読後雑感「ブルーエグジット」
[2016年12月23日(Fri)]
ブルーエグジットとは、直訳すると青い出口になる。ダイビングの専門用語で、水中に潜って海面に浮かび上がる時に、水中から見た海面を割って出るので、青い出口(ブルーエグジット)と呼んでいるらしい。そして、そこから転じて、自分自身の人生や生き方を被らせて、自分の出口の見えない堂々巡りの人生から抜け出す場所をブルーエグジットと呼ぶと言われている。この世の中は、非常に生きづらいものがある。自分らしさや本当の自分を見つけられない人も多い。自分探しの旅の果てに、見つけた本当の自分に出会う出口を、ブルーエグジットと言うのかもしれない。著者の石田衣良さんは、ある身障者の若者が自己成長を遂げて、真の出口を見出す物語を丁寧に描いている。
ある障碍者とその父親の物語である。ひきこもりを続けていた青年が、ある日突然出かけてバイクの事故を起こす。その事故で半身不随になってしまい、車いすの生活を強いられる。ひきこもりは益々酷くなり、自分の部屋から出ることもなくなってしまう。そんな青年が、ある日珍しく両親と外出し、偶然見つけた店に掲げられたポスターに魅せられる。ブルーエグジットというフレーズが記された、ダイビングのポスターである。しかも、その写真に写っているダイビングをしているモデルは、なんと両足がない。そこから、この青年の自分探しがスタートするのである。
この物語で語られているのは、この青年の心の成長であるが、同時に父親の心の葛藤と魂の成長でもある。つまり、親子の自己成長の物語でもあり、親子関係の修復がテーマでもある。親というものは、子どもに対して知らず知らずのうちに、自分の思い通りの子ども像を押し付けてしまっている。それは、言わば支配と制御である。親が理想とする人生を子どもに歩ませようとしている。子どもが不幸にならないようにと思う親心で、けっして悪意はない。しかし、結果として子どもはそんな親に対して反発し反抗し、自分らしく生きたいと思いながら、葛藤するのである。そして、その間違いを多くの親子は気付いていないし、親が変わらなければ子は変わることが出来ないのである。
親のことが心から嫌いな子はいない。しかし、あまりにも過干渉な親を子は毛嫌いする。小さい頃は、親の言うことに対して素直に聞いているが、自我が芽生える少年期には反抗するものである。その反抗期を親があまりにも押さえつけてしまうと、自我人格を確立できない。しかも、自我が正常に育たなければ、やがて確立するであろう自己人格も育たない。親というのは、木の上に立ってじっと見守るように、子に対してそっと愛情をかけてあげるものであり、何もかも親が子に指し示すものではない。子どもがダイビングを経験しながら成長する姿を通して、親がかけるべき本来の愛情を気付き学ぶストーリーが丁寧に描かれている小説である。
自分とは何なのか?自分が生きる意味とは?そんなことを考えながら、悩み苦しみながら少しずつ心と魂が成長して行く時期が、『青春』であろう。親を思い、時には親に反発し、親を殺したいほど憎み、やがて自分と親は別の人格であり、親の支配と制御から抜け出すことが真の自立と言える。この若者は、不幸にも小さい頃は親の言うとおりの生き方を強いられて、自我も芽生えず自立できなかった。親が望む『よい子』を演じるだけであった。それが、事故によって両足の不自由を抱えることになりながらも、ダイビングを学ぶことで本当の自分を確立できたのではあるまいか。そして、何も口出しせずその成長の姿をじっと見守っている父親を見て、親の有り難さを知り、感謝を言えるほどの親子関係を取り戻せたに違いない。
この若者は、ひきこもりや交通事故による半身不随という不幸な境遇の中で、たまたま目にしたダイビングのポスターから、自分の出口であるブルーエグジットを見つけ出すことが可能になった。現代において、多くの若者が自分の本当の出口を見つけられず、苦しんでいるに違いない。そんな若者たちへの応援歌として、原作者の石田衣良氏はこの小説を書いたのだろう。多くの若者たちにいろんな経験と学びをしてもらい、自分なりのブルーエグジットを見つけてもらいたいと思った自分がいる。そのためのサポートを、自分なりにしていきたいと強く心に刻んだ。石田衣良さんの小説には、いつも感動させられる。いい小説に出会えたという大きな喜びを感じると共に、作家に深く感謝したい。
