CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« ご入会希望の皆様へ | Main | 富嶋神社 »
<< 2016年02月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29          
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新コメント
沖縄戦慰霊祭[2012年10月30日(Tue)]
沖縄戦兵庫県出身者慰霊祭


毎年10月30日は兵庫県出身者の沖縄戦犠牲者の慰霊祭がおこなわれます。

当時の沖縄県知事が兵庫県出身者で、沖縄戦のさなかにあまりにも激しい戦闘の末、民間人たちの犠牲が多いうえ、日本軍の統制がとれず守らなければいけないはずの民間人を楯にするような場面もあり、民間人をまもるために牛島中将や長参謀長に降伏をすすめるために直談判したことは有名な話です。

その偉業から現在でも沖縄県では彼の勲功をたたえ、高校野球などでも「島田杯」があるほどです。



毎日新聞の記事より


沖縄の本土復帰40周年の今年、県が沖縄県と結んだ友愛提携も40周年を迎えた。

沖縄戦の末期、沖縄県知事として赴任し、県民の避難に力を尽くして亡くなった島田叡(あきら)さんが神戸市出身だったことが縁だった。

県は40周年を記念して30日、島田さんの最期の地とされる沖縄本島最南端の同県糸満市摩文仁で慰霊祭を行う。井戸敏三知事や沖縄県関係者らが参列、「沖縄の島守」と称される島田さんをしのび、平和を誓う。
.
島田さんは旧制神戸二中(現県立兵庫高校)卒。東京帝大から内務省に入り、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年正月、沖縄に官選知事として赴任する。

沖縄が戦場になる気配が強まると、本土出身の官僚らは出張名目で島を離れた。44年末には前任の知事が上京したまま戻らず、別の県へ転任辞令を受けるという異常事態の中、大阪府内政部長だった島田さんは後任を打診され、即諾した。

着任した島田さんは食糧確保のため命がけで台湾に交渉に行くなど公務に駆け回った。地上戦でも部下たちと住民保護に腐心し、軍壊滅の南部で消息を絶った。

島田さんとの縁で、72年の復帰直前に沖縄にスポーツセンターを造る兵庫県民の募金運動が始まった。これをきっかけに同年、兵庫・沖縄友愛提携が結ばれた。以来、両県は毎年相互に青少年のキャンプを開催するなど交流を続けている。

30日は、井戸知事や藤原昭一・兵庫県議会議長、県遺族代表約80人のほか、地元から島田さんの功績を伝える「島守の会」関係者らも参列。島田さんら沖縄戦で犠牲となった沖縄県職員らをまつる「島守の塔」と、兵庫県出身戦没者の「のじぎくの塔」で慰霊する。「のじぎくの塔」では記念植樹もする。【桜井由紀治】
〔神戸版〕
10月27日朝刊


神戸新聞の記事より


第2次世界大戦中の沖縄戦で亡くなった兵庫出身者の慰霊祭が30日、沖縄県糸満市で営まれる。今年は兵庫、沖縄両県の友愛提携から丸40年。慰霊祭には、兵庫県の井戸敏三知事や県出身の戦没者遺族らが出席する。

友愛提携は、沖縄戦当時の沖縄県知事、島田叡さんが神戸市出身だったことがきっかけ。島田さんは大戦末期の1945年1月、旧内務省から沖縄県知事に就任した。県民の本土疎開や食料調達に奔走したが、沖縄戦が激しさを増した同年6月、消息を絶った。

糸満市には、沖縄戦で亡くなった兵庫出身者3073人を慰霊する「のじぎくの塔」、今も沖縄の「島守」として慕われる島田さんや殉職した沖縄県職員を慰霊する「島守の塔」が建立されている。30日は、それぞれの塔で慰霊祭が催され、井戸知事や兵庫県議会の藤原昭一議長のほか、兵庫の遺族約80人が参列。のじぎくの塔前では、友愛提携40年の記念植樹も行う。(岸本達也)




この記事のURL
https://blog.canpan.info/ireinokai/archive/80
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
検索
検索語句
プロフィール

遺骨収集ボランティアグループ 戦没者慰霊の会ひょうごさんの画像
遺骨収集ボランティアグループ 戦没者慰霊の会ひょうご
プロフィール
ブログ
リンク集
https://blog.canpan.info/ireinokai/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ireinokai/index2_0.xml