良妻と悪妻は紙一重?
[2014年08月08日(Fri)]
昨夜、どういう訳か珍しくwifeと言い争いになり、「あんたがもう一度人生をやりなおすんなら、絶対に私なんかは選ばないでしょうから」と言われてしまった。どのような話の流れからそんな話になったのか定かではないが、もし人生をもう一度やりなおせるなら、こうしてみたかったみたい話をつぶやいたのかもしれない。それを聴いたwifeが、私に対して噛みついて、くだんのような台詞になってしまったという次第だ。間髪を入れずに、そんなことはないよ、人生の伴侶はお前一人と決めているから、人生やりなおしてもお前を選ぶに決まっているじゃないか、と気障に言い切れば、きっと小遣い額を上げてくれただろう。が、そういう嘘は付けない正直者の私だ。
それじゃ、何と答えたのか。変な答え方をすれば、ボーナス小遣いにも響いてしまい、欲しいと思っていたゴルフのキャディバッグを買えなくなってしまうから、事態は深刻である。しかし、馬鹿正直である私は、ついつい本音を言ってしまったのである。「人生をやりなおしたとしても、伴侶としては間違いなくお前を選んだよ」と。それだけで止めておけばよかったのであるが、ついついこう付け加えてしまったのである。「山内一豊の妻のようなお前だからこそ、私は自己成長を遂げられた。だから、私はとても感謝しているのだ」と精一杯の皮肉を込めて言い放った。山内一豊の妻と言えば、一面では良妻賢母と思われているが、猛女とも呼ばれるように夫を支配した悪妻である。きっとwifeのカミナリが落ちるに違いないと身を引き締めた。
何を隠そう、wifeは職場では『雷神様』と陰で呼ばれて、それはそれは怖れられている存在。自分の意に添わないことや、理屈に合わないことを部下がしでかすと、カミナリを落とす。ドカンと直撃を受けたら、立ち直れないくらいの衝撃である。だから、他部門の職場の人でさえも、雷神様には逆らわないようにしているのだ。それを漏れ聞いた当の本人はというと、至って平気というか、気にするそぶりも見せず、却って自慢しているくらいである。自分から、家庭において『雷神様』と呼ばれているんだと吹聴する始末。そんな大変な雷神様と35年以上も一緒に暮らしている私は何なのだ。自分自身に対して、『お前は我慢強いな』と励ますしかない。
さて、自分のことを山内一豊の妻と言われたwifeは、烈火の如く怒ると思いきや以外や以外、そんなふうに言われて嬉しいと逆にはしゃいでいる。意外な反応に唖然とした私は、これでいいののだろうかと半信半疑になり、「山内一豊の妻と言えば、あの猛女と呼ばれて、旦那を尻に敷いて悪妻と謳われている人だよ」と、ご丁寧に解説までしてあげたのである。それでも、wifeは、そんな有名人に喩えられて嬉しくて仕方ないというのである。歴史に名を残すような人と一緒にしてもらえるのは、すごく素晴らしいことで、夫をそんなふうに立てて、成長させることが出来るなら悪妻でもいいではないかとのたまったのである。一本取られた格好だ。雷神様は、やはり懐が大きい。
奥さんはどんな方ですか?と問われた時に、私はいつもこう答える。とても酷い悪妻だと。台所には立ちたがらないから、食事を作るのはいつも私の役目。私の身の回りのことは、洗濯以外は手を出さないから、すべて私は自分でやる。身に付ける物の買い物は勿論、アイロン掛けや裁縫、夏冬物の入れ替えだって、全部自分でやるようになっている。お陰で、wifeが今すぐに家を出て行っても、まったく困らない。家事一切のことなら、何だって私は出来るし、一人暮らしになっても何の不自由もしない。男というものは、悪妻を持つことで、大きな自己成長を遂げることが出来る。良妻なら、こうは行かなかったに違いない。だから、私はwifeに感謝したいと心底から思っている。
悪妻を持つということは、いろんな意味で不自由さを経験するということになる。しかし、その不自由さを嘆くのではなく、そのお陰でいろんな体験が出来て、様々な技能や知識が身について、人間としての大きな成長が出来るというふうに考えたほうが、理知的であるし楽しい。これは女性のするべきことだと言って、一切手出しをしなければ、経験をせずに終わってしまうし、妻の大変な苦労も解らずに終わってしまう。実際に家事全般を経験してみれば、専業主婦の大変さが理解できて、感謝の気持ちも湧こうというもの。家事や料理をすることで、イマジネーションや創造性さえも深まるし、精神的な成長も得られる。そういう意味で、良妻と悪妻は紙一重であり、良妻よりも悪妻を娶るのもなかなかいいものである。
