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平成28年 沖縄遺骨収集活動[2016年02月20日(Sat)]
今年の沖縄での遺骨収集活動の記事を、本会Facebookページに掲載いたしました。
よろしければご覧ください。
会員の声[2014年03月20日(Thu)]
会員の声


今回も活動にご参加いただいた大阪府の中村尚司さんは大阪府立高校の教員で、本会が以前一般募集で参加者を募って活動したとき初めて遺骨収集活動をおこない、沖縄の現実を目の当たりにし、それ以来この活動を熱心に続けるとともに、インターネットを通じてこれらの現実を多方面にわたり発信してくれています。

そして職場の学校でも沖縄の現実や戦争の愚かさを生徒と話し合い、命の尊さを生徒とともに考え伝えてくれている、本会では最も古く熱心で有望なメンバーのひとりです。

活動の最中は真剣な眼差しで黙々と掘り続ける一方、結構おちゃめな一面もあり、周りを明るくしてくれるムードメーカーでもあります。

そんな中村さんより、今回の活動のご感想をいただきました。



「遺骨収集は今回で三回目になりますが、続けていくこととこの現状を伝えていかなければならないと思いました。

自分は初めて参加するまでは、沖縄戦と今の現状について全然しりませんでした。参加してみて、あまりにも知らない自分が恥ずかしくなりました。また、沖縄戦はもう歴史のもの。遠い過去だと感じていました。
若い世代は風化していると思います。戦争を体験していない若い世代がしっかりと引き継がなければなりません。だからこの活動を続けていく必要があると考えました。

毎回参加していつも思うことは、遺骨が見つかったとき、明るい場所にでてこられて本当に良かったなと思います。
この体験を日常の生活に戻っても、忘れずに伝えていきたいです。

中村 尚司」

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壕内部から出た余分な土を、すさまじい馬力で掘り返す中村さん


中村さん、至らぬ点も多いかとは思いますが、懲りずにまた一緒に頑張っていきましょうね。本当にありがとうございました。そして、おつかれさまでした。


平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3[2014年03月20日(Thu)]
平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3


活動3日目。

この日は糸満市真栄里の陣地跡へ向かいます。

途中、「白梅の塔」横にある自然壕を見学し、ご一緒してくださる浜田さんご夫妻が「白梅学徒隊」について解説してくださりました。

「白梅学徒隊」とは、皆様ご存じの「ひめゆり学徒隊」と同じく女学生による看護隊ですが、「ひめゆり学徒隊」とは違って一般にはなじみがない方も多いかと思います。

「ひめゆり学徒隊」は何度も映画にもドラマにもなりましたが、ではなぜ「白梅学徒隊」の知名度は一般に低いのでしょうか?

それは、「ひめゆり学徒隊」の学生たちは師範学校出身でしたが、「白梅学徒隊」などその他(積徳女学校など、看護隊として学徒動員した学生部隊は数多くあります)の学生たちはみな同じ働きをしたにも関わらず、普通の女学生たちということだけで戦後の扱いまでもが師範学校出身者である「ひめゆり学徒隊」出身者とは違ったのです。

戦後は「ひめゆり学徒隊」と違い大きく報道されることも少なく、慰霊碑建立の際も一般や法人から思うように寄付が集まらず、関係者が出し合って慰霊碑を建立したとのことです。

過去には沖縄戦で犠牲になられた女子看護隊全体の慰霊碑建立や慰霊祭の計画もあったようですが、「ひめゆり学徒隊」関係者が「師範学校出身者を一般の女学生や沖縄以外から来た女学生と同じ扱いにすることは遺憾である」として、この計画はお流れになってしまったという話もあるようです。

政府の命令によりみな同じように過酷な任務を遂行したにもかかわらず、そういった身分の違いを現在もなお引きずり、さらには差別化を図ろうとする人々も多く存在しているのです。

