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森のイスキアはビジネスにそぐわない [2025年09月11日(Thu)]
https://ischia.ciao.jp/2025/09/11/%e6%a3%ae%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%82%a2%e3%81%af%e3%83%93%e3%82%b8%e3%83%8d%e3%82%b9%e3%81%ab%e3%81%af%e3%81%9d%e3%81%90%e3%82%8f%e3%81%aa%e3%81%84/
森のイスキアの佐藤初女さんをリスペクトして、自分もいつかは同じような活動をと目指している方たちもいます。また、初女さんの奇跡のおむすび講習会を5000円という高額の参加費を徴収して開催している方もいます。初女さんは、どのような形で森のイスキアが継承されていくのかを思い描いたのでしょうか。少なくても、ビジネスとして成り立つとは思っていなかっでしょうし、収益をあげるような形でおむすびを広めたいとは思っていなかったと思います。
#森のイスキア
#佐藤初女さん
#奇跡のおむすび
善きサマリア人の法 [2025年02月11日(Tue)]
https://ischia.ciao.jp/2025/02/11/%e5%96%84%e3%81%8d%e3%82%b5%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%82%a2%e4%ba%ba%e3%81%ae%e6%b3%95/
善きサマリア人の法とは?
#善きサマリア人の法
落語の死神に学ぶ救済のタブー [2024年12月26日(Thu)]
https://ischia.ciao.jp/2024/12/25/%e8%90%bd%e8%aa%9e%e3%81%ae%e6%ad%bb%e7%a5%9e%e3%81%ab%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%95%91%e6%b8%88%e3%81%ae%e3%82%bf%e3%83%96%e3%83%bc/
古典落語に、「死神」というセンセーショナルな題名の名作があります。とてもドラマチックな筋立てで、ショックな結末を迎える人気の高い落語です。6代目の円生が得意にしていた非常に面白い物語です。この死神という落語は、人々を癒したり助けたりする人々に大切な教示を与えています。救うべき人と救ってはならない人がいて、救済してはならない人を助けてしまうと、その人のトラウマや邪気を救済者の自分自身が引き受けてしまい、とんでもない目に遭うというタブーです。ボランティア活動をしている人が、必ず守るべきルールでもあります。
自己組織化するならボランティア [2024年09月28日(Sat)]
https://ischia.ciao.jp/2024/09/28/%e8%87%aa%e5%b7%b1%e7%b5%84%e7%b9%94%e5%8c%96%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%aa%e3%82%89%e3%83%9c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%82%a2/
現代人の殆どに欠けているもの、それは自己組織化する能力です。この自己組織化能力が欠けているから、使えない社員が増えたのです。この自己組織化能力を大人になってから開花させようと思っても、非常に難しいのです。ところが、ボランティアをずっと続けることでこの自己組織化能力が身に付くのです。そのエビデンスとは?
イスキアの活動方針を転換する決意 [2023年01月07日(Sat)]
新年を迎えて、新型コロナ感染症の状況と自分の年齢を考慮して、イスキアの郷しらかわの活動方針を転換させてもらうことにしました。
http://ischia.ciao.jp/2023/01/07/%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%82%a2%e3%81%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e6%96%b9%e9%87%9d%e3%82%92%e8%bb%a2%e6%8f%9b%e3%81%99%e3%82%8b%e6%b1%ba%e6%84%8f/
偽善者だと言われても [2022年08月02日(Tue)]
ボランティア活動に真摯に取り組んでいる人ほど、自分の活動が所詮自己満足なのではないか、偽善ではないのかと悩むことがあります。社会貢献活動がまだまだ誤解されている日本では、他人から偽善者だと陰口を叩かれることもしばしばあります。
http://ischia.ciao.jp/2022/08/02/%e5%81%bd%e5%96%84%e8%80%85%e3%81%a0%e3%81%a8%e8%a8%80%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%82%82/
ボランティアとは言わせない! [2018年10月02日(Tue)]
東京オリンピックのボランティアが募集されていますが、これだけはボランティアと呼んでほしくありません。ボランティアの4原則が担保されていません。東京都と組織委員会は、ボランティアについての認識がまったく不足しています。
下のブログで詳しく説明します。
http://ischia.ciao.jp/2018/10/01/%e3%83%9c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a6%e5%91%bc%e3%81%b0%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a7/
『イスキアの郷しらかわ』を始動する [2017年08月25日(Fri)]
 長年の夢だった『イスキアの郷しらかわ』http://ischia.ciao.jp/をいよいよ指導することにしました。10年以上も前から、森のイスキアのような施設を作りたいと、ライフワークとして取り組んできました。しかしながら、仕事をしているとある程度の収入が確保されていますし、なかなか時間も取れないというのが実情でした。二兎を追うものは一兎も得ずの諺通りで、仕事中心になっていました。ましてや、不退転の決意や背水の陣に自分を追い込まなければ本気になれないというのも当然です。それで、今月末で会社を退社することにしました。もう、この道で進むしかないと自分を崖っぷちに追い込むことにしました。9月からは、『イスキアの郷しらかわ』に専念することにいたしました。

