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沖縄慰霊の日[2014年06月23日(Mon)]
沖縄慰霊の日


今日6月23日は沖縄戦で犠牲となられた方々を慰霊する日です。

美しい海や観光だけではなく、若い方にもっと沖縄の歴史をしっかりと見つめていただき、命と平和の尊さ、そして、戦争の恐ろしさと愚かさを考えていただきたいと思います。

毎日新聞より記事を転載します。
ご覧ください。

<沖縄慰霊の日>69年経て死 の証明 戦没者礎に刻銘

毎日新聞 6月22日 23時17分配信

沖縄戦の戦没者名を刻む沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」には今年、54人が新たに刻銘された。
その中の一人、仲村貞雄さんは戸籍上、行方不明扱いになっていたが、東京に住むおいの会社社長、仲村重信さん(39)が 死亡証明に奔走。
戦後69年たってようやく刻銘を果たした。
重信さんは「慰霊の日」の23日、伯父の名を見届けに親戚と礎を訪れる。

貞雄さんは沖縄本島北西部の本部(もとぶ)町出身。
親戚らによると、1945年4月、町内の自宅敷地内の壕(ごう)を出た後、米兵に見つかって銃殺されたという。
16歳だった。

戸籍は戦火で消失。
仲村家には貞雄さんの位牌(いはい)があるが、戦後戸籍を復元する際に貞雄さんが亡くなったという情報が伝えられず、行方不明扱いになっていたとい う。

2年前のお盆に帰省した際、そのことを知った重信さんは「亡くなったのに戸籍が残っているなんて本人も嫌なはず」と伯父の死亡の立証に乗り出した。
2カ月に1回のペース で沖縄を訪れ、伯父の生家周辺の住民から貞雄さんが亡くなったという 証言を得たり、親族の戸籍を取ったりして、昨年9月に死亡届が受理された。

重信さんは「ようやく伯父の供養ができた。天国で喜んでくれているでしょう」と話した。
一方、資料集めの過程で他の親戚についても二重戸籍などの不備が見つかったといい 「戦後の混乱で情報が錯綜(さくそ う)し、伯父や親戚と同様のケースは少なくないと思う。その整理は我々の世代がするべき戦後処理だ」 と話した。

沖縄戦戦没者を巡っては戦中戦後の混乱による戸籍焼失や死亡証明がないなどで平和の礎に刻銘されていない例があり、遺族の申請などがあれば追加で刻銘している。
また、遺族の希望で削除される刻銘もある。

【福永方人】
全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉[2013年08月15日(Thu)]
全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉


当然と言えば当然なのかもしれませんが、安倍首相の式辞よりも、平和を願う気持ちや戦没者に対する哀悼と感謝の気持ちがよく表れていると思うのは、私だけでしょうか?

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写真=時事通信


天皇陛下のお言葉

本日、戦没者を追悼し平和を祈念する日に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。



終戦から68年経ちました[2013年08月15日(Thu)]
終戦から68年経ちました


今日8月15日は、終戦記念日です。

あの忌まわしい戦争が終わって、68年経ちます。

先の大戦により命を落とした軍人だけではなく、民間人や外国人を含めたすべての戦争犠牲者に対して哀悼の誠を捧げるとともに、日本だけではなく世界の平和を願う日でもあります。

本日、日本武道館にて執り行われた「全国戦没者追悼式」に天皇皇后両陛下や安倍首相も参列しました。

その中で安倍首相は式辞を述べましたが、昨年までの式辞とは違い「戦争は絶対にしない」という言葉はありませんでした。

去る8月6日には、広島では原爆記念日で平和を誓う式典がおこなわれているなか、海上自衛隊史上最大の護衛艦「いずも」が神奈川県で進水しました。

この艦は空母型で、大きさは長さ約250メートル、幅約38メートルで、戦時中世界最大であった日本海軍の戦艦「大和」「武蔵」とほぼ同じ大きさです。

日本を取り巻く近隣諸国のさまざまな思惑に対して、憲法改正を含む軍事力増強を図りつつある日本。

これらのことは自国を守るためには確かに必要なことなのかもしれませんが、われわれ一国民としては、再び戦争という最悪の事態が訪れないようにと切に願うことしかできません。