非常に残念なことではありますが、戦争を知らない私たちには到底理解できないことがあるのかもしれません・・・。


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白梅の塔」。この横に「白梅学徒隊」が任務を遂行した病院壕がある。
米軍の馬乗り攻撃により多くの尊い命が犠牲となった。


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浜田さんに当時の状況などの説明をしていただいた。
中に入ると拝所があり、全員で戦没者に感謝と哀悼を祈った。



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中は広い。ここも内部が焼かれて黒こげの状態だ。



このあと私たちは糸満市真栄里へ場所を移し活動をおこないました。

この場所は摩文仁の陸軍司令部に近く、沖縄戦末期に大激戦が繰り広げられた場所です。

私たちが向かった場所は小高い山の頂上付近で、頂上からは360度見渡すことができる場所です。

すべてが見渡せる場所ということは、米軍もこの場所を陥落することが必須であることは言うまでもありません。

しかしそのことが意味することは、日本軍の激しい抵抗に合うということです。


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海側の山の中腹にある陣地跡。
艦砲の標的となったのは言うまでもない。


もちろん海に近いので、軍艦からの艦砲射撃も容易であり、私たちが活動したこの場所では艦砲射撃をもろに受けたであろうバラバラになった御遺骨が多数発見されました。

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小雨が降る中、黙々と掘り続けるメンバー。



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数日前、この場所では浜田さんが顔面の御遺骨を発見しました。

この御遺骨は顔部分だけが上を向いた状態で地表に出ていたと言います。

戦後69年もの間、誰からも忘れられ放置されていたその姿を見たときは、本当に申し訳なく思い、胸が熱くなりました。


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69年間もの間、何を思って空を見つめていたのか・・・


このあと次々に残骨(破片)が発見され、初めて参加したメンバーも骨の見分け方がだいぶ判ってくるようになりました。


この日が活動最終日ということもあり、この後、摩文仁の平和祈念公園内にある「戦没者遺骨収集情報センター」へ移動し、慰霊祭をおこないました。


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全員で御遺骨を並べていく。



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今回発見した御遺骨



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一人ずつ線香を手向ける



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通りすがりの観光客も手を合わせてくれた


今回も無事に事故なく終了できました。

お世話になった国吉勇さんをはじめ、浜田さんご夫妻、西谷さん、又吉さん、そして何より一生懸命取り組んでいただいたメンバーのみなさんに心より感謝いたします。
本当にありがとうございました。
そして、本当にお疲れさまでした。

このブログをご覧の皆様にお願いです。
ここに記したことは、現在の沖縄での現実です。
このことを一人でも多くの方々に知っていただくために、このブログを知人の方に教えて差し上げてください。
また、お世話になっている浜田さんご夫妻のブログにも、詳しく紹介されておりますのでそちらのほうも是非ごらんください。



平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2[2014年03月01日(Sat)]
平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 2


活動2日目。

前日と同様、この日も浦添市経塚の軍構築の人工壕で活動をおこないました。

前日に要領を掴んだ女性陣が一番奥を掘り進んで行きます。


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掘りやすい土質のため、女性でも容易に作業できる。


女性陣がどんどんと掘ったこれらの土は作業の妨げとなるため、当然外まで運び出さなければいけません。

実はこれが一番大変な作業で、長年に渡り積もった土の量はとんでもない量になります。

そこで力が強い男性陣でバケツリレーをして、邪魔になるすべての土を外に運び出していきます。


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力をあわせて、バケツリレー!