 佐藤初女さんをリスペクトして、『イスキアの郷しらかわ』と名付け、『森のイスキア』にあやかって癒しの施設としてオープンしたいと願っていました。その『森のイスキア』の佐藤初女さんは、昨年の2月に永遠の眠りにつかれました。その後、その遺志をついで森のイスキアを運営される方もいらっしゃらないみたいです。そんな状況ですから、心が疲れ心が折れてしまわれた方が癒される施設が必要とされていると認識しています。少しでも佐藤初女さんのお心に添いたいと思い、『イスキアの郷しらかわ』を始動することにしました。

 イスキアの郷しらかわは、福島県の東白川郡塙町の農村にあります。新幹線なら新白河駅から車で40分、東京から東北自動車道で約4時間くらいです。森のイスキアよりは遥かに近い場所なので、便利だと思います。大阪からは飛行機の便で福島空港へは2時間弱で、空港からは車で約50分です。イスキアの郷しらかわは、グリーンツーリズムを利用したヒーリングプログラムです。農業体験や自然体験を活用しながら、価値観の研修や自己マスタリーを学ぶ研修セミナーです。なお、詳しいことはウェブサイトhttp://ischia.ciao.jp/をご覧ください。

 なお、今までこのサイトでブログをアップしていましたが、今後はこのウェブサイトのブログページhttp://ischia.ciao.jp/%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0/でアップして参ります。今までと同じように、ご覧頂ければありがたいです。よろしくお願いします。
障がい者なんて不必要だ? [2016年07月29日(Fri)]
 7月26日の未明に起きた、あまりにも残忍な無差別殺人事件は、多くの人々を震撼させた。施設を辞めさせられた腹いせもあったらしいが、この犯人は、「この世に障がい者なんていらないんだ」とも嘯いていたと漏れ聞く。そして、今回はあえて重複障がい者を狙ったという。これが真実だとすれば、障がい者施設で働いていたにも関わらず、どうしてこんな低劣な価値観を持ってしまったのかと呆れるばかりだ。何故こんなにも低い価値観の人間に成り下がってしまったのか、親もそして学校でも、しっかりとした人間教育をしてこなかったのかと悔やむことしきりである。

 障がい者は社会の役に立たない存在だから、そして障がい者のために多くの税金を使うのはもったいない。故に障がい者はこの世に不必要だと思っているのはこの犯人だけではないような気がする。障がい者や介護老人は、特定の施設に生活するケースが多い。社会の中に当たり前に存在せず、目にしたり関わったりすることが少ない。だから、殆どの人は障がい者の方々と心から触れ合ったり話し合ったりする経験をしない。心の交流がないのだから、不要な人達だなんて不遜な考えになるのも仕方ない気がする。私は、十数年に渡り障がい者の方々と、不十分ながら交流してきた。障がい者の方たちは、けっして無用な人達ではないことを、身を持って知っているのだ。

 人間を超越した偉大なる宇宙の創造主が、この世に存在する意味のないものを生み出す訳がない。この世には障がい者の方々も含めたいろんな生物多様性を持った存在が必要なのではなかろうか。この生物多様性があるからこそ、我々人類は多くの気付きや学びをすることが出来るし、それは障がい者の方々も同じである。米国では、障がい者の方々や様々なハンディキャップを持たれた方々を「チャレンジド」と呼ぶ人が多数存在する。この世に生まれた意味が、ハンディキャップを持たない人々よりも、より大きなチャレンジをすることが可能だという意味である。

 我々だって、よくよく観察すれば不完全なところが多数存在する。いたらない点や身勝手で自己中心的な貧しい心を持っている。今回犠牲になられた重度の知的障がい者の方々が、本当に純粋で清らかな心を持っていて、けっして他人を傷つけようとはしないことを知っている。そんな姿を見て、我々は自分の至らなさに気付き反省することもある。障がい者の方々こそ、この世に存在する意味があるのであり、けっしてなくなってはならない貴重な存在であると確信している。

 さらに、障がい者の方たちは自分たちの抱えたハンディキャップを認め受け容れて健気に生きていらっしゃる。私たちはそういう姿に心を打たれ、自分の勇気を奮い立たすことだってあるのだ。または、知的障がい者の方々が、自分のインナーチャイルドを素直に悪びれず、なんの躊躇もせずに見せてくれる姿を見るに付け、なんと自分は自分を偽って生きているんだろうと反省することが多々ある。知的障がい者の方々は、偽善的な行動をあまりしない。それに比べて、私たちがいかに偽善的な行為をしていて、いい人間を演じていることに恥ずかしさを覚える。

