新春合同例会
[2021年01月22日(Fri)]
久しぶりの投稿となりました。阿蘇クラブ、熊本にしクラブ、熊本ネクサスクラブ、水前寺クラブ、熊本五福クラブ5クラブの新春合同例会をZOOMで開催する事ができました。
コロナ禍の中で、あつまることが難しい状況ですが、ネットを通して多くの方々とお会いできたことは、とても嬉しく思います。
特に今回は横浜クラブからもご参加頂き、久しぶりにお顔を拝見する事ができました。
さて、今回の卓話は、「私の被爆体験」という事で、中山高光氏をお招きしての平和学習を東部センターで開催する事ができました。翌日が東部センターの閉所式という事で、センター最後の例会となりました。6年前に熊本スピリットクラブが誕生し、この東部センターで毎月例会を開いてきたので、寂しくなりますが、新しいスタートが始まります。学生の皆さんにとって、よりよい環境になる事はとても嬉しい事です。
さて、この日は「核兵器禁止条約」が発効しました。一瞬のうちに大勢の市民の命を奪われたのは、今から76年前の事です。それ以降、各国が競うように核兵器を開発し所持し続けています。
中山さんは、当時を振り返りながら、原爆の恐ろしさを体験を通してお話されました。更に被害者を苦しめたのは、被害隠しを長年行われ、1950年には「被爆者完治」と発表された。という事です。しかし、1954年のビキニ水爆実験により、原爆禁止運動が広がり、核兵器廃絶と被爆者救済の声で、政府は10年間の放置を詫び、医療法を制定したというお話でした。
その後、アメリカを遊説、少しずつ「被爆者に共感」さらには「不戦の連帯」を誓い合いながら活動を続けられました。その中で、アジア諸国にあまり行かなかった事を悔やまれてます。
アジアでは約8割の人が「原爆が投下されて良かった」と今でも言われるそうです。
加害責任を果たさない日本政府への怒りが大きいのではないかと話されました。しかし、中山さんは、アジアでも希望は持てると話されました。
被爆した唯一の国だからこそ、核兵器の怖さを語りつなぎ、平和への道を広げていかねばならないと改めて、感じたところです。
私は、戦争を知りません。
戦争を知らない人々が増えていく中で、中山さんのお話をぜひ、若い人たちにも聞いて貰いたいと思います。中山さんは今年で92歳になるそうです。
いつまでもお元気で、語り部として私たちを導いて頂ければと思います。
コロナ禍の中で、あつまることが難しい状況ですが、ネットを通して多くの方々とお会いできたことは、とても嬉しく思います。
特に今回は横浜クラブからもご参加頂き、久しぶりにお顔を拝見する事ができました。
さて、今回の卓話は、「私の被爆体験」という事で、中山高光氏をお招きしての平和学習を東部センターで開催する事ができました。翌日が東部センターの閉所式という事で、センター最後の例会となりました。6年前に熊本スピリットクラブが誕生し、この東部センターで毎月例会を開いてきたので、寂しくなりますが、新しいスタートが始まります。学生の皆さんにとって、よりよい環境になる事はとても嬉しい事です。
さて、この日は「核兵器禁止条約」が発効しました。一瞬のうちに大勢の市民の命を奪われたのは、今から76年前の事です。それ以降、各国が競うように核兵器を開発し所持し続けています。
中山さんは、当時を振り返りながら、原爆の恐ろしさを体験を通してお話されました。更に被害者を苦しめたのは、被害隠しを長年行われ、1950年には「被爆者完治」と発表された。という事です。しかし、1954年のビキニ水爆実験により、原爆禁止運動が広がり、核兵器廃絶と被爆者救済の声で、政府は10年間の放置を詫び、医療法を制定したというお話でした。
その後、アメリカを遊説、少しずつ「被爆者に共感」さらには「不戦の連帯」を誓い合いながら活動を続けられました。その中で、アジア諸国にあまり行かなかった事を悔やまれてます。
アジアでは約8割の人が「原爆が投下されて良かった」と今でも言われるそうです。
加害責任を果たさない日本政府への怒りが大きいのではないかと話されました。しかし、中山さんは、アジアでも希望は持てると話されました。
被爆した唯一の国だからこそ、核兵器の怖さを語りつなぎ、平和への道を広げていかねばならないと改めて、感じたところです。
私は、戦争を知りません。
戦争を知らない人々が増えていく中で、中山さんのお話をぜひ、若い人たちにも聞いて貰いたいと思います。中山さんは今年で92歳になるそうです。
いつまでもお元気で、語り部として私たちを導いて頂ければと思います。
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