このような地道で過酷な作業が数時間続き、みんながへとへとになっていたとき、奥で作業をしている女性陣から「何か出てきました!!」との声が。

すぐに中へ入って確認します。

すると小銃弾の塊とともに、何やらレンズらしき物が。

掘りだしてみると、2枚のガラスを貼り合せたもので、どうやら合わせガラスになっています。

そのほか、急造爆雷か何かの一部のようなものや、腐食した革製品などの遺留品が次々と掘りだされていきます。

その中でも非常に珍しいのは、防毒マスクの防毒吸収管です。

防毒吸収管自体はこれまでも各所でたくさん出てきていますが、そのほとんどが湿気などで腐食しており、原形をとどめていません。

ところが今回発見した吸収管は、きれいに原形を保っているだけではなく、当時の塗装(帝国陸軍の国防色)もほとんど残っており、昭和15年製を意味する「昭和15」の刻印やその他の刻印まではっきり残っている完品です。

これには沖縄戦遺骨収集の第一人者である国吉勇さんも「長い間遺骨収集をして吸収管はたくさんあるけど、こんなに状態の良いものは初めて見たね」と驚かれました。




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2枚のガラスを貼り合わせた「合わせガラス」らしい。
長い間土の中に埋もれていたせいか、2枚のガラスの隙間には汚れが。





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火薬?なのか何なのかよくわからないが、割ってみるとタールのように柔らかく、重油のような匂いがした。



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「化工」なのか「化I(アイ)」の刻印



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「昭和.15」の刻印



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多くの遺留品を発見した吉田さんは、本会では最も長いベテラン会員だ。


その後も奥まで掘り進み一番奥まで到達しましたが、ここでは遺留品以外は発見できませんでした。

このように過酷な作業の結果一片の御遺骨も発見できない場合もありますが、御遺骨が発見されなかったということは、この場所ではどなたもお亡くなりになっていないということですので、それはそれで喜ばしいことであると、参加者一同ホッと胸を撫で下ろしました。

こうして一つ一つの壕を掘りつづけ、遺留品さえもまったく出てこないこともありますが、こうした地道な活動により、一柱でも多くの御遺骨を発見できるように、私たちボランティアは微力ではありますが毎年頑張っています。

翌日活動最終日は場所を変えて、糸満市真栄里へ出かけたいと思います。

つづく




平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 1[2014年02月11日(Tue)]
平成26年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 1


今年も2月7日より11日まで沖縄を訪れ、沖縄戦戦没者遺骨収集活動を行ってまいりました。

今年もいつものように沖縄戦戦没者遺骨収集の第一人者、那覇市在住の国吉勇さんをはじめ、青森県在住のジャーナリスト浜田哲二さん・律子さんご夫妻、那覇市在住の西谷謙二さんのご協力のもと、活動を行いました。

今回ご参加された方々は、これまで数回にわたりご参加いただいている大阪府の中村さん、千葉県の吉田さんをはじめ全国各地からお集まりになられた会員のみなさまです。
みなさんとても熱心で、私たちグループのたのもしい仲間です。


今回、活動1日目と2日目は浦添市経塚にある軍構築の人工壕で活動しました。

この場所は閑静な住宅街の中にあり、ごく普通のどこにでもある雑木林の中にあります。

雑木林は斜面がきつく前日より続く雨で足元は非常に滑りやすい状態で、しかも不法投棄の廃棄物が行く手を阻みますが、全員で声を掛け合い手分けし、荷物を抱えて降りて行きます。


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住宅地のすぐ横にある雑木林に入り、道なき道を壕へ向かう。



壕は前日までに国吉さんや浜田さんたちが入口を出してくださっており、非常に入りやすく、しかも入口からの急傾斜には土嚢を積んで階段を造ってくださっており、しゃがめばすんなりと中へ入ることができました。

この壕の土質はとても柔らかく、園芸用のスコップでも充分掘ることができ、作業自体は比較的スムーズに進めることができました。


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人の背丈ほどの土でふさがれていた入口は浜田さんたちがきれいに整備し、とても入りやすくなっていた。



壕内部は、入口より急激な下り坂で約3メートルほど降りると左に約1畳ほどの洞穴があり、そこから平坦でそのまま奥へ進むと約3メートルほどで90度左へと続いています。
そしてそのまま真っ直ぐ約5メートルほどで行き止まりとなっていました。

