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進まぬ遺骨収集[2014年06月24日(Tue)]
進まぬ遺骨収集


今日の産経新聞にこんな記事が載っています。

終戦から69年。
あまりにも遅い対応です…。

今を生きる未来の私達の為、捨て石となり散華された方々を今の今まで放置するような国が、果たして良い国でしょうか?
あの戦争は日本の総力戦でした。
そんな大変な戦をした国は、そんな大変な目にあわせた人々のご遺骨をほったらかしにしてきたのです。

結局政府は収集はボランティアに任せて、自分たちは「海自が行くついでがあるから運搬だけはする」ってことですかね…?
おかしな話ですよね…

◆産経新聞より◆
『自、収集遺骨を日本へ 9、 10月 ガダルカナル島から』
産経新聞 6月24日 7時55分配信

海上自衛隊が、 政府が戦没者慰霊事業として実施している遺骨収集事業に初めて協力する方向で調整を進めていることが23日、分かった。
遠洋練習航海に出ている部隊が9、10月、先の大戦の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島から日本に遺骨を輸送す る計画で、遺骨収集事業に政府全体で積極的に取り組んでいる姿勢を示す。

海外戦没者の遺骨収集作業は昭和27年度に開始。
これまでに海外戦没者約240万人のうち約127万柱を収容している。
だが、遺骨情報が少なくなってきているフィリピンやインドネシアなどの南方地域では収容が進んでおらず、平成18年度以降は民間団体の協力を得ながら収集作業を実施している。

一方、海自は幹部候補生学校を卒業した初級幹部らを対象にした半年間程度の遠洋練習航海を毎年行っている。

今年は練習艦「かしま」など3隻が5月に日本を出国。
太平洋を周回する形で米国やパナマ、オーストラリアなど13カ国に寄港し、10月24日に帰国する予定だ。

練習航海では9月19、20両日にガダルカナル島のホニアラに立ち寄る予定で、政府や民間団体が同所で遺骨収集事業を実施する時期と重なったため、海自艦艇で集めた遺骨を日本まで運ぶ計画が浮上した。
政府内の調整で、防衛省は「協力できることは協力したい」と前向きな意向を示している。

自民党は遺骨収集事業を「国の責務」と位置づけ、外務省や防衛省の協力義務を定める議員立法を秋の臨時国会に提出する方針で、今回の海自の協力をモデルケースとしたい考えだ。

ガダルカナル島では、先の大戦で米軍と激戦を繰り広げた旧日本軍の2万人以上が戦死した。政府は昭和29年度以降、約1万5千柱を収容している。

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昨日の夕刊より[2014年04月09日(Wed)]
昨日の夕刊より


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昨日の夕刊記事より

「中川清」さんは誰?

[2014年4月8日16時0分]

太平洋戦争中に地上戦が展開された沖縄県糸満市の壕(ごう)で昨年、「中川清」という名前が刻まれた万年筆が見つかった。
兵士が持っていたとみられ、国などが所有者を捜しているが、手掛かりが乏しく難航している。

万年筆は長さ約10センチで黒色。
握る部分に名前が彫られ、ペン先は失われている。
戦没者の遺骨収集に取り組む兵庫のボランティア団体「戦没者慰霊の会 ひょうご」が昨年2月に発見した。

「慰霊の会」によると、見つかった壕は、旧日本陸軍の独立歩兵第2 1大隊、第23大隊が通過した記録が残っているという。
両隊に「中川 清」という名の兵士が所属したこと は確認されていないが、厚生労働省は沖縄戦に参加した同名の人物の本籍地が石川、福井、三重、滋賀、京都の5府県にあることを確認、各府 県に調査を依頼した。

しかし、該当する人物が死亡していたり、親族が万年筆の存在を覚えていなかったりするなど、持ち主につながる情報は得られていない。

厚労省の担当者は「万年筆は(関係者の名前が書かれることの多い)日章旗より持ち主の特定が難しい」と指摘する。
「慰霊の会」の楠田誠一郎代表は「少しでも心当たりのある方に連絡してもらいたい。持ち主が確認できれば返還したい」と話している。
(共同)
終戦68年 参列予定の妻は過去最少[2013年08月14日(Wed)]
終戦68年 参列予定の妻は過去最少


