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アメリカからの依頼[2013年09月29日(Sun)]
アメリカからの依頼


アメリカ在住の日本人女性から一通のメールがきました。

その内容は、知人のアメリカ男性より、「父親が持っていた旧日本兵の認識票を持ち主に返したい」との相談を受けたので、ぜひ協力していただきたいとのこと。

本会としては遺留品返還にも力を入れていますので、ぜひ協力させていただきたいと思います。
が、なにぶん情報が少ないのが現状。

それゆえ、これからの調査にはやりがいを感じますが、認識票の返還はなかなか難しいのが現実です。

と言うのも、旧日本軍は敗戦と同時に多くの資料や名簿などの軍事機密書類を連合国に接収されることを恐れ、焼却してしまっているからです。

難しいことかもわかりませんが、できる限りはやってみたいと思います。

今後、この認識票返還の様子は、当ブログにて報告していきたいと思います。


image (1).jpg

遺留品情報[2013年02月15日(Fri)]
遺留品情報


平成25年2月8日、「中川清」と刻まれた万年筆(下記の写真)を沖縄県糸満市糸洲の軍構築壕にて発見し保管しています。

沖縄戦でお亡くなりになられた「中川清」というお名前のかたは、福井県に2名、石川県に1名、計3名おられます。

現在、戦死者3名の情報は福井・石川両県及び厚生労働省に問い合わせし調べていただいております。

また、沖縄戦の生還者が「当時沖縄のどこかで万年筆を紛失した」、「当時、別の場所で中川清さんから預かったが、その後どこかで紛失した」など、さまざまな可能性が考えられます。

【概要】
●この万年筆を発見した場所は糸満市糸洲です。
●この壕は人工壕で、独立歩兵第21大隊が陣地として1945年6月5日以降に構築しました。
●1945年6月8日からは独立歩兵第23大隊もこの場所に合流しています。
●1945年6月16日夜間、独立歩兵第21大隊・第23大隊は宇江城・真栄平方面へ移動しています。
●それ以降はこの場所に組織的な日本軍は駐留していません。


これらの情報にお心当たりがございましたら、どのような些細な情報でも構いませんので本会事務局までご連絡をお願い致します。

遺留品返還のために、ぜひ皆様のご協力をよろしくお願い致します。

※遺留品の返還は無償でおこないますので、どうぞご安心ください。


中川清さん万年筆B送信用.jpg

中川清さん万年筆A送信用.jpg

中川清さん万年筆@送信用.jpg


戦没者慰霊の会ひょうご事務局 楠田まで
〒678−0043 兵庫県相生市大谷町8−8
電話 090−6667−7661
FAX (0791)22−7661
  Eメール irei-hyougo@zeus.eonet.ne.jp






万年筆が御遺族のもとに[2013年01月22日(Tue)]
万年筆が御遺族のもとに


沖縄で共に活動し、たいへんお世話になっている那覇市の国吉勇氏と青森の浜田哲二氏夫妻の手によって、御遺族のもとへ遺留品である万年筆が返還されました。

戦没者ご本人を直接知る御遺族が少なくなっていくなか、一つでも多くのご遺骨や遺留品をお返しできればと思います。

詳しくは下記のリンクからご覧ください。





どうしても間に合わせたい[2011年10月31日(Mon)]

どうしても間に合わせたい


昨日、沖縄県でお世話になっている国吉勇氏よりお電話をいただきました。

以前よりホームページや当ブログでもお伝えしている、「木下勇吉」さんの万年筆の件です。

木下勇吉さんの情報は、私以外に、国吉氏と長年お付き合いがあり共に遺骨収集をされてきた小倉暁氏(70)が調べてくださり、かなり有力な情報を入手していました。

小倉氏は元自衛官で、木下勇吉さんの配属部隊などをもとに防衛省へ掛け合い、御遺族を探し当てました。

木下勇吉さんの御遺族は鳥取県境港にお兄様の奥さまがただ一人御健在とのこと。

御遺族はぜひともと返還を望まれているが、なにぶん御高齢であり(90歳になる)取りに行くことや慰霊参拝はできないと言います。

来月半ばに御家族の法事があるらしく、それまでに木下勇吉さんの万年筆をお返し出来ればと思い、現在沖縄の国吉氏と小倉氏と調整中です。

御遺族は法事までとのこだわりがおありのようで、もしかするとお兄様などが沖縄戦でお亡くなりになった弟の勇吉さんのことをずっと気にかけておられたのかもしれません。

あと、勇吉さんが戦死されたとされる場所が、万年筆が発見された場所より約2キロほど離れていることもわかりました。

では、なぜ万年筆がお亡くなりになった別の場所から発見されたのであろうか?

我々は、そのことも調査中です。

万年筆をお返しする日までに、木下勇吉さんの正確な命日とともにお調べ差し上げたいと考えています。

ちなみに、木下勇吉さんは、24歳という若さで戦死しています。

階級は陸軍伍長でした。


御遺族をさがしています[2011年10月22日(Sat)]
御遺族をさがしています


「796 大西隊」「及川」と刻まれた印鑑(下記の写真)を沖縄県の国吉勇氏が発見し保管しており、返還のためにご遺族を探しておられます。

残念ながら持ち主のお名前が「及川」しかわかりません。

「796 大西隊」「及川」というお名前にお心当たりの方は、本会までご連絡ください。

どのような些細な情報でも構いませんので、皆様からのご連絡をお待ちしております。


御遺族をさがしてます[2011年10月22日(Sat)]
御遺族をさがしてます


以前のブログでもお知らせした「木下勇吉」さんが鳥取県の方だということがわかりました。

「木下勇吉」というお名前は、沖縄戦でお亡くなりになった方では、お一人しかおられません。

御本人か御遺族を御存じの方がおられましたら、本会までご連絡をお願い致します。





情報をください〜御遺族を探しています〜[2011年10月20日(Thu)]
情報をください〜御遺族を探しています〜


平成23年8月に「木下勇吉」とフルネームが刻まれた万年筆(写真)を沖縄県の国吉勇氏が発見し保管しており、返還のためにご遺族を探しておられます。









この万年筆が発見された場所は、沖縄県糸満市与座の通称「上座の殿近くの軍構築壕」と呼ばれる人工壕で、これまで出土した遺留品からみて、陣地兼野戦病院として使用されていたと推測されます。

また本会が調査したところ、当時の配置図から見て陸軍第二十四師団制毒隊(山 三四七七部隊・隊長 五十嵐正二郎大尉、満州東安から昭和20年8月5日沖縄本島上陸)、捜索第二十四聯隊(山 三四七八部隊・隊長 才田勇太郎少佐、満州東安から昭和20年8月5日沖縄本島上陸)、工兵第二十四聯隊(山 三四八一部隊・隊長 児玉ノブテル大佐、満州東安から昭和20年8月5日沖縄本島上陸)のいずれかがこの壕を最後に使用していたのではないかと思われます。

「木下勇吉」さんご本人やご遺族をご存知の方、お心当たりの方は本会事務局までご連絡ください。


もう一点。

「796 大西隊 及川」と彫られた印鑑もお預かりしており、御遺族を探しております。



どのような些細な情報でも構いませんので、皆様からのご連絡をお待ちしております。


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