日本の外交は何故弱いのか
[2012年11月18日(Sun)]
尖閣列島にしろ竹島の問題にしても、または北方領土の外交交渉における日本外交の弱腰な態度を、情けなく思っている国民も多いに違いない。確かに、経済や資源、または戦後処理と歴史問題などで弱みを握られているという事情はあろうが、それにしても日本外交は弱い。北朝鮮との拉致問題における外交交渉が遅々として進まないのも、日本外交の弱点が露呈したと言えなくもない。日本の外交官は、どうしてこうも弱腰なのであろうか。
勿論、日本の外交が弱いのは外務省や外交官のせいだけではない。日本の政治家たちもまた弱腰な外交姿勢を取るのだから、外務官僚もまた同じような態度を取るのは仕方ないかもしれない。とは言いながら、それにしても外国の圧力に弱すぎる態度を取ってしまう外交官があまりにも多いように思える。日本の外交官というのは、歴史的に観ても以前からこんな弱腰外交をしてきたのだろうか。
江戸時代の末期から明治維新にかけて、列強の外国に植民地化される危機を凌げたのは、列強諸国間の微妙なバランスのおかげだとする歴史認識があるようだ。しかし、植民地化から逃れることが出来たのは、それだけではあるまい。西郷隆盛や勝海舟らの活躍に負うところが大きいとする歴史認識もある。つまり、彼らのあまりにも高い価値観と人間性が、列強諸国の外交官を感動させ、精神的に圧倒させることで植民地化を防いだとする歴史研究者も多いようだ。私もその通りだと確信している一人だ。
明治維新以降、日露戦争時に活躍した政治家・軍人・外交官もまた、外国の要人をその高い人間性で圧倒したと伝えられる。帝政ロシアで諜報活動をした明石元二郎、戦費調達の立役者高橋是清、ルーズベルトに講和斡旋を直談判した金子堅太郎等々、獅子奮迅の活躍をした政治家・外交官は数多い。どの人物にも共通するのは、自分の損得や利害などを一切考えずに、国の為や国民の為にという高い愛国精神を持っていたという事実である。つまり、自分の身を捨てても国を守るという高い価値観を持っていたようである。
それでは今の外交官はどうであろうか。ある外務大臣が、外務省をして『伏魔殿』と呼んだのはあまりにも有名な話である。その外務大臣にも問題があったとしても、自分の部下たちを魔物と呼んだのである。いかに外務官僚たちの人間性や価値観が低いか、この一言に凝縮されているのではなかろうか。自分たちの権益や権力を守る為なら、大臣を陥れることなんて平気でするのである。これは外務省に限ったことではなくて、官僚たちの内部リークによって各省庁の多くの大臣たちが辞めさせられている事実がある。
つまり、例外はあるとしても、今の外交官たちの多くは国益よりも自分たちの損得や利害を一番に考えている節がある。そんな低い価値観と人間性なのである。外国の外交官が日本の外交官を尊敬できる訳がない。何と言っても外交というのは、人間と人間のぶつかりあいである。文化も習慣も異なる人間同士が、お互いの国益をどう守るか真剣勝負をする場だと言えよう。そんな修羅場において、日本の外交官が自分の身だけは守ろうなんてひ弱な態度を見せたら、外国の外交官たちに付け入る隙を与えるに違いない。これが、日本の外交が弱い所以ではなかろうか。
日本の外交官が、江戸時代や明治初期の外交官のように、自分の身を捨てても国を守るという強い気概を持って外交に当たってくれたなら、こんな弱腰外交にはならなかったと思うのである。彼らには初心に還り、確かな思想哲学を勉強してほしいものである。いくら言語能力や外交能力に長けていたとしても、人間性や価値観が低くては外国人から足元を見られるのである。自分たちが命をかけて国を守り抜くという、しっかりした哲学や理念を持って、外交に当たってくれることを願わずにはいられない。弱腰外交を脱却して、強い日本外交の姿を見せてくれるのを国民は期待している。
勿論、日本の外交が弱いのは外務省や外交官のせいだけではない。日本の政治家たちもまた弱腰な外交姿勢を取るのだから、外務官僚もまた同じような態度を取るのは仕方ないかもしれない。とは言いながら、それにしても外国の圧力に弱すぎる態度を取ってしまう外交官があまりにも多いように思える。日本の外交官というのは、歴史的に観ても以前からこんな弱腰外交をしてきたのだろうか。
江戸時代の末期から明治維新にかけて、列強の外国に植民地化される危機を凌げたのは、列強諸国間の微妙なバランスのおかげだとする歴史認識があるようだ。しかし、植民地化から逃れることが出来たのは、それだけではあるまい。西郷隆盛や勝海舟らの活躍に負うところが大きいとする歴史認識もある。つまり、彼らのあまりにも高い価値観と人間性が、列強諸国の外交官を感動させ、精神的に圧倒させることで植民地化を防いだとする歴史研究者も多いようだ。私もその通りだと確信している一人だ。
明治維新以降、日露戦争時に活躍した政治家・軍人・外交官もまた、外国の要人をその高い人間性で圧倒したと伝えられる。帝政ロシアで諜報活動をした明石元二郎、戦費調達の立役者高橋是清、ルーズベルトに講和斡旋を直談判した金子堅太郎等々、獅子奮迅の活躍をした政治家・外交官は数多い。どの人物にも共通するのは、自分の損得や利害などを一切考えずに、国の為や国民の為にという高い愛国精神を持っていたという事実である。つまり、自分の身を捨てても国を守るという高い価値観を持っていたようである。
それでは今の外交官はどうであろうか。ある外務大臣が、外務省をして『伏魔殿』と呼んだのはあまりにも有名な話である。その外務大臣にも問題があったとしても、自分の部下たちを魔物と呼んだのである。いかに外務官僚たちの人間性や価値観が低いか、この一言に凝縮されているのではなかろうか。自分たちの権益や権力を守る為なら、大臣を陥れることなんて平気でするのである。これは外務省に限ったことではなくて、官僚たちの内部リークによって各省庁の多くの大臣たちが辞めさせられている事実がある。
つまり、例外はあるとしても、今の外交官たちの多くは国益よりも自分たちの損得や利害を一番に考えている節がある。そんな低い価値観と人間性なのである。外国の外交官が日本の外交官を尊敬できる訳がない。何と言っても外交というのは、人間と人間のぶつかりあいである。文化も習慣も異なる人間同士が、お互いの国益をどう守るか真剣勝負をする場だと言えよう。そんな修羅場において、日本の外交官が自分の身だけは守ろうなんてひ弱な態度を見せたら、外国の外交官たちに付け入る隙を与えるに違いない。これが、日本の外交が弱い所以ではなかろうか。
日本の外交官が、江戸時代や明治初期の外交官のように、自分の身を捨てても国を守るという強い気概を持って外交に当たってくれたなら、こんな弱腰外交にはならなかったと思うのである。彼らには初心に還り、確かな思想哲学を勉強してほしいものである。いくら言語能力や外交能力に長けていたとしても、人間性や価値観が低くては外国人から足元を見られるのである。自分たちが命をかけて国を守り抜くという、しっかりした哲学や理念を持って、外交に当たってくれることを願わずにはいられない。弱腰外交を脱却して、強い日本外交の姿を見せてくれるのを国民は期待している。