戦没者御遺族も年々ご高齢になり、遺留品返還も難しくなってきております。
私たちも1日でも早く御遺族にご遺骨や遺留品を返還できるように努力するとともに、過去の歴史の1ページとして忘れ去られようとしている戦争の惨劇を後世に語り継ぎ、命と平和の尊さを伝えていかなければなりません。



毎日新聞の記事より


<全国戦没者追悼式>終戦68年 参列予定の妻は過去最少

 
 68回目の終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下をはじめ安倍晋三首相、99歳から10歳までの遺族ら約5800人が参列する予定。日中戦争と第二次大戦で犠牲になった約310万人を悼み、平和への誓いを新たにする。

 厚生労働省によると、参列を予定する遺族約4800人のうち、戦没者の妻は16人(0.3%)と、統計が残る1981年以降最も少ない。父母の参列予定者は3年連続で0人で、遺族の高齢化が年々進んでいる。一方で戦没者の子は3100人超と約3分の2を占めている。

 式典は正午前に始まり、安倍首相が式辞を述べた後、正午に全員で黙とうする。天皇陛下のおことばに続き、衆参両院議長や遺族代表らが追悼の辞を述べる。

 15日は全国36都道県で関連行事があり、厚労省のまとめでは約4万9000人が参加を予定している。

【遠藤拓】


あなたはどう思いますか?[2013年08月14日(Wed)]
あなたはどう思いますか?


山形新聞の記事を転載します。
先人たちが残してくれたこの国をどの方向へ向かわせるのかは、今を生きるわたしたちが決めることです。
多くの犠牲により成り立っている日本。
いまのままでいいのでしょうか・・・。
難しい問題ですが、あなたはどう思われますか?




山形新聞より


元兵士・遺族、改憲議論を思う。ニューギニア作戦に参加・斎藤繁衛さん


 安倍晋三首相が憲法改正に関する発言の度合いを強めている。戦争放棄と戦力不保持を明記した9条の改正を念頭に、集団的自衛権の行使容認にも前向きだ。先の大戦で死線を超えた元兵士、辛苦を味わった遺族らはこうした状況をどう受け止めているのか。終戦記念日を前に、あらためて語り継ぐべき戦争体験や平和への思いを聞いた。

国を守る抑止力必要
 歩兵第224連隊は1944(昭和19)年1月から45年8月の終戦までの間、オランダ領ニューギニアで連合軍と戦った。同連隊所属の約3300人のうち、生還したのは600人程度。斎藤繁衛さん(93)は生存者の一人だ。

 40年12月、20歳で兵役に就いた。224連隊は中国山西省の南部にある周村鎮警備に当たっていたが、44年1月にニューギニアでの作戦に加わった。

 5月に米軍が上陸作戦を開始すると、日本軍は苦戦を強いられた。日本軍が「入江峠」と名付けた場所での戦闘で、斎藤さんの中隊は最前線に投入された。初めて対峙(たいじ)した米軍の圧倒的な戦力。一方的に弾丸を撃ち込まれ、顔を上げることすらできない銃撃戦で、仲間を何人も失った。「『ドーン、ヒュッ』という花火のような音の後、辺りが真っ白になった」。近くで迫撃砲がさく裂し、仲間2人が倒れた。そのうちの一人が「天皇陛下万歳」と最後の言葉を残して亡くなった。「即死と違って、腹を撃たれたら死ぬまでに時間がかかるから、そう言って死ぬんだ」。斎藤さんは「二度と聞きたくない言葉だ」と話す。

 ニューギニアは飢えと病との戦いでもあった。海上封鎖のため日本からの食料供給が滞り、現地は慢性的な食料不足だった。「人の肉以外はなんでも食べた」。ヘビ、カエルなどはもちろん、腐ったサゴヤシをひっくり返して裏にいる虫のさなぎを集めて食べた。名前は知らない。皆は「サゴムシ」と呼んだ。コメが尽きてからは、サゴヤシから取れるでんぷんも貴重な栄養源だった。

