逃げ恥ブームに潜む若者の心理
[2016年12月26日(Mon)]
逃げるは恥だが、役に立つというTVドラマがブームになり、逃げロスという現象まで引き起こしているらしい。この手の恋愛TVドラマには興味がないが、あまりにも騒がれているので今まで放映された総集編と最終回を視てみた。なるほど、通常の恋愛ドラマとは違った魅力があった。新垣結衣の可愛さも捨てがたいし、星野源の感情表現を抑えたいかにも頼りげのない仕草と表情が見事である。ドラマの筋書きもよく出来ているし、時折加えられている森山みくりの妄想シーンも微妙なスパイスとして、ドラマを盛り立てている。それにしても、このドラマがどうしてこんなにも若者たちに熱狂的に支持されたのであろうか。多くの若者たちが、深い共感をもってこのドラマを受け容れたと思われるが、その理由に迫りたい。
現代の若者たちは、総じて恋愛下手である。そんなことはない、上手に異性との付き合いをしているし、肉体的にも結ばれている関係にあると反論するかもしれない。しかし、それは単なる異性とのお付き合いであり、結婚を前提とした恋愛ではない。あくまでも、友達の一人としてであり、ただ寂しさを埋め合うような関係でしかない。本当に好きな人とは、恋愛に発展できず、告白することさえできない。そんなに好きでもない異性には、平気で身を任せられるが、大好きで結婚したいなと思っている人とは、深い関係にはなれないみたいである。実に不思議なことであるが、どうでも良いと思える人としか、安心して付き合えないというのである。これでは、結婚できる訳がない。
本来、恋愛というのは、相手の良い処も悪い処も全部許して受け容れて、人間全体を愛するということである。しかし、今の若者は本当の自己開示が出来ない。自分の駄目な処や恥ずかしい部分、みっともない自分を見せられないのである。性交渉をするというのは、自分のすべてを見せなければならない。自分でも自信のない処や恥ずかしい部分までも、相手の目にさらすことになる。どうでも良いと思えるような相手には平気ですべてを見せられるが、大好きな人に嫌われてしまうかもしれないという深層心理が働いて、自己開示をためらってしまうのであろう。我々のような還暦を迎えた世代には、到底理解できないロジックであるが、これが恋愛下手に陥っている若者たちの心理らしい。
どうして自分のすべてをさらけ出せないかというと、自己否定感が強いからである。自分の嫌な処、駄目な部分、恥ずかしい箇所、マイナスの自己を、自分で認めることが出来ず、ないことにしてしまっているからである。自分の良い処だけを出すようにして、良い人間を演じているのである。確かに、職場や公的な場所で駄目な処を敢えてさらけ出す必要はないが、恋愛の対象者にまで自己開示が難しいとしたら、恋愛に踏み切れないのは当然である。本当の自分が知られてしまったら嫌われるかもしれないという恐怖感から、自己開示が出来ないのであろう。言い換えると、自己承認力や自己肯定感が不足しているから、あるがままの自分を見せられないのだと想像できる。
逃げるが恥の主人公二人は、まさに自己承認力や自己肯定感が不足している。だから、恋愛に対して臆病だし、結婚願望がありながら恋に踏み切れないのである。相手のことを好いていながら、嫌われることを恐れるあまり告白できない。年配の視聴者は観ていて、非常に歯がゆい思いをするだろうが、若い人達はあの臆病な二人に感情移入するに違いない。若い人達の多くが、このように自己否定感を強く持っているが故に、結婚しない若者が増えて少子化が進んでいるなら、由々しき大問題である。これでは、益々少子高齢化が進んでしまう。どうしてこんなにも自己否定感の強い若者が増えたかというと、やはり教育の影響であろう。自我を克服して、本当の自己を確立させる教育をしてこなかったツケを、今支払わされていると思われる。
アイデンテティーの確立と一般的に呼ばれる、真の自己確立をしている人は、この日本社会には1割にも満たないと主張する心理学の専門家が多い。特に若者たちは、行き過ぎた競争社会に置かれていて、思想哲学を排除された教育、形而上学を否定された価値観を植え付けられているのだから、真の自己確立が出来る訳がない。逃げ恥の主人公は、たまたま契約結婚(偽装結婚)という形を取ることで、恋愛に発展した。あのようなプロセスをたどることが出来たとしたら、自分も恋愛をして結婚できるかもしれないと安心した若者たちが逃げ恥のファンになったと思われる。こんな偽装結婚から恋愛になんてことが、現実的に起きる訳がない。婚活をするのなら、真の自己確立が必要なんだと気付いてほしいものである。逃げ恥のようなドラマ鑑賞で、自己満足するもんじゃないよ。