柔らかく掘りやすい土質と言っても、当時の地盤を出すためには、約1メートル積もった土を外に運び出さなくてはいけません。


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壕内部。長年の歳月をかけ流れ込んだ胸の高さまで蓄積したこの土をすべて外に運び出す。
もちろん、すべて手作業となる。



力の強い男性陣が掘削し、全員でバケツリレーで土を外まで運び出していきます。

狭い壕で恐ろしいのは酸欠です。
あまり大人数が息を荒げて作業すると、内部の酸素量が少なくなり、非常に危険です。

マメに休憩をとると同時に、内部の空気を入れ替えながら作業をおこないます。
適度な水分補給をおこないながら作業を進めていきます。

壕の奥へ進むにつれ、当時の地盤まで掘り下げた場所からは錆びた鉄片などの遺留品が出てきだします。

本格的な調査は翌日におこなうことにして、この日は土砂の搬出作業で一日が終わりました。

つづく


浜田哲二・律子ご夫妻のHPに紹介していただきました[2013年04月28日(Sun)]
浜田哲二・律子ご夫妻のHPに紹介していただきました

沖縄での遺骨収集活動でお世話になっている、青森県在住のジャーナリスト浜田哲二さんと律子さんご夫妻のホームページに本会が紹介されました。

ぜひご覧ください。





平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 6[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 6


番外編。

沖縄で遺骨収集をしていると、めずらしい様々な生き物と出会うことがあります。

今回の活動で真っ暗な壕を掘っていると、何やら小さな生き物がこちらの様子をうかがっています。

ふと見てみると、トカゲのようなヤモリのような・・・。

尻尾は太短くグレーで横から見ると笹の葉っぱのような形で、胴体はオレンジの模様で目もオレンジで吊り上がっており、非常に目つきが悪い。

こいつの正体は「クロイワトカゲモドキ」。


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写真下は去年の遺骨収集で撮ったもの
たぶんこれも「クロイワトカゲモドキ」だと思うんですが・・・
なんか、尻尾が違うような・・・


聞けば沖縄県の天然記念物で、どうやら非常にめずらしいらしいです。




違う場所では、大きなヤドカリが。

ちょこっと触るとすぐに貝の中に隠れてしまう、シャイな奴です。


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こいつの名前は・・・すみません、忘れてしまいました。

なんでも、こいつも沖縄本島にしか生息していないらしいです。

興味がおありの方は調べてみてください。




最後はついでに、以前遺骨収集をしたときに見つけた「ヒカリゴケ」


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フラッシュで少しわかりにくいのですが、真中の少し左の黄色っぽい点々がそうです。・・・多分。

「ヒカリゴケ」は自らが発光するのではなく光を反射するらしく、ライトを消すと見えなくなります。


沖縄で遺骨収集の合間に出会った、ほんのつかの間のやすらぎを与えてくれためずらしい生き物たちでした。

平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 5[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 5


慰霊祭。

今回の4日間の活動でお迎えした御遺骨を並べて、最後に慰霊祭をおこないます。

この日までにお迎えした御遺骨は、土のう袋8袋にもなります。

まずは土のう袋をきれいに敷き、御遺骨を素手でだいたいの部位ごとに丁寧に並べていきます。

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壊さないように丁寧に素手で並べていく


茶色っぽい御遺骨とコケが生えたようで白っぽい御遺骨があるのがおわかりでしょうか?