 生水は飲めない。一度沸騰させる必要があったが、煙や火の明かりは敵に居場所を知らせることになる。夜に大きな葉で火の明かりを隠すようにして湯を沸かした。

 戦闘の長期化や食料不足で体力が落ちた兵士をマラリアやアメーバ赤痢などの病気が襲った。多くの兵が衰弱して死んでいった。免疫ができる他の熱病と違い、マラリアは何度でも感染する。寒けが1時間ほど続いた後に、40度以上の高熱が出る。赤痢などを併発し、栄養失調などで命を落とした。ニューギニアで亡くなった224連隊の約2700人中、約3分の2が病死や餓死だった。

 斎藤さんは「戦争は2度とすべきではない」とする一方で「今の日本には他国の脅威から国を守れるだけの十分な力が無い。戦争の悲惨さを知っているからこそ、憲法9条を改正して国を守る対策を取ってほしい」と強調する。「現状のままでは、拉致問題も領土問題も解決しない。戦争のためではなく、国を守る抑止力の強化として、9条改正を望む」

 「戦場で亡くなった戦友のことを書きたい」と今も戦争に関して執筆を続ける斎藤さん。テレビで流れる戦争の映像は見るのも嫌だが、ニューギニア戦線の悲惨さが世間にあまり知られていないことが悔しいという。「経験している自分だからこそ伝えられることがある」。涙をにじませながらこう語った。
(報道部・白井一歩)


戦没6万331人分を名簿に[2013年08月14日(Wed)]
戦没6万331人分を名簿に



大東亜戦争(太平洋戦争)時には多くの商船や輸送船も攻撃対象となり、海の藻屑と消えてしまいました。
海没した船や航空機からは、ご遺骨はもとより遺留品すらも収容することは難しい場合が多いのです。
しかし、こうした悲劇が繰り返されないためにも、今を生きる私たちが忘れず、語り継ぐことが必要ではないでしょうか。



毎日新聞の記事より


闇に沈んだ船員に光。
神戸の資料館、戦没6万331人名簿に。5年かけ来月完成


 太平洋戦争中に徴用され、撃沈された民間船などの資料を集めた「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区)が、戦没した船員の名簿6万331人分のデータベース化を進め、9月に完成する見通しになった。ばらばらだった記録を体系的にまとめる作業で、5年前から始めた。その過程で、輸送船の犠牲者が従来把握されていたより数十人多かったことが判明するなど、埋もれた歴史に光があたり始めた。【石川貴教】

 戦没船員の情報はこれまで、船舶関連団体などによる公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」(東京都)の資料など膨大な名簿の中から、本籍地や氏名を頼りに探していた。しかし、本籍地が不明だったり、氏名の読み方が分からない場合があり、遺族が探すのを諦めるケースもあった。

 そこで、同資料館が2008年から、同顕彰会の資料を基に、船員の氏名を50音順にリストアップ。▽生年月日▽没年月日▽死亡場所▽船名や職名▽本籍地▽遺族の名前と続き柄−−について蓄積した資料と照合して一人ずつ事実関係を確認しながら整理している。現在、スタッフ5人が作業している。

 新たな発見があったのは、1944(昭和19)年11月17日、米潜水艦の魚雷で撃沈された輸送船「摩耶山丸」。陸軍に徴用され、フィリピン・レイテ島に兵員や物資を運ぶ途中だった。船の所有会社の資料では、戦没船員は55人とされていたが、同資料館のまとめ作業で、他に数十人の船員が戦死していたことが分かった。調査の結果、「乗船していた4000人以上の兵士の食事を担当した人」と推察されるという。

 他にも、船名の誤植や、沈没時期と船員の没年月日の食い違いも見つかった。遺族の項目に同じ女性が「妻」「母」の続き柄で何人分も並ぶケースもあり、スタッフの大井田孝さん(71)は「家族を何人も亡くしたのかと思うと、やるせない気持ちになった」と打ち明ける。それでも「データベース化が、新たな歴史が分かるきっかけになれば」と話す。問い合わせは同資料館(078・331・7588)。