現代の若者たちは、総じて恋愛下手である。そんなことはない、上手に異性との付き合いをしているし、肉体的にも結ばれている関係にあると反論するかもしれない。しかし、それは単なる異性とのお付き合いであり、結婚を前提とした恋愛ではない。あくまでも、友達の一人としてであり、ただ寂しさを埋め合うような関係でしかない。本当に好きな人とは、恋愛に発展できず、告白することさえできない。そんなに好きでもない異性には、平気で身を任せられるが、大好きで結婚したいなと思っている人とは、深い関係にはなれないみたいである。実に不思議なことであるが、どうでも良いと思える人としか、安心して付き合えないというのである。これでは、結婚できる訳がない。
本来、恋愛というのは、相手の良い処も悪い処も全部許して受け容れて、人間全体を愛するということである。しかし、今の若者は本当の自己開示が出来ない。自分の駄目な処や恥ずかしい部分、みっともない自分を見せられないのである。性交渉をするというのは、自分のすべてを見せなければならない。自分でも自信のない処や恥ずかしい部分までも、相手の目にさらすことになる。どうでも良いと思えるような相手には平気ですべてを見せられるが、大好きな人に嫌われてしまうかもしれないという深層心理が働いて、自己開示をためらってしまうのであろう。我々のような還暦を迎えた世代には、到底理解できないロジックであるが、これが恋愛下手に陥っている若者たちの心理らしい。
どうして自分のすべてをさらけ出せないかというと、自己否定感が強いからである。自分の嫌な処、駄目な部分、恥ずかしい箇所、マイナスの自己を、自分で認めることが出来ず、ないことにしてしまっているからである。自分の良い処だけを出すようにして、良い人間を演じているのである。確かに、職場や公的な場所で駄目な処を敢えてさらけ出す必要はないが、恋愛の対象者にまで自己開示が難しいとしたら、恋愛に踏み切れないのは当然である。本当の自分が知られてしまったら嫌われるかもしれないという恐怖感から、自己開示が出来ないのであろう。言い換えると、自己承認力や自己肯定感が不足しているから、あるがままの自分を見せられないのだと想像できる。
逃げるが恥の主人公二人は、まさに自己承認力や自己肯定感が不足している。だから、恋愛に対して臆病だし、結婚願望がありながら恋に踏み切れないのである。相手のことを好いていながら、嫌われることを恐れるあまり告白できない。年配の視聴者は観ていて、非常に歯がゆい思いをするだろうが、若い人達はあの臆病な二人に感情移入するに違いない。若い人達の多くが、このように自己否定感を強く持っているが故に、結婚しない若者が増えて少子化が進んでいるなら、由々しき大問題である。これでは、益々少子高齢化が進んでしまう。どうしてこんなにも自己否定感の強い若者が増えたかというと、やはり教育の影響であろう。自我を克服して、本当の自己を確立させる教育をしてこなかったツケを、今支払わされていると思われる。
アイデンテティーの確立と一般的に呼ばれる、真の自己確立をしている人は、この日本社会には1割にも満たないと主張する心理学の専門家が多い。特に若者たちは、行き過ぎた競争社会に置かれていて、思想哲学を排除された教育、形而上学を否定された価値観を植え付けられているのだから、真の自己確立が出来る訳がない。逃げ恥の主人公は、たまたま契約結婚(偽装結婚)という形を取ることで、恋愛に発展した。あのようなプロセスをたどることが出来たとしたら、自分も恋愛をして結婚できるかもしれないと安心した若者たちが逃げ恥のファンになったと思われる。こんな偽装結婚から恋愛になんてことが、現実的に起きる訳がない。婚活をするのなら、真の自己確立が必要なんだと気付いてほしいものである。逃げ恥のようなドラマ鑑賞で、自己満足するもんじゃないよ。
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バツイチ、バツニを恥ずかしいみっともないというのは、現象や結果だけを見ているに過ぎません。確かに私たちの年代からしたら考えられないことですが、どうしても離婚という選択肢しかなかった方たちも大勢います。どちらかというと、私が知っている若者たちはそういう人たちです。中年の方たちも同じです。夫の暴力、暴言、不機嫌な態度、パワハラ、セクハラ、お金にルーズ、借金、ギャンブル、そんな毎日に耐えられなくて離婚している女性がどれだけいることか、想像したことがあるでしょうか。村山由佳さんという作家が書いた「ラヴィアンローズ」という小説をご覧ください。こんな夫婦が世の中にはたくさん存在します。イプセンの書いた戯曲「人形の家」のような自立していない妻たちが、本当の自分に目覚め自立してほしいものだと思っています。子供のことや経済的なしばりがあって離婚できないという時代は終わりました。まずは自分が幸福で愛されていないと、子供を健全に育てることはできません。自分が幸福になり自立するために離婚するなら、おおいにするべきだと考えています。古い常識に縛られる時代は終焉を迎えました。世間の常識ほどあてにならず、特定の権力者や為政者、または強い男性が困らないように、巧妙に作られたものが「常識」です。そんな常識から女性たちは解き放たれてほしいものだと願っています。