安倍首相の式辞全文

 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。

 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。

 いとしいわが子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

 御霊を悼んで平和を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かにこうべを垂れたいと思います。

 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道をまい進してまいりました。

 きょうよりもあす、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。

 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。

 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り開いてまいります。

 世界の恒久平和に、あたう限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。

 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまには、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。


沖縄慰霊の日[2013年06月23日(Sun)]
沖縄慰霊の日


きょう6月23日は、沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる「沖縄慰霊の日」です。

今年は終戦から68年。糸満市摩文仁の平和祈念公園で、県主催の沖縄全戦没者追悼式が開かれました。

追悼式には、安倍晋三首相のほか、岸田文雄外相と小野寺五典防衛相や、アメリカからは18年振りに、ルース駐日米国大使も出席しました。

沖縄戦の全犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎」は今年新たに62人を追加、計24万1227人となりました。

住民の4人に1人が犠牲になったと言われる沖縄戦。

民間人犠牲者が軍人約98000人の犠牲をはるかに上回るという悲惨な戦闘でした。

わたしたち「戦没者慰霊の会ひょうご」も沖縄での遺骨収集活動をはじめ平和活動を通じて、日本だけではなく世界の平和と命の尊さを訴えていきたいと思います。
日米開戦の日[2012年12月08日(Sat)]
日米開戦の日


きょう12月8日は太平洋戦争の開戦から71年になります。

そして今、戦争を体験した人が、いなくなる時が近づこうとしています。

開戦の日、戦争の日々を体験した人たちの声に耳を傾けてみてください。

平和な時代に生れたことに感謝し、日本の捨石となって戦い命を落とした方々、犠牲になられた方々に感謝しましょう。

多くの命を無駄に奪う戦争を再びするようなことがないように願うばかりです。



NHK戦争証言アーカイブス
最新情報

「戦争の記憶 〜寄せられた手記から〜」

新たに15人の方の戦争体験手記を公開しました。


戦争証言アーカイブスのホームページでは、お寄せいただいた手記を随時、公開しています。

空襲、飢餓、引き揚げ、抑留、そして家族の死・・・。
手記には、戦場での苛酷な体験や市民の生活・人生が戦争で翻弄される様子などが克明に記されています。

懸命に綴られた「戦争の記憶」をぜひ読んでみてください。


☆戦争証言アーカイブスのHPでは、
 特集「ふるさとの悲劇」を公開しています。


日中戦争、そして太平洋戦争。

「昭和の戦争」で命を落とした日本人は300万人以上に上りました。

その中には、地方の町や村で暮らし、戦争に巻き込まれた人も数多くいます。

街を焼き尽くした空襲。そして、日本固有の領土で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄。

戦争は、日本各地のふるさとを絶望の地に変えていったのです。

今回の特集では、戦時中、日本各地で起きた悲劇的な出来事について取材した番組や証言を集めました。

「昭和の戦争」は、私たちのふるさとに何をもたらしたのでしょうか。


戦争の記憶を、未来に伝えるために
NHK戦争証言アーカイブス
沖縄戦慰霊祭[2012年10月30日(Tue)]
沖縄戦兵庫県出身者慰霊祭


毎年10月30日は兵庫県出身者の沖縄戦犠牲者の慰霊祭がおこなわれます。

当時の沖縄県知事が兵庫県出身者で、沖縄戦のさなかにあまりにも激しい戦闘の末、民間人たちの犠牲が多いうえ、日本軍の統制がとれず守らなければいけないはずの民間人を楯にするような場面もあり、民間人をまもるために牛島中将や長参謀長に降伏をすすめるために直談判したことは有名な話です。

その偉業から現在でも沖縄県では彼の勲功をたたえ、高校野球などでも「島田杯」があるほどです。



毎日新聞の記事より


沖縄の本土復帰40周年の今年、県が沖縄県と結んだ友愛提携も40周年を迎えた。

沖縄戦の末期、沖縄県知事として赴任し、県民の避難に力を尽くして亡くなった島田叡(あきら)さんが神戸市出身だったことが縁だった。

県は40周年を記念して30日、島田さんの最期の地とされる沖縄本島最南端の同県糸満市摩文仁で慰霊祭を行う。井戸敏三知事や沖縄県関係者らが参列、「沖縄の島守」と称される島田さんをしのび、平和を誓う。
.
島田さんは旧制神戸二中(現県立兵庫高校)卒。東京帝大から内務省に入り、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年正月、沖縄に官選知事として赴任する。

