主催された崇敬奉賛会の若い方々も、第一回目とは思えない程要領よくスムーズに進行されており、途中崇敬奉賛会の方と遺骨収集の話をしたり、私自身も充実した一日を過ごすことが出来ました。

8月15日は言うまでもなく、日本人にとっては忘れてはいけない日です。
そして、今年の12月8日は開戦70周年の節目の年です。


みなさんも365日のうちのたった1日か2日だけでも、戦没者のこと、日本の歩んで来た険しい道のり、平和についてのこと、更には命について考える日があってもいいのではないでしょうか。

最後に、お世話になった兵庫県姫路護国神社の泉宮司様をはじめ神社の方々、それに姫路護国神社崇敬奉賛会のみなさま、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
平成23年 大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭[2011年07月10日(Sun)]
平成23年 大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭


平成23年7月9日、毎年の夏の風物詩「みたままつり」の準備で、たくさんの提灯が飾られている東京都の靖国神社にて、(公財)大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会主催の「大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭」が執り行われました。







この日、東京は晴れ渡り、とても暑い中各関係者の皆様が多数ご出席されていました。

本会は、事前にご連絡頂き遠くは山形から起こしくださった女性(19)と一緒に参列させていただきました。

受付を済ませ待合室で待機中、主催者である(公財)大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会の専務理事 柚木様、若木様をはじめ、各関係者様に様々なお話を聞かせていただくことができました。

慰霊祭が国歌斉唱ではじまり、中程で世田谷コールエーデ合唱団のみなさまが日本のうた「故郷」を奉納されたその歌声を聴きながら、故郷を想いながら戦地に赴き帰ることが出来なかった英霊のお気持ちをふと考え、あらためて追悼と感謝の念を抱きました。

慰霊祭全般のお手伝いをなさっていた「JYMA」の学生の皆様を拝見し、ありがたい気持ちと同時に、わたしたち未来の日本人のために祖国に殉じられた彼らと同年代の若い方々のお気持ちを考えると、二度とそのようなことがないようにわたしたち日本人が恒久平和を誓い、その事実と命の尊さをいつまでも語り継いでいかなければならないと、痛感いたしました。

そして、ご参列なさっていた方々の平均年齢も非常に高くなってきており、わたしたちが率先してもっと若い方に関心を寄せて頂けるような活動をし、今後も永遠に戦没者慰霊活動を行っていかなければならない、とあらためて感じました。

今回、遠く山形からご一緒していただいた方、暑い中本当にご苦労さまでした。

またこの度の慰霊祭でお世話になったすべての方々、ありがとうございました。
この場をお借りして、お礼申し上げます。
県商生学徒動員空襲犠牲者追悼慰霊祭[2011年06月09日(Thu)]
県商生学徒動員空襲犠牲者追悼慰霊祭


去る2011年6月9日、兵庫県明石市にある明石公園にて、財団法人神商同窓会主催の「県商生学徒動員空襲犠牲者追悼慰霊祭」が開催され、当会も参加させていただきました。

神商同窓会は、日本で最も古い商業学校である「旧兵庫県立第一神戸商業学校(通称 県商)」の歴史ある同窓会です。

ご存じのとおり大東亜戦争末期、文系・商業系の学生は戦局の悪化に伴い、一部は軍隊(学徒出陣)へ、そしてその他は軍需工場へと動員されていきました。

これを「学徒動員」と言いますが、当時国家の命により軍隊以外(主に軍需工場)で働く者を「産業戦士」と呼んでいました。

今回の追悼慰霊祭は、そんな「産業戦士」と言われる方々が空襲により犠牲となられたことで開催されました。






神商同窓会67回生 宝官進一郎さんにご協力頂き、宝官さんが述べた「追悼のことば」の原稿を頂きましたので、そのまま掲載したいと思います。(宝官さんには許可をいただいています)



追悼のことば

本日此処明石公園において、第二次世界大戦(太平洋戦争)において学徒動員時に爆撃を受け犠牲となられた学友の慰霊祭が挙行されるにあたり、同窓生を代表して衷心より哀悼の誠を捧げます。

戦後66年を経て当時15、6歳の少年だった私どもも、今や80歳の齢を重ねる年代を向かえました。

振り返りますと昭和16年12月8日の日米開戦の翌年、17年4月に県商(旧兵庫県立第一神戸商業学校)に入学した私どもは、戦局の悪化にともない一部は軍隊志願に、他のものはすべて国家総動員法、学徒動員法により、在学3年生より勉学を犠牲にして国家のために軍需工場は動員され、休日は月に2日、正月も返上して日夜航空機の生産に従事いたしました。

昭和20年1月19日、動員先の西明石・川崎航空機工場がB29の大爆撃を受け壊滅し多くの犠牲者が出ました。

その後、学生は安全のためとしてこの明石公園に避難することになり、同年6月9日の空襲時に何の避難設備も無い明石公園が爆撃を受け多数の男女学生、市民、269名の方が尊い命を失い犠牲となりました。

当時の悲惨な地獄のような状態は今も鮮明に脳裏に焼き付いています。

池の傍に避難していたとき、B29の編隊が来襲しその胴体が開いて無数の爆弾が投下されるのを、はっきり目の当たりにしました。

ザー、ガランガランという音とともに爆弾が頭上に落下破裂し、周辺の大きな松の木が吹っ飛んで無くなり、池の中にも爆弾が落ちて私どもは泥だらけになりました。

ここで県商生8名の学友が亡くなりました。

故郷、親元を離れて動員中の和歌山の女学生も大勢亡くなられました。

私どもの人生にとって最大の悲劇でありました。

昭和20年8月15日、焦土と化した日本は敗戦を向かえようやく平和が戻りました。

私ども昭和一桁生まれは育ち盛りに、言語を絶する衣食住に事欠きながらも敗戦からの復興に、お国のため、会社のため自己を捨てて必死に頑張りました。

今日、日本は平和を享受し世界の経済大国に発展しましたが、その歴史には多くの先輩の尊い辛苦とご努力、ご遺徳が深く刻まれています。

私どもは二度と戦争の悲劇を繰り返さぬよう平和の尊さと、その体験を後世に伝えるべく、先年「日輪昇る・県商生の戦争体験記」を発刊、最近も「66・67回生が語る戦時下の県商生」を発刊して、尊い戦争体験を風化させることのないよう、次世代に伝えるよう努めています。

本日、ここに戦後66年を経て、改めて悲惨な戦禍の犠牲となられた学友のご冥福をお祈りし、平和な日本の発展に努めることを固くお約束して追悼の言葉といたします。

平成23年6月9日     県商生学徒動員空襲犠牲者 追悼慰霊祭
                  神商同窓会 67回生 宝官進一郎


会場ではあちこちで空襲当日の話が聞かれました。
みなさん、80を超えているとは思えないほど、お元気でした。

県商生の方だけではなく、犠牲となられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げます。




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