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純粋に生きるには愛の支えが必要だ! [2012年10月19日(Fri)]
 少し気障なタイトルですが、本日朝のNHKの連ドラで、主人公に対してホテルの社長が言った台詞です。いい言葉です。人間というのは、一人で健気に生きようとしても、やはり寂しいし辛いものです。誰かに依存するという意味ではなく、