茶色の御遺骨は地中に埋まっていた御遺骨で、コケが生えたようで所々緑がかって白っぽい御遺骨は、地表に転がっていた御遺骨です。

沖縄戦から68年近くも経っているにも関わらず、並べ終わって改めて見ると御遺骨の多さに驚かされます。

御遺骨をひとつひとつ並べながら、68年前にここでどのようなことがあったのかを考えると目頭が熱くなってきます。

遺骨収集活動のなかでも、一番悲しく辛い瞬間です。

すべての人が無言で御遺骨を並べていきます。

これが、沖縄の現実なのです。


並べ終わるとろうそくを灯し各自線香をお供えし、戦争終結の報告と哀悼の誠を捧げます。

中には涙をこらえきれずに、車のところまで行き涙をぬぐう方もおられました。

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今回お迎えした御遺骨の中には、1歳にも満たない子供の御遺骨や、3〜4歳くらいの子供の歯も多く含まれていました。

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子供であろう御遺骨を手に語りかける正木氏


慰霊祭が終わると、国吉氏がメンバーを集めて人間の骨格について講義をしてくださり、みなさん聞き入っていました。

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参加者に講義する国吉氏


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顎と頭部を合わせて確認するメンバー


すべての御遺骨を前に、平和のありがたみと命の尊さ、そして戦争の惨劇と沖縄の現実を目の当たりにしたメンバーたちの気持ちは、活動を始める前とは明らかに違うものになっているのが感じ取れます。

このあと全員で頭から足の骨までを一柱として、二柱を一袋にして袋にお納めします。

結果、今回お迎えできた御遺骨は十六柱にもなりました。

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二柱ずつ丁寧に袋に納めていく参加者


このあとこれらの御遺骨は、何人分の御遺骨であるかを調べるために、とりあえず沖縄県平和祈念公園内の仮安置室へ納められることになります。

その後、荼毘に付され、納骨されることになります。



これをご覧の方々はここで見たことをご家族や知人にお話ししてください。

そして、命について話し合ってください。


普段の生活ではありえない現実を肉眼で見る。
そして、他人の骨を素手で触り感じることなど、一生のうちにまずありえないことでしょう。

メンバーは貴重な時間と旅費などを使い、沖縄戦でご親族がお亡くなりになったわけでもなく、子供たちに命の尊さや「人」としてのありかたを伝えたいとか、忘れ去られようとしている戦没者たちのために何かできないかと思い集まった方々です。
遺骨収集活動はかなりの重労働で精神的にも過酷であり、これをすることによりだれかが得をするものでもありませんが、参加者の方々の熱い思いを知ってください。

沖縄の暗く冷たい山野に眠る御遺骨は、まだまだ数え切れないほどあります。

さらには、海外に眠る戦没者は百万人を超えるといわれています。

土に埋もれ、誰の目にもつかず誰からも忘れ去られた彼らの戦争は、まだ終わってはいないのです。

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平成25年沖縄戦戦没者遺骨収集活動 おわり



この度の活動にご協力いただいた、国吉さん、浜田さんご夫妻、正木さん、本当にありがとうございました。
また、今回ご参加いただいたメンバーの方々もありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
本当に感謝しております。            



平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 4[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 4


活動4日目。

この日は朝から那覇市の国吉勇氏のご自宅にある「国吉戦争資料館」へ見学に行き、その後遺骨収集へ向かいます。

74歳の国吉氏は60年もの間1人でご遺骨を掘り続けており、沖縄での遺骨収集の第一人者で、ご本人も沖縄戦でご家族を亡くされています。

国吉氏は沖縄戦で亡くなられた方すべての犠牲者を軍民関係なく捜索し続けており、本会の主旨にも深くご理解いただき、いつもご協力いただいております。

こちらの資料館では、長い年月をかけ国吉氏が発掘された遺留品を15万点以上展示しており、日本最多の展示数を誇っているそうです。

国吉氏は発掘し持ち主が特定できないものはすべて出土した日付、場所、品名などを明確に記録しています。

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以前、国吉氏とともに病院壕で発見した珍しい薬
場所や日付などが書かれている