戦没した船と海員の資料館


 太平洋戦争で国に徴用されたり、物資を戦地に運ぶなどして撃沈された民間船とその船員の資料館。生き残った船員や遺族でつくる「戦没船を記録する会」が約6年かけて収集した資料の寄贈を受けた全日本海員組合(本部・東京都)が、2000年に関西地方支部所有の海員ビル(神戸市中央区)にオープンさせた。犠牲になった船の模型や写真、図面などが展示されている。入場無料。


ラバウルの「宇奈月温泉」 名付け親は私かも、清田さん(魚津)[2012年12月05日(Wed)]
ラバウルの「宇奈月温泉」
名付け親は私かも、清田さん(魚津)


北日本新聞社の記事より


「名付け親は私かも」。パプアニューギニア・ラバウルにある「宇奈月温泉」について、太平洋戦争のさなかに現地に駐留していた清田一男さん(91)=魚津市村木町=が名乗り出た。70年前、同僚らと一緒に温泉を訪れた際、名前を考えていると言われ、提案した。

温泉の命名者について取り上げた本紙コラム「天地人」を読み、当時を思い出したという。

ラバウルにある宇奈月温泉は、温泉ライターの山崎まゆみさんが著書「ラバウル温泉遊撃隊」(2009年)の中で紹介。

ラバウルには戦時中、旧日本軍の基地があったことから当時、富山の宇奈月温泉を知る日本人が名付けた可能性がある。

「天地人」では、ことし7月8日と8月20日の2度、ラバウルの宇奈月温泉を取り上げ、名前の由来を探った。

清田さんは1942(昭和17)年5月下旬、旧海軍第25航空戦隊司令部の気象班員としてラバウルに赴任。

1カ月ほどたったころ、同僚から「近くに温泉があるらしい」と誘われ付いていくと、宇奈月の源泉がある黒薙(くろなぎ)温泉とよく似た露天風呂があった。

「入浴してみると黒薙みたいに温かくて気持ち良かった」と清田さんは振り返る。

その際、露天風呂の設営に関わったと思われる男性から「日本の有名な温泉の名前を付けたい」と言われ、全国的に知名度が高い宇奈月温泉を推薦し、どんな字を書くかメモに書いて渡したという。

清田さんは7カ月ほどラバウルで勤務したが、戦火が激しくなり、温泉を訪れたのは一度きり。

これまで人に話したことはなかったが、ラバウルの宇奈月温泉について本紙で読み、驚いたという。清田さんは「随分時間はたったが、今でもあの温泉が残っていると思うと懐かしい」と語った。

山崎さんは「信ぴょう性もあり良い話だ」と話した。

兄の水筒、故郷へ[2012年11月26日(Mon)]
兄の水筒、故郷へ


産経新聞の記事より


戦死から70年…兄の水筒、8 7歳妹の元へ「信じられない」


第二次世界大戦 の激戦地のひとつ 、東部ニューギニ ア(現パプアニュ ーギニア)で見つ かった水筒が、持ち主とみられる兵士の戦死から70年を経て今月、遺族の元に戻った。

水筒に刻まれた姓 を手掛かりに、戦友会関係者らの調査で持ち主が判明。劇的な“再会” に、遺族は「信じられない」と喜びをかみしめた。

水筒の持ち主は、昭和17年12 月にニューギニア・ブナで戦死した 、岐阜県出身で歩兵第229連隊第 3大隊の上等兵、纐纈(こうけつ) 啓一さん=当時(21)。

水筒は、昭和56年~平成17年 に現地で遺骨収集を行った南海支隊 の元兵士、西村幸吉さん(92)= 埼玉県=がブナで見つけた。
関係者 が日本に持ち帰り、泥やほこりを拭うと、水筒の2カ所に「交告」と刻まれているのを発見した。

同隊戦友遺族会の世話役、辻本喜彦さん(65)らが調べると、交告は纐纈の略字で岐阜県に多いと判明 。
同県遺族会に調査を依頼した結果 、県内の纐纈姓の戦死者143人のうち、ブナでの戦死者はほかに確認できず、水筒は啓一さんのものとみられる。

