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平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3[2013年02月13日(Wed)]
平成25年 沖縄戦戦没者遺骨収集活動 3


活動3日目。

この日からはさらにメンバー5名が参加しました。

お一人を除いてメンバーの方は遺骨収集には初参加ということですので、まずは現地を実際に見ながら危険事項を説明していきます。

前夜に簡単な説明会をおこない注意事項などを説明していましたが、参加者たちは現場を目の前にして緊張しているのがわかります。

前日、立ちあがる際に崖から垂れさがっているツルを引っ張り、頭上から大きな岩のかけらがヘルメットを直撃するというアクシデントがありましたので、垂れさがるツルや崖と壕内部の側面には絶対に触らないようにと説明します。

次に、狭い壕に2班に分かれて入り、全員に壕内を案内し説明します。

今回まず、女性陣は前日に引き続き正木氏が調査している小さな壕を担当していただき、男性陣は前日まで私と国吉氏が調査していた深い壕内部の掘削をおこなっていただきます。

2013 okinawa 060.jpg

正木氏の丁寧なご指導を受けながら作業するメンバー


2013 okinawa 062.jpg

作業開始すぐ、次々に御遺骨をお迎えするメンバーたち


男性陣のお一人のN氏は経験者ですので、すぐに状況を把握し、もう一人のメンバーとともにスムーズに作業をこなしていきます。

2013 okinawa 068.jpg

狭く暗い壕内で作業する男性メンバーたち
大きな岩が作業を阻む


壕内部は非常に狭く、作業は二人が限度。

見ると、経験者のN氏が一緒にいるもう一人をしっかりサポートしています。頼れる存在です。
やはりこういう方がおられると非常に安心ですね。


狭い壕内部は二人の男性陣に任せ、私は浜田氏ご夫妻と壕がある山の上に登り、周辺を調べます。

この山の頂上はさほど高くなく、数十メートルほどしかありませんが、頂上に登るとそこは360度見渡せる場所となっており、周りには視界を遮るものはありません。

遠くに与座岳や糸満市内を望み、反対側は摩文仁や荒崎海岸方面の海も望めます。

頂上付近のジャングルを歩くと、そこらへんに不自然な石積みがたくさんあります。

トーチカ跡です。

さらには、通称《タコ壺》と呼ばれる一人用の塹壕跡が等間隔で無数にありました。

2013 okinawa 079.jpg

《タコ壺》と呼ばれる一人用塹壕の跡


その下には散兵壕跡もたくさんあります。

散兵壕とは、みなさんも映画などでご覧になられたことがあると思いますが、人が隠れるほどの深さの長い溝のような塹壕です。

この散兵壕は敵に向かって左右に長く掘られており、等間隔で何人もの兵士が隠れて狙撃などをしていた場所で、掘れば必ずと言っていいほど御遺骨や遺留品がでてきます。

浜田氏ご夫妻と相談し、正木氏たちが掘る壕はそのまま継続し、男性陣が調査している軍構築壕はこれまで御遺骨が一切出ていないのであとは国吉氏にまかせて、男性陣は午後から山頂のタコ壺を調査することにしました。


午後になり、男性陣は三か所のタコ壺に分かれて作業開始です。

私も早速掘削開始。
しかし70年近くという年月により、雨ざらしの土砂は硬化し非常に硬い粘土質となり、その上、ジャングルの木の根が作業を阻みます。

2013 okinawa 084.jpg

タコ壺を掘るメンバー。
堅い土と根っこが作業を阻む


2013 okinawa 086.jpg

慣れない作業で汗だくになり休憩するメンバー
汗だくになり一生懸命に作業する彼らの、熱い想いが感じられる


2013 okinawa 087.jpg

座り込み、必死に木の根と格闘する浜田夫人。
さすがに慣れた手つきで、手際良く木の根を切っていく


私も負けじとタコ壺を掘っていきます。

すると、比較的浅い場所から薬莢や瓶と、立て続けに御遺骨ががでてきました。

2013 okinawa 095.jpg

出てきた日本軍の薬莢と瓶。
写真右は粉々になっていた御遺骨の一部


2013 okinawa 085.jpg

発見したご遺骨


《タコ壺》は通常1.5メートルから2メートルほど掘らないと当時の地盤までたどり着かないことが多いのですが、私が出した御遺骨は、約30センチ程下から出てきました。

この山頂には大きな不自然な穴ぼこがたくさんあります。

おそらく、まわりに360度遮るものがないこの山頂は艦砲射撃や空爆の恰好の目標となったに違いありません。

つまりこれらの不自然な穴ぼこは、アメリカ軍の攻撃により炸裂した砲弾や爆弾の爆発跡ということです。

「鉄の暴風」と言われるほどの攻撃により、このあたりの兵士はおそらくはみなバラバラに砕け散ってしまったのでしょう。

沖縄戦をある程度学ぶと、攻撃を受けたその日のことを想像するのは容易であり(実際には想像よりはるかに酷いことがあったのでしょうが・・・)、このような御遺骨を見るたびに、涙がでてきます。

戦争の悲惨さを感じる瞬間です。

一方、浜田氏は自然石がトーチカ変わりになりそうな場所を調査しています。

2013 okinawa 088.jpg

大きな隙間を調べる、浜田哲二氏。
岩の隙間に頭を突っ込み、内部をくまなく調べている


2013 okinawa 091.jpg

男性さながらに一人でタコ壺を掘り続ける、女性メンバー
青森からはるばる来た、今回最年少の25歳だ


その後は鉄片などが多く出土していましたが、ほとんどが砲弾や爆弾の破片でした。

みんなへとへとになり時間がきたので、今日の調査は終了としました。


調査を終えた私たちは、近所にある「糸洲の壕」と呼ばれる自然壕を見学に行きました。

この壕は以前このブログでも紹介したこともありますが病院壕として使用されており、「積徳高等女学校」の生徒たちが看護婦として学徒動員され、犠牲になっています。

住民は昼は壕内に隠れ、夕方から芋を掘り家で煮炊きをするという生活を約2ヶ月も続けたといわれており、その環境の悪さはひどかったといいます。

2013 okinawa 096.jpg

「糸洲の壕」と呼ばれる、ウッカ―ガマ自然壕に入るメンバー


中はほとんど手を入れられておらず、ほぼ当時のままの姿を保っています。

中に入り、真っ暗な中、懐中電気を消して当時を体験してもらいます。

68年前、この壕では負傷者のうめき声や死臭が漂い、気が触れた人々や苛立った人々がワッサワッサと歩き回り奇声が聞こえ、それを黙らせるために軍人が怒鳴る声が響き渡っていたのでしょう。

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真っ暗なガマ内部を見学するメンバー


当時の雰囲気を感じたメンバーは神妙な面持ちで内部に見入っていました。

2013 okinawa 099.jpg


2013 okinawa 100.jpg

見学を終えガマを出てくるメンバー。
「オキナワ」を直に感じ、何を思ったであろうか


この日、初めての体験ばかりのメンバーは戸惑いながらも懸命に「沖縄の現実」に向き合っていました。

本会では遺骨収集活動だけではなく、せっかく遠くまで来て下さるメンバーに、一般の観光地として整備された壕やガマではなく、なるべく当時の沖縄を知っていただくための平和学習として、多少危険ではありますがこのような自然壕を見学し、沖縄戦の追体験も取り入れています。

翌日は朝から「国吉戦争資料館」の見学をおこない、遺骨収集に挑みます。

2013 okinawa 116.jpg

国吉氏のご自宅にある「国吉戦争資料館」


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