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まだ洗浄途中の今回発見したもの


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ノコギリで切断された腕の骨
病院壕でのもの


鉄でできた物や傷みやすい物は、腐敗や浸食がそれ以上進まないようにきれいに洗浄し錆止めなどの加工を施し、出来る限り発掘した当時のまま保管することを心がけています。

国吉氏は資料館をどなたにでも公開し、通常の資料館では禁止されている写真撮影や手にとって触ることもできるようにされています。

しかし残念なことに、たまに一部の不届き者が展示物を持ち去ってしまうとか・・・。

ここでは国吉氏ご本人が詳しく解説してくれるので、とてもわかりやすい資料館になっています。

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国吉氏の説明をうけるメンバーたち


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見学する女性メンバー


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自由に撮影するメンバー


「国吉戦争資料館」の見学で詳しい説明を聞き終えた後、前日の続きを調査するために移動します。

説明を受けて現物を見ることで、出土したものが何なのかがわかりやすくなります。


現場に着き、前日と同じく女性陣はお一人を除き再び正木氏とともに調査します。

最年少の女性はと言うと、どうしても前日と同じ場所を一人で調査したいとのことで、タコ壺の続きを調査していただきます。

相変わらず作業は思うように進みません。

そこへ1時間ほど一人で散策に行っていた国吉氏が帰ってきて、新たな大きな壕を発見したと言っています。

さらに、その壕は土が柔らかくて作業がしやすいらしく、国吉氏と浜田氏が活動最終日である私たちに気を使ってくださり、
「タコ壺は後日時間をかけてするので、やりやすいほうへ行こう」
と言って下さり、そちらへ向かうことにしました。

私たちは泣く泣くタコ壺をあきらめ、移動しました。

ところが国吉氏についてジャングルを進むと、かなりの急勾配の崖になります。

スコップやツルハシ、それに弁当などのたくさんの荷物を担いで降りるには、かなり大変です。

浜田氏と私は
「さっきほんとに、国吉さん一人でこんなところ行ったの?」
などと口から出るほど険しい道です。

国吉勇74歳、恐るべしスーパーおじいちゃん!!

てな感じでジャングルを20分ほど歩くと、その壕はありました。

入口は2つありますが、1つは岩で塞がっており、入ることができません。

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壕の片方の入口
岩があり、入れない


5メートルほど離れた場所にもう一つ入口がありますが、かなりの勾配で、入口も狭い。

国吉氏は食事を取らず中へ行くと言って、一人で壕の中へと消えて行きましたが、我々はまず昼食にします。

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昼食もとらずに壕に入っていく国吉氏


私が知り合ったころの国吉氏は、昼食こそ取らなかったのだが、必ず500mlのスポーツドリンクを持って壕に入っていました。

しかし最近は、飲み物も全く持たずに来て、朝から夕方までろくに休憩もせずに掘り続けます。

ご高齢ということもあり、少し心配です。


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つかの間の休憩


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過酷な活動のあいまの昼食に、笑顔もこぼれる


昼食が終わり、まずは私が中に入り、少し入口を広げてから順番に入って行くことにします。

入口はかなり狭く、匍匐前進で入ります。

中はかなり広い人工壕で、焼かれた形跡は全くありません。

まずは内部を調査します。

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入口すぐからの内部
15メートル程で突き当り、左に曲がる


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さらにその奥を20メートル進むと突き当りに


この壕は入ると約15メートルで突き当りになり、広く部屋のようになっています。

そこからは左にしか曲がれず、左に行くと幅3メートルほどの通路でその先約15メートル程で突き当ります。

そこからは左右に幅1.5メートル程の通路があり、左へ行けば表の岩で閉ざされたもう一つの出口へと繋がっています。

右に行くと約15メートルで突き当り、そこは水場となっていました。

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一番奥の水場
壁も池もご覧の通り、人工的に四角く掘られている


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一番奥には水場があり、澄んだ水がたまっていた
水の中には一匹のカニが・・・