辻本さんが今月17日、岐阜県を訪れ、啓一さんの3つ違いの妹、小栗ぎんさん(87)=岐阜県瑞浪( みずなみ)市=に水筒を手渡した。
弾痕や穴が残るアルミ製の水筒を手にしたぎんさんは
「魚釣りが好きで 、優しかった兄さんを思い出しまし た」
と目を細めた。

辻本さんは「啓 一さんの国に帰りたいという強い気持ちが返還につながった」と話した 。



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辻本喜彦さん(右)から、戦死した 兄のものとみられる水筒を手渡され た小栗ぎんさんと長男の昭五さん =岐阜県可児市
(写真:産経新聞)
両陛下、沖縄へ[2012年11月17日(Sat)]
両陛下、沖縄へ



産経新聞の記事より


両陛下が沖縄に向けご出発


天皇、皇后両陛下は17日午前、沖縄県糸満市で行われる「第32回全国豊かな海づくり大会」臨席などのため、羽田空港から特別機で同県へ出発された。20日に帰京される。

 公務のため、両陛下が3泊以上で地方を訪問されるのは、2月の陛下の心臓手術以来、初めて。

 両陛下は17日、糸満市内の沖縄平和祈念堂を訪れた後、昭和20年の沖縄戦で亡くなった犠牲者の遺骨を納める国立沖縄戦没者墓苑で供花される。

 翌18日には同大会にご臨席。20日には初めて久米島を訪問される。


天皇陛下は、
「沖縄へ着いたらまず、先の大戦でお亡くなりになられた方へ供花したい」
とおっしゃられた。

沖縄戦は、日本の歴史上最悪でありもっとも不幸な出来事である。

両陛下は昭和天皇の苦悩を直にご覧になりながら生活をされてきた。

同時に、昭和天皇のお気持ちを受け継いでおられ、沖縄での出来事を非常にご理解しておられます。

いま日中間は険悪なムードにあるが、なんとか平和的に解決していただきたいものである。

日本人は67年前に学んだはずである。

もう二度とあのような惨劇をくりかえしてはなりません。

硫黄島の遺品[2012年08月22日(Wed)]
硫黄島の遺品


先日、小笠原諸島の硫黄島(いおうとう)で戦没者遺骨収集をおこなっていた「硫黄島協会」の収集団が、ある遺品を発見しました。

その遺品とは、当時の指揮官であった栗林忠道中将が大本営に宛てた最後の電文(決別電文)を発信したとされる無線機です。

硫黄島は管政権当時に発足したチームにより、戦没者帰還事業がおこなわれています。

島全体が火山で、硫黄ガスがいたるところで噴出しており、作業は困難を極めます。

そしてそのガスの影響により、御遺骨も痛みが早いため、政府には急いで作業をおこなっていただきたいと思います。


当時、持久戦に備えて島の地下には総延長18KMにも及ぶ地下陣地が構築されており、すべての地下壕を捜索するのはなかなか困難なようだが・・・。


私たちも沖縄で活動中によく無線機の残骸を発見します。

真空管や電子部品が多く出てくるが、沖縄の場合、それらの多くは火炎放射器により原型をとどめていません。

私は、遺品は当時の人々が私たち未来の現代人に残したメッセージが込められていると考えています。

みなさんには彼らが守ろうとしたもの、それが何なのかをじっくり考えていただきたいと思います。


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今回発見された無線機

ご家族のもとへ[2011年11月11日(Fri)]
ご家族のもとへ


以前よりお伝えしていた木下勇吉さんの万年筆ですが、沖縄県の国吉氏と小倉氏が御遺族へ郵送しお返しすることができました。

近々、法事がありご親族が集まるそうでしたので、万年筆だけではありますが御親戚のもとへお帰りできたことは、本当に喜ばしいことであります。

勇吉さんの御遺骨は発掘され、沖縄県で静かに眠っておられます。

勇吉さんがお亡くなりになった場所への参拝は御遺族がご高齢であることから、代わりに小倉氏がおこなっておりますので、皆様へご報告いたします。




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