沖縄が戦場になる気配が強まると、本土出身の官僚らは出張名目で島を離れた。44年末には前任の知事が上京したまま戻らず、別の県へ転任辞令を受けるという異常事態の中、大阪府内政部長だった島田さんは後任を打診され、即諾した。

着任した島田さんは食糧確保のため命がけで台湾に交渉に行くなど公務に駆け回った。地上戦でも部下たちと住民保護に腐心し、軍壊滅の南部で消息を絶った。

島田さんとの縁で、72年の復帰直前に沖縄にスポーツセンターを造る兵庫県民の募金運動が始まった。これをきっかけに同年、兵庫・沖縄友愛提携が結ばれた。以来、両県は毎年相互に青少年のキャンプを開催するなど交流を続けている。

30日は、井戸知事や藤原昭一・兵庫県議会議長、県遺族代表約80人のほか、地元から島田さんの功績を伝える「島守の会」関係者らも参列。島田さんら沖縄戦で犠牲となった沖縄県職員らをまつる「島守の塔」と、兵庫県出身戦没者の「のじぎくの塔」で慰霊する。「のじぎくの塔」では記念植樹もする。【桜井由紀治】
〔神戸版〕
10月27日朝刊


神戸新聞の記事より


第2次世界大戦中の沖縄戦で亡くなった兵庫出身者の慰霊祭が30日、沖縄県糸満市で営まれる。今年は兵庫、沖縄両県の友愛提携から丸40年。慰霊祭には、兵庫県の井戸敏三知事や県出身の戦没者遺族らが出席する。

友愛提携は、沖縄戦当時の沖縄県知事、島田叡さんが神戸市出身だったことがきっかけ。島田さんは大戦末期の1945年1月、旧内務省から沖縄県知事に就任した。県民の本土疎開や食料調達に奔走したが、沖縄戦が激しさを増した同年6月、消息を絶った。

糸満市には、沖縄戦で亡くなった兵庫出身者3073人を慰霊する「のじぎくの塔」、今も沖縄の「島守」として慕われる島田さんや殉職した沖縄県職員を慰霊する「島守の塔」が建立されている。30日は、それぞれの塔で慰霊祭が催され、井戸知事や兵庫県議会の藤原昭一議長のほか、兵庫の遺族約80人が参列。のじぎくの塔前では、友愛提携40年の記念植樹も行う。(岸本達也)




67年目の終戦記念日[2012年08月15日(Wed)]
67年目の終戦記念日


今年も終戦記念日がやってきました。

言うまでもなく毎年この日は、戦没者を追悼し世界平和を誓う日です。

このブログの読者も靖国神社や地元の護国神社へ行かれた方も多いかと思います。

私は兵庫県在住ですので、地元兵庫県姫路市にある姫路護国神社へまいりました。

私の祖父は戦死せずにシベリアより生きて帰ってきましたので、私自身は遺族ではありませんので、今年は戦没者遺族に配慮し午前中には参拝せず午後から訪れました。

日本軍人はもちろん民間人や外国人の方々すべての戦争で命を落とさざる得なかった方に感謝し、今後も平和な日本であるようにとの思いを願ってまいりました。

また、神社内の会場では電子紙芝居や国防についての講演会などの催しが姫路護国神社崇敬奉賛会によって行われていました。


近頃、いじめや自殺が大変多く、命の尊さについての意識があまりにも低く感じられます。

幼いお子様がいらっしゃる親御さんには、是非ご家庭でも命の大切さや平和の尊さについて話し合う機会を持っていただきたいと思います。


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姫路護国神社

長崎原爆の日[2012年08月09日(Thu)]
長崎原爆の日


今日は長崎原爆の日です。
長崎市平和祈念公園では式典がおこなわれました。

原爆が投下された午前11時2分に合わせ、黙祷がおこなわれました。

長崎に初めて米国政府代表や、原爆計画を推し進めたトルーマン大統領の孫も出席しました。

長崎でも多くの方々がお亡くなりになり、現在でも多くの方が後遺症に苦しめられています。

また、被爆者もご高齢となり、広島も同様ですが政府は未だに原爆症の認定を受けられないでいる被爆者の方々に、1日でもはやく被爆者認定をしてあげていただきたいと思います。



ところで、1945年8月9日は長崎原爆の日ですが、もうひとつ日本人が忘れてはならない出来事が起きていたことを御存知ですか?