私たちが昼食を取っている間から掘り始めている国吉氏は、すでに御遺骨を出していました。

遺留品は電球やソケット。ここには照明があったようです。

早速みんなで掘り始めます。

土質は「クチャ」と呼ばれる硬めの泥で、掘るのは簡単ですが靴底や道具には粘土質の泥がからみつきます。

掘っていくとメンバーがご遺骨をいくつかお迎えします。

私の場所は水場が近い場所なので、水ガメや瓶ばかりがでてきます。

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水ガメや瓶のかけら


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泥まみれ汗まみれになり作業するメンバー


ここの地盤は50センチ程ででてきます。

崩れ方も壁のみで、天井はほとんど崩れていませんでした。

その後も広範囲を掘っていきましたが、小さなご遺骨とわずかな遺留品が出ただけで、身元が確認できるような物も出ず、残念ですが時間となり終了としました。

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出る時も当然這って出ます


このあと再びジャングルを20分かけて車の場所まで戻り、今回お迎えしたご遺骨を並べて慰霊祭をおこないます。

平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3


活動3日目。

この日からはさらにメンバー5名が参加しました。

お一人を除いてメンバーの方は遺骨収集には初参加ということですので、まずは現地を実際に見ながら危険事項を説明していきます。

前夜に簡単な説明会をおこない注意事項などを説明していましたが、参加者たちは現場を目の前にして緊張しているのがわかります。

前日、立ちあがる際に崖から垂れさがっているツルを引っ張り、頭上から大きな岩のかけらがヘルメットを直撃するというアクシデントがありましたので、垂れさがるツルや崖と壕内部の側面には絶対に触らないようにと説明します。

次に、狭い壕に2班に分かれて入り、全員に壕内を案内し説明します。

今回まず、女性陣は前日に引き続き正木氏が調査している小さな壕を担当していただき、男性陣は前日まで私と国吉氏が調査していた深い壕内部の掘削をおこなっていただきます。

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正木氏の丁寧なご指導を受けながら作業するメンバー


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作業開始すぐ、次々に御遺骨をお迎えするメンバーたち


男性陣のお一人のN氏は経験者ですので、すぐに状況を把握し、もう一人のメンバーとともにスムーズに作業をこなしていきます。

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狭く暗い壕内で作業する男性メンバーたち
大きな岩が作業を阻む


壕内部は非常に狭く、作業は二人が限度。

見ると、経験者のN氏が一緒にいるもう一人をしっかりサポートしています。頼れる存在です。
やはりこういう方がおられると非常に安心ですね。


狭い壕内部は二人の男性陣に任せ、私は浜田氏ご夫妻と壕がある山の上に登り、周辺を調べます。

この山の頂上はさほど高くなく、数十メートルほどしかありませんが、頂上に登るとそこは360度見渡せる場所となっており、周りには視界を遮るものはありません。

遠くに与座岳や糸満市内を望み、反対側は摩文仁や荒崎海岸方面の海も望めます。

頂上付近のジャングルを歩くと、そこらへんに不自然な石積みがたくさんあります。

トーチカ跡です。

さらには、通称《タコ壺》と呼ばれる一人用の塹壕跡が等間隔で無数にありました。

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《タコ壺》と呼ばれる一人用塹壕の跡


その下には散兵壕跡もたくさんあります。

散兵壕とは、みなさんも映画などでご覧になられたことがあると思いますが、人が隠れるほどの深さの長い溝のような塹壕です。

この散兵壕は敵に向かって左右に長く掘られており、等間隔で何人もの兵士が隠れて狙撃などをしていた場所で、掘れば必ずと言っていいほど御遺骨や遺留品がでてきます。

浜田氏ご夫妻と相談し、正木氏たちが掘る壕はそのまま継続し、男性陣が調査している軍構築壕はこれまで御遺骨が一切出ていないのであとは国吉氏にまかせて、男性陣は午後から山頂のタコ壺を調査することにしました。


午後になり、男性陣は三か所のタコ壺に分かれて作業開始です。

私も早速掘削開始。
しかし70年近くという年月により、雨ざらしの土砂は硬化し非常に硬い粘土質となり、その上、ジャングルの木の根が作業を阻みます。

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タコ壺を掘るメンバー。
堅い土と根っこが作業を阻む


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慣れない作業で汗だくになり休憩するメンバー
汗だくになり一生懸命に作業する彼らの、熱い想いが感じられる