ある障碍者とその父親の物語である。ひきこもりを続けていた青年が、ある日突然出かけてバイクの事故を起こす。その事故で半身不随になってしまい、車いすの生活を強いられる。ひきこもりは益々酷くなり、自分の部屋から出ることもなくなってしまう。そんな青年が、ある日珍しく両親と外出し、偶然見つけた店に掲げられたポスターに魅せられる。ブルーエグジットというフレーズが記された、ダイビングのポスターである。しかも、その写真に写っているダイビングをしているモデルは、なんと両足がない。そこから、この青年の自分探しがスタートするのである。
この物語で語られているのは、この青年の心の成長であるが、同時に父親の心の葛藤と魂の成長でもある。つまり、親子の自己成長の物語でもあり、親子関係の修復がテーマでもある。親というものは、子どもに対して知らず知らずのうちに、自分の思い通りの子ども像を押し付けてしまっている。それは、言わば支配と制御である。親が理想とする人生を子どもに歩ませようとしている。子どもが不幸にならないようにと思う親心で、けっして悪意はない。しかし、結果として子どもはそんな親に対して反発し反抗し、自分らしく生きたいと思いながら、葛藤するのである。そして、その間違いを多くの親子は気付いていないし、親が変わらなければ子は変わることが出来ないのである。
親のことが心から嫌いな子はいない。しかし、あまりにも過干渉な親を子は毛嫌いする。小さい頃は、親の言うことに対して素直に聞いているが、自我が芽生える少年期には反抗するものである。その反抗期を親があまりにも押さえつけてしまうと、自我人格を確立できない。しかも、自我が正常に育たなければ、やがて確立するであろう自己人格も育たない。親というのは、木の上に立ってじっと見守るように、子に対してそっと愛情をかけてあげるものであり、何もかも親が子に指し示すものではない。子どもがダイビングを経験しながら成長する姿を通して、親がかけるべき本来の愛情を気付き学ぶストーリーが丁寧に描かれている小説である。
自分とは何なのか?自分が生きる意味とは?そんなことを考えながら、悩み苦しみながら少しずつ心と魂が成長して行く時期が、『青春』であろう。親を思い、時には親に反発し、親を殺したいほど憎み、やがて自分と親は別の人格であり、親の支配と制御から抜け出すことが真の自立と言える。この若者は、不幸にも小さい頃は親の言うとおりの生き方を強いられて、自我も芽生えず自立できなかった。親が望む『よい子』を演じるだけであった。それが、事故によって両足の不自由を抱えることになりながらも、ダイビングを学ぶことで本当の自分を確立できたのではあるまいか。そして、何も口出しせずその成長の姿をじっと見守っている父親を見て、親の有り難さを知り、感謝を言えるほどの親子関係を取り戻せたに違いない。
この若者は、ひきこもりや交通事故による半身不随という不幸な境遇の中で、たまたま目にしたダイビングのポスターから、自分の出口であるブルーエグジットを見つけ出すことが可能になった。現代において、多くの若者が自分の本当の出口を見つけられず、苦しんでいるに違いない。そんな若者たちへの応援歌として、原作者の石田衣良氏はこの小説を書いたのだろう。多くの若者たちにいろんな経験と学びをしてもらい、自分なりのブルーエグジットを見つけてもらいたいと思った自分がいる。そのためのサポートを、自分なりにしていきたいと強く心に刻んだ。石田衣良さんの小説には、いつも感動させられる。いい小説に出会えたという大きな喜びを感じると共に、作家に深く感謝したい。
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農業体験や自然体験を繰り返すことで、精神的な自立を実現し、どうどう巡りの世界から抜け出す出口を、私は「グリーンエグジット」と勝手に命名しました。うつ病やパニック障害、PTSDで苦しんでいる方々がグリーンエグジットを見つけるお手伝いをしたいと思っています。