8月9日未明、突如として満州国、樺太、千島列島に当時のソビエト軍が攻め込んできたのです。

日本とソ連は1941年4月に日ソ中立条約中立条約を締結していました。

この条約の有効期限は1946年4月であったのでソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄する形となりました。

当時の日本はもはやソ連まで相手にして戦う余力は残ってはいませんでした。

こうして1週間後に敗戦を迎えた日本から、戦後賠償として南樺太、千島列島、北方四島を奪い取っていったのです。

このときにもやはり、多くの命が奪われてしまいました。

このことはあまりテレビでも放送したりしませんが(北海道では放送しているかも)、日本人が知らなくてはならない事実なのです。


わたしたちは微力ではありますが、こうした忘れられようとする事実もみなさまにお伝えできるように日々勉強し、発信できればと思います。



広島原爆の日[2012年08月06日(Mon)]
広島 原爆の日


今日は広島の原爆の日です。

いつも言うように、日本人が忘れてはならない日であるのは言うまでもありませんが、8月6日という日は世界人類が忘れてはいけない日でもあります。

世界初の核攻撃を受けたヒロシマは、爆風や熱線で壊滅しましたが、もっと恐ろしく現在まで生存者を苦しめているのは「放射能」でした。

今回は米英仏の代表がいずれも3年連続で出席し、原発事故の被災地からは福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長が初めて参列しました。

今、福島第一原発事故で故郷を追われた方々の不安は、計り知れないものでしょう。

「福島」を「フクシマ」にしないためにも、東京電力と政府は全力で復興を目指す必要があります。

また、北朝鮮による核開発も即刻中止してもらいたいものです。

現在でも苦しみ続け、今でも当時のことを忘れることができないでいる広島の被爆者たちの声に世界の人々は耳を傾けていただきたいと思います。

原爆がもたらした、さらには戦争がもたらした惨劇がどれほどのものであるのかを。

過ちは二度とくりかえしてはいけません。




野田首相、広島平和祈念式典の挨拶


「67年前の今日、原子爆弾が広島を襲い、約14万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。

原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。

唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。

それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。

「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。

本日、私は、日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。

「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。

市民自らの取り組みが原動力となることを忘れてはなりません。

被爆体験を世界に伝える、世界49か所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。

政府としては様々な形で後押ししてまいります。

「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。

我が国は、志を同じくする国々とも連携しながら、核軍縮・不拡散分野での国際的な議論を主導し、「行動への情熱」を世界に広めてまいります。

再来年には広島で、我が国が主導する非核兵器国のグループである軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)の外相会合を開催いたします。

原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。

原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。

これからも、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所の事故から、一年以上が経過しました。

今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心からお祈りするとともに、参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。」
沖縄慰霊の日[2012年06月23日(Sat)]
沖縄慰霊の日


今日6月23日は、「沖縄慰霊の日」です。

1945年の今日、沖縄において日本軍の組織的戦闘が終結したと言われる日です。

そして軍人よりも民間人のほうが多く犠牲となった沖縄戦を後世に語り継ぎ、日本の恒久平和を願う日なのです。


沖縄は本土復帰後より今日まで、多くの問題を抱えています。

沖縄県民の気持ちも複雑なものがあるようですが、私をはじめ本土に生れて生活する人々には到底理解することができないものであることは、間違いありません。

私たち内地の日本人は、沖縄問題もそうですが世界中が平和であることを願うこと以外はできないかもしれませんが、一年のうち「沖縄慰霊の日」の今日1日だけでも沖縄戦について考え、語り継いでいくことがとても大切なことだと思います。

そして、慰霊と鎮魂だけではなく、沖縄をはじめ多くの犠牲により今の私たちの平和な生活があるということを決して忘れてはいけないと思います。


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22日の夜、ろうそくを並べ「平和」の文字が浮かびあがる、
糸満市摩文仁の平和祈念公園
(写真 yahoo!ニュース)




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