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座り込み、必死に木の根と格闘する浜田夫人。
さすがに慣れた手つきで、手際良く木の根を切っていく


私も負けじとタコ壺を掘っていきます。

すると、比較的浅い場所から薬莢や瓶と、立て続けに御遺骨ががでてきました。

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出てきた日本軍の薬莢と瓶。
写真右は粉々になっていた御遺骨の一部


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発見したご遺骨


《タコ壺》は通常1.5メートルから2メートルほど掘らないと当時の地盤までたどり着かないことが多いのですが、私が出した御遺骨は、約30センチ程下から出てきました。

この山頂には大きな不自然な穴ぼこがたくさんあります。

おそらく、まわりに360度遮るものがないこの山頂は艦砲射撃や空爆の恰好の目標となったに違いありません。

つまりこれらの不自然な穴ぼこは、アメリカ軍の攻撃により炸裂した砲弾や爆弾の爆発跡ということです。

「鉄の暴風」と言われるほどの攻撃により、このあたりの兵士はおそらくはみなバラバラに砕け散ってしまったのでしょう。

沖縄戦をある程度学ぶと、攻撃を受けたその日のことを想像するのは容易であり(実際には想像よりはるかに酷いことがあったのでしょうが・・・)、このような御遺骨を見るたびに、涙がでてきます。

戦争の悲惨さを感じる瞬間です。

一方、浜田氏は自然石がトーチカ変わりになりそうな場所を調査しています。

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大きな隙間を調べる、浜田哲二氏。
岩の隙間に頭を突っ込み、内部をくまなく調べている


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男性さながらに一人でタコ壺を掘り続ける、女性メンバー
青森からはるばる来た、今回最年少の25歳だ


その後は鉄片などが多く出土していましたが、ほとんどが砲弾や爆弾の破片でした。

みんなへとへとになり時間がきたので、今日の調査は終了としました。


調査を終えた私たちは、近所にある「糸洲の壕」と呼ばれる自然壕を見学に行きました。

この壕は以前このブログでも紹介したこともありますが病院壕として使用されており、「積徳高等女学校」の生徒たちが看護婦として学徒動員され、犠牲になっています。

住民は昼は壕内に隠れ、夕方から芋を掘り家で煮炊きをするという生活を約2ヶ月も続けたといわれており、その環境の悪さはひどかったといいます。

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「糸洲の壕」と呼ばれる、ウッカ―ガマ自然壕に入るメンバー


中はほとんど手を入れられておらず、ほぼ当時のままの姿を保っています。

中に入り、真っ暗な中、懐中電気を消して当時を体験してもらいます。

68年前、この壕では負傷者のうめき声や死臭が漂い、気が触れた人々や苛立った人々がワッサワッサと歩き回り奇声が聞こえ、それを黙らせるために軍人が怒鳴る声が響き渡っていたのでしょう。

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真っ暗なガマ内部を見学するメンバー


当時の雰囲気を感じたメンバーは神妙な面持ちで内部に見入っていました。

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見学を終えガマを出てくるメンバー。
「オキナワ」を直に感じ、何を思ったであろうか


この日、初めての体験ばかりのメンバーは戸惑いながらも懸命に「沖縄の現実」に向き合っていました。

本会では遺骨収集活動だけではなく、せっかく遠くまで来て下さるメンバーに、一般の観光地として整備された壕やガマではなく、なるべく当時の沖縄を知っていただくための平和学習として、多少危険ではありますがこのような自然壕を見学し、沖縄戦の追体験も取り入れています。

翌日は朝から「国吉戦争資料館」の見学をおこない、遺骨収集に挑みます。

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国吉氏のご自宅にある「国吉戦争資料館」


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