世間を大きく騒がせた大塚家具の内紛は、ようやくひと段落したようだ。まだまだ内紛の火種はくすぶっているみたいだが、株主総会においてあれだけの大差で決着がついたのだから、しばらくは久美子社長の座は安泰だと思われる。それにしても、あんなふうに社内の派閥争いが顕在化するというのも珍しいものだ。古来より社内の派閥争いというのは、ワンマンのオーナー社長以外の会社では結構あるみたいで、コミック課長島耕作でも描かれていたように、大企業でさえも相当あるらしい。実際に、派閥抗争によって社長交代劇が起きることも稀ではない。世間的には、相当大きなマイナスイメージを与えることが多い。今回の大塚家具の内紛劇も、大塚家具の企業イメージを相当に傷つけたとことは否めない。
さて、今回の大塚家具の派閥抗争をシステム科学的に考察するとどうなるか、検討を試みてみよう。まず、会社というのはどういうものか?という視点が必要であろう。会社というのは、この世の経済界を構成するひとつの部分である。経済というひとつのシステムから観ると、企業というのはひとつの有機体システムである。この有機体システムがそれぞれに機能して、様々な活動を行なうことにより、経済という全体が成り立っている。企業という有機体システムは、社員という構成要素である部分から出来ている。したがって、社員相互間の共存的依存関係が発揮されなければ、企業はバラバラになり同じベクトルを目指せない。つまり、企業そのものが存続することさえ危うくなるということである。
さらに、企業が有機体システムであるから、経済界全体から見たとしたら、すべての企業はそれぞれ個性を持っていて、違っている。つまり、生物界と同じように『多様性』を持っているのである。あらゆる万物は、すべて多様性を持って存在しているからこそ、その存在価値や存在意義を持つということである。つまり、この世の中において、まったく同じ生物・植物・鉱物・衛星・惑星・恒星は存在しないのである。まったく同じものが存在したとしたら、そのどちらかは存在を許されないのである。唯一無二の存在であるからこそ、この世に生存しているのである。とすれば、同じ有機体システムである企業も経済界に存在するには、同じものが二つあってはならないのである。同じような会社があったとしても、どこかが違っているものである。
ところが、本来多様性を持つべきこの世の中において、まつたく同じ企業が二つ存在する例が起きてしまう。それが、会社の中に存在する『派閥』である。今回の内紛もまた、社内に二つの派閥を生んだといえよう。派閥が存在するままにしておくと、システム科学的に観れば、その会社は存在できなくなる。つまり、倒産するか廃業するしかなくなるのである。だから、派閥は一刻も早く解消しなければならないのである。しかるに、今回の大塚家具においては、長い期間に渡り派閥抗争を繰り広げてきたのである。企業として相当なダメージを受けてきたのは、想像に難くない。だからこそ、大塚家具は今回の派閥抗争のしこりを残してはならないし、完全に派閥を解消する必要に迫られているのである。
何故、大塚家具はこんなにも酷い派閥抗争になってしまったのであろうか。それは、愛憎というシステムで説明できる。元々親子兄弟であるから、お互いに嫌いな訳ではない。それが、自分の思い通りにならない相手に対して、愛しさ募って憎さ百倍という感情が起きたのであろうと思われる。愛と憎しみは裏腹の関係にあり、愛が大きければ大きいほど、それが叶えられない時に、その大きさが憎しみの大きさになるのである。さらに、そこに欲が絡んでいるから複雑である。どちらかの派閥に乗っかることにより、自分の立場を守ろうとするとんでもない価値観の低い輩がいるのだ。つまり、会社全体のためにという意識はなくて、自分の欲得で派閥抗争に加わる大馬鹿者がいるのである。
今回の大塚家具の騒動を解決する手立ては、まったくない訳ではない。しっかりした思想と哲学を役員全員が持てたとしたら、たちどころに派閥は解消し、社員一丸となった経営が可能となるに違いない。企業は一つの有機体システムだと最初に記したが、まさしくその有機体システムが機能するかどうかは、構成要素である社員皆が統合の思想を持てるかどうかに掛かっているのである。企業は全体性を持ち、その全体最適を目指さなければならないし、関係性を大事にしなければならない。その全体性と関係性が担保されてはじめて、企業は活性化されて収益が確保されるのである。そのことを久美子社長が自ら気付いて行動出来るか、大塚家具の命運はそこにあると言えよう。