私立高校の体育教師として、またバスケットボール部の顧問として活躍された後、校長へ。
現在は大学の常任顧問を務められている。
インタビュアー(以下、イ):
『先生になろうと思った動機は何ですか?』
小学校5年の時に父親が他界して、その時に母親が「これから、自分のことは自分でやりなさい」という、家庭の方針を出したんですね。そして、小学校の5年から2年間ほど、新聞配達をしていたんだけれども、新聞を配達している先に、いつも僕を励ましてくれたおばあさんがいたんですよ。いつも飴玉をくれたり、熱いお茶をくれたりね。おばあさんの膝の上で泣いたこともあった。
そのおばあさんの、「今はしんどいだろうけれど、きっと今にいいことがあるから、辛くても頑張りなさいよ」という一言が、僕の人生を変えたんです。
「人との出会いが、人生の中で最も大切なことではないか」と子どもなりに、理屈でなく肌で感じてね。小さい頃におばあさんの親切にされた経験があるからこそ、今の自分があるんだと思ってますよ。
そして、高校2年生の数学の授業中、神のお導きのように、「先生になろう!」とどこからともなく沸いてきてね。
おばあさんとの出会いがあったからこそ、そういう“先生になろう”という気持ちにもなったし、自分が本当にしんどくて辛い時におばあさんに優しい言葉を発せられたそのことが、自分も先生になったら生徒に対して何か出来ないかなというのが発想になったんですよ。
これが先生になろうと思った動機だったわけです。
イ:『学生時代されていたことで、今に生かされていると思うことはありますか?』
アルバイトと、スポーツかなぁ。
当時はやっぱりしんどかったね、何をするにしても。だけど、そのしんどさが今から思ったらめちゃくちゃ懐かしい。だから、あれもして良かった、これもして良かったという気持ちはあるね。
大学時代、寮での2年間もほんとに面白い生活でしたよ。みんな家族みたいなもんで、稼いできたら、お金のないやつにメシを食わすっていうのが暗黙の了解やってね。だからそんな生活をやって、懐かしい思い出があるし、彼らとは今でも親交がある。そういう良き仲間を作れたことは非常に貴重ですね。
イ:『バスケットボール部の顧問を通して生徒から学んだことはありますか?』
僕は朝練で7時半に体育館に入るように決めてたんです。そしたらね、最初、生徒は全く来なかった。でも僕は必ず7時半には体育館に立っておったわけ。そうするとね、「あの先生は、家が遠いのに朝早くから必ず来とる」というのを感じ出したんですね。すると、なんと全員が朝練に来だしたんですよ。
つまり、僕はチームをつくるのは“戦い”だと思うんや。“戦い”がなかったら本物はできないというのが僕の持論ですよ。
事実を教えられる先生はいっぱいいる。だけど、心を教えないと子どもは納得しないし、動かない。僕は、先生の原点は、子どもの心をいかに動かしていくか、子どもの心をいかに自分の懐に入れるか。
そのためには言葉だけでなく、指導者が一番しんどいことをやらないと絶対に下はついてこない。これは社長業でも、校長業でも、僕は一緒やと思うね。戦う姿勢とか、戦う心っていうのはこうあるべきだ、ということをずっと生徒と一緒に話をしてきて、こういう結論に達したわけです。
イ:『教師生活で、心がけてこられたことは何ですか?』
心と心のつながりを作ることやね。そして、そのためには、何をするのかが大切。
「心と心のつながりを作るために、何をするのか」
ここに焦点を合わすと、おのずと答えが出てくるとちゃうかな。まずは、1歩ずつ、手と足を動かすことやね。じっとしていて、何かいい答えが沸いてくるなんてないですよ。
それと、子どもがいい大人になるために最も必要なことは、「感動すること」と「涙を流すこと」なんです。これを子どもらに何回経験させるか。やっぱり人間は涙を流すことによって成長する。
そして、悔し涙の後には必ず大人がフォローしてやる。勇気づけてやること。そうすると、また手と足を動かしよる。教師の仕事は、子どもらに教えるんじゃなく、子どもらが「やるぞ」っていう勇気と希望、手と足を動かす、その動機づけをする。そういうことが一番大事なことちゃうかと思っています。
イ:『部活指導で大切にされていたことはありますか?』
もちろんいいクラブにしようというのも大切なんだけど、運動部の場合は勝たせないとダメだと思うんです。
負けて覚えることもあるんだけれども、やっぱり勝つことがいい大人になるための必須条件だと思う。勝つためには、やっぱり努力しないと勝てない。この努力が大事だっていうことを教えるためには、やっぱり勝たないとだめだ。勝つことによってそれを覚えていくから。だから成功体験を何回させていくかってことが非常に大事なんですよ。
それと、僕はクラブ活動だけできたらいいという考え方ではないから、成績が落ちてきたらきちんと指導をする。やっぱり人間的にいかに強さと優しさを持った人間でいるか、厳しさと優しさというかな、そういうものを持ち合わせた人間になって欲しいから、勉強もして欲しい。クラブ活動を通して人間を作っていこうとするクラブであれば、成功するんじゃないかな。
イ:『ところで、校長になったきっかけは何ですか?』
阪神大震災が起きて、校舎が全壊したからグラウンドにプレハブ校舎が建ったんです。
その当時は生徒指導部長をやっていたからとても大変だったんだけれども、その時に自分に何が出来るだろうかということを色々考えたところ、とにかく掲示板が必要だということで、大きな掲示板をプレハブのところに作ってもらったんです。そして、そこに僕が1週間で本を読んだ中で感動した部分を全部抜書きにして、それを毎週模造紙2枚に書いたんですよ。
自分にできることはこれしかないと思って、これを毎週欠かさず2年間続けたんです。そういうことを、前の校長が見てくれたのかなぁ。ある日呼ばれて、「お前しかない」と言われて。そしてその人の下で2年間教頭をして、校長にお前を推薦するから受けろと言われて、僕は『そんな器じゃないです』と断り続けてたんだけれども、最終的に校長になることになったんです。
ちなみに、役職というのは、人が評価するものであって、自分からその役職を求めて…というのはあまり好きではないんです。
特に先生というのは、生徒とどう関わっていくかというのが勝負であって、“自分がこうなりたからこういう風に…”という生き方をしていると、生徒との交わり、本当の裸の交わりはできないからね。
良い先生というのは、僕は「子ども達と抱き合って涙を流せる先生」だと思うんですよ。こういう先生は今は本当に少なくなってきてますね。子ども達との交流の中で生きがいを見出せるというのが、先生の一番の幸せじゃないかなと思う。
イ:『校長になってからの生徒との関わりで、何かこだわりはありましたか?』
僕は校長になってもドアは開放しとったんです。それで、「いつでも来い」と言う風に集会でも言ってきたし、「困ったことがあったら、何でもいいから来い」と話をしとった。そんな姿勢で6年間やってきたんですよ。
本当に、もう沢山来よった。中には泣きながら話をするやつもおった。深刻な話もあれば、恋の相談も、まぁ色々あったね。
それと僕は6年間、朝15分間だけ門のところに立ったんですよ。
15分だけ立って、生徒の顔色とか見とって。大体ワルが来るのは時間始まる15分前くらいからしか来ないから、そいつらの動向を見るためにね。僕は本当の根っからのワルはいないと思う。どっかでやっぱりリズムが崩れる。だからそのリズムさえ取り戻してやったら、ワルはワルでなくなってしまう。どこが乱れてきたらそうなるのかっていうのはやっぱり、服装でしたね。服装と髪型。年頃の子だから、ちょっとはいい格好したいというか、ちょっとワルぶってみたいというのは誰だってあるけれど、許される限度があるんですな。コイツはまぁこの程度やろうっていうのは、直感的に分かる。これは1回呼ばないかんなってやつがおるわけ。そんな生徒には、担任を通じて「放課後、校長室へ」と。
最初は「怒られる」と思って来るんやけど、コーヒー飲みながら生徒と話しているうちに、そのワルが段々小さくなって涙を流すんですよ。やっぱり何かがあるんですよ。だからその何かを聞いてやり、そして俺も小さい時こういうことがあってという話をしたら、出る時には握手して出よるんですね。
ワルっていうのはどこの学校にもおる。そのワルに対して、ご機嫌取りをしていてはダメです。悪いものはきっちりと悪いと言えないとあかん。
それからもう一つ。校長になって6年間、中1・高1・高3の生徒の誕生日に、誕生日カードを全部自筆で贈ったんですよ。
その子の成績もちゃんと調べないかんし、どういう生徒か、どこの部に所属してるか、教室での授業態度も全部頭に入れないとメッセージが書けないから、しんどかったけどね。校長として、やっぱり学校で預かってる以上は、子どもとも親とも信頼関係を作りたかったからね。
イ:『教育で大事なことは何でしょう?』
教育で大事なことはぶつかり合い!
ぶつかり合いから逃げたらあかん。
逃げるのは簡単なんですよ、いつでも逃げられる。部員にも、「しんどいことから逃げるのはいつでも逃げられる。だけど、この山を越えないと向こうの景色は見えへんぞ。お前もしんどいし、俺もしんどい。お互いにこの山を越えよう」と言うんです。生徒に「よっしゃ!」とそういう気持ちにさせるのが教育やからね。
いい格好では、教育はできませんし。
イ:『教員志望の学生に向けてメッセージをお願いします』
何らかの形で不安はあると思うんですよ。上手いことやれるかなぁっていうのが不安なんやと思う。こんなん、なにやっても不安はあるんやし、まず、上手いこと切り抜けようとするのが間違いであって、やっぱりその中に飛び込まないと空気の流れは読めない。僕の場合は、先生になろうという決心が固かったら、これは大丈夫だと思う。
それと、生徒は絶対裏切りますよ。それが生徒ですからね。だから自分がこれだけしたら、生徒からこれだけ返ってくるだろうと、そういう感覚で話をすると全然ダメ。先生は子どもに何回裏切られるかですよ。そのうちに生徒は裏切らなくなる。裏切れなくなってくる。そういう関係が必要なんですよ。先生は裏切られても、諦めたらあかん。大切なことです。
イ:『先生にとって“教師とは○○である”とは?』
教師とは「情熱」やね。やはりこれが大事ですよ。
インタビュアー:
白津 友里(近畿大学)
塩川 真人(関西大学大学院)
【校長の最新記事】
初めまして、コメントありがとうございます。
記事を掲載して、すぐに頂いたこのコメントを見て、本当に感動しました。
自分たちの活動は、ただ単に自分たちの成長だけでなく、社会に対して「こんな素晴らしい方が教育界で活躍されています」ということを発信し、全国の方に様々なことを感じていただこうと考え、ブログにて全国発信をしてきました。
そんな中、a・prettyさんのコメントが、どれだけ私たちに勇気・感動を与えてくださったか…。
そしてこれもまた“つながり”なのでしょう。
ネットを通した人の“つながり”に助けられ、励まされたのだなぁと感じています。
このコメントで、また活動に対する情熱が湧いてきました。
本当にありがとうございます。
うちは,「ウッ!マンゴー!瞳きらきら輝くこおりっ子☆」のブログ名でこのブログを利用させていただいてます。
人と人とのつながりについて,昨日あった人権・同和教育講座で学んだことをブログに書いたあと,ふらふらと他ブログが紹介されている画面にたどりつくと,ここのブログの内容,それこそ,人と人とのつながりについてのことが書かれているのに気づき,シンクロだ!と思い読ませていただきました。
こんなにも熱い想いをもった。そして,強い信念をもって行動された校長先生がおられるのかと,ただただびっくりさせられました。
この校長先生の存在を知ることができてよかったです。
ありがとうございます。
感謝します。