それじゃ、何と答えたのか。変な答え方をすれば、ボーナス小遣いにも響いてしまい、欲しいと思っていたゴルフのキャディバッグを買えなくなってしまうから、事態は深刻である。しかし、馬鹿正直である私は、ついつい本音を言ってしまったのである。「人生をやりなおしたとしても、伴侶としては間違いなくお前を選んだよ」と。それだけで止めておけばよかったのであるが、ついついこう付け加えてしまったのである。「山内一豊の妻のようなお前だからこそ、私は自己成長を遂げられた。だから、私はとても感謝しているのだ」と精一杯の皮肉を込めて言い放った。山内一豊の妻と言えば、一面では良妻賢母と思われているが、猛女とも呼ばれるように夫を支配した悪妻である。きっとwifeのカミナリが落ちるに違いないと身を引き締めた。
何を隠そう、wifeは職場では『雷神様』と陰で呼ばれて、それはそれは怖れられている存在。自分の意に添わないことや、理屈に合わないことを部下がしでかすと、カミナリを落とす。ドカンと直撃を受けたら、立ち直れないくらいの衝撃である。だから、他部門の職場の人でさえも、雷神様には逆らわないようにしているのだ。それを漏れ聞いた当の本人はというと、至って平気というか、気にするそぶりも見せず、却って自慢しているくらいである。自分から、家庭において『雷神様』と呼ばれているんだと吹聴する始末。そんな大変な雷神様と35年以上も一緒に暮らしている私は何なのだ。自分自身に対して、『お前は我慢強いな』と励ますしかない。
さて、自分のことを山内一豊の妻と言われたwifeは、烈火の如く怒ると思いきや以外や以外、そんなふうに言われて嬉しいと逆にはしゃいでいる。意外な反応に唖然とした私は、これでいいののだろうかと半信半疑になり、「山内一豊の妻と言えば、あの猛女と呼ばれて、旦那を尻に敷いて悪妻と謳われている人だよ」と、ご丁寧に解説までしてあげたのである。それでも、wifeは、そんな有名人に喩えられて嬉しくて仕方ないというのである。歴史に名を残すような人と一緒にしてもらえるのは、すごく素晴らしいことで、夫をそんなふうに立てて、成長させることが出来るなら悪妻でもいいではないかとのたまったのである。一本取られた格好だ。雷神様は、やはり懐が大きい。
奥さんはどんな方ですか?と問われた時に、私はいつもこう答える。とても酷い悪妻だと。台所には立ちたがらないから、食事を作るのはいつも私の役目。私の身の回りのことは、洗濯以外は手を出さないから、すべて私は自分でやる。身に付ける物の買い物は勿論、アイロン掛けや裁縫、夏冬物の入れ替えだって、全部自分でやるようになっている。お陰で、wifeが今すぐに家を出て行っても、まったく困らない。家事一切のことなら、何だって私は出来るし、一人暮らしになっても何の不自由もしない。男というものは、悪妻を持つことで、大きな自己成長を遂げることが出来る。良妻なら、こうは行かなかったに違いない。だから、私はwifeに感謝したいと心底から思っている。
悪妻を持つということは、いろんな意味で不自由さを経験するということになる。しかし、その不自由さを嘆くのではなく、そのお陰でいろんな体験が出来て、様々な技能や知識が身について、人間としての大きな成長が出来るというふうに考えたほうが、理知的であるし楽しい。これは女性のするべきことだと言って、一切手出しをしなければ、経験をせずに終わってしまうし、妻の大変な苦労も解らずに終わってしまう。実際に家事全般を経験してみれば、専業主婦の大変さが理解できて、感謝の気持ちも湧こうというもの。家事や料理をすることで、イマジネーションや創造性さえも深まるし、精神的な成長も得られる。そういう意味で、良妻と悪妻は紙一重であり、良妻よりも悪妻を娶るのもなかなかいいものである。
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