 このように、障がい者の方々がいるからこそ、私たちは自分の至らなさや未熟さを思い知らされるのである。そして、障がい者の方たちと我々が交流することで、彼らもまた多くの気付きや学びをしていると思う。私たちもまた、心に大きな障害を抱えていることを彼らはしっかりと見抜いているのである。そのことを彼らは態度には出さないで、私たちを温かく迎えてくれているのだ。このような事実を、我々はしっかりと受け止め、二度とこのような悲惨な事件が起きない様に、子どもたちに障がい者との交流の場を提供し、教育をしっかりしていかなければならない。
ノーブレス・オブリージュ [2015年12月31日(Thu)]
 ノーブレス・オブリージュという言葉を生まれて初めて知った。こういう仏語があることを知っている日本人は非常に少ないと思われるし、普段から使う人はいないことだろう。このフレーズを知ったのは、ラグビーの日本代表五郎丸選手に関するネット記事によってである。五郎丸選手は、他の選手と同じようにハードな練習と試合をこなしたうえに、マスコミの取材やTV出演にも快く応じている。かなりのハードスケジュールなのに、いつも笑顔で応対していて、好感が持てる。一方で、身体的かつ精神的な疲労を心配しているファンもいる。どうしてあんなにも無理をしているのかという問いに対して、ヤマハ発動機のラグビー部清宮監督は、彼がノーブレス・オブリージュを実践しているのではとコメントしたのである。

 ノーブレス・オブリージュという言葉は、フランスの貴族のような高貴で財産にも恵まれた人々は、市民に対して貢献する義務を負うというのが本来の意味であった。それが転じて、社会的にも才能的にも恵まれて、経済的に豊な人々は社会に奉仕する責任と義務があるという意味になったと言われている。ライオンズクラブやロータリークラブ、JCの社会奉仕活動などは、この精神をいかんなく発揮していると思われる。つまり、五郎丸選手は自分達が大好きなラグビーを続けられるのは、ファンがあってのことだし、国民の多くの支持があるからこそである。社会に対して、ラグビーの素晴らしさを喧伝する役目を負うのは当然だとする考え方なのである。

 五郎丸選手も素晴らしい精神を持っていると思うが、それをノーブレス・オブリージュという言葉を用いて評価している清宮監督もまた、見事な見識を持っていると言わざるを得ない。ご存知のように、あれほど図体がでかくてファイティングスピリットに富むラグビー選手であるが、ノーサイドの笛が鳴ると同時にお互いの健闘を称えあい、何年来の旧友のごとく抱き合ってお互いの友情を高めあう。何時見ても、あの潔さには感動を覚える。さらには、ラグビーというスポーツは完全なチームプレーによって成り立つ。だからこそ、『ワンフォアオール・オールフォアワン』という言葉に代表されるように、自分中心のプレーは非難されるし、そんな選手は淘汰されるのである。

 そして、ラグビー選手というのが、ノーブレス・オブリージュという言葉を心に秘めて社会活動を実践しているということを新たに知り、ラグビーというスポーツとラグビー選手が益々好きにならざるを得ない。野球界には、このような社会奉仕活動をしている選手もいるが、多数派とは言えない。サッカー界でも社会貢献活動をしている者がいない訳ではないが、少数であるし義務的な活動になっている。他のスポーツ界では、この五郎丸選手のように、自ら進んで犠牲的な精神を持って社会貢献的な活動をしている例は少ない。やはり、ノーブレス・オブリージュの精神が浸透していないのかもしれない。

 ノーブレス・オブリージュという考え方は、ある意味においては社会的に批判されるかもしれない。つまり、持てるものが持てないものに対する施しではないのか、上位目線からの自己満足に過ぎないのではないかという批判である。単なる偽善行為ではないかというのである。社会奉仕活動というとそんなふうに誤解されることが多いのも確かである。しかしながら、どんなに少なくても自分の貴重な時間や労力、そして財産を費やして人々の為に貢献しているという事実は否定できない。それが、何回も何十日も続き、結果何十年も続いたとしたらどうだろうか。例え最初は偽善であったとしても、行動そのものが自らの精神を変え、心や魂も浄化させずにはおかないであろう。だからこそ、古来よりノーブレス・オブリージュという精神が廃れずに続いてきたのである。

 日本人は、人知れず徳を積むことこそが本当の美徳だとする考え方を持つ。欧米人のように、人前でも堂々とした態度で社会奉仕活動に勤しむことを好まない。どうしても偽善だと非難されるのを嫌う体質があるのだろう。しかし、人に知られようと知られまいと、非難されようと賞賛されようとも、そんなことは関係ないような気がする。困った人々を救い、人々の幸福の為に寄与し、人々が喜ぶ笑顔を見たいと思うのが、人間本来の生き方ではないだろうか。テロ行為だって、自分が社会から虐げられ見捨てられ不幸のどん底にあると思い、現世では幸福になることを諦めた人々が実施しているのである。こういう人々が救われて、人並みな幸福を手に入れられたらテロは根絶するに違いない。全世界の人々がノーブレス・オブリージユを実践し、恵まれない人々を救えたら、平和で幸福な社会が実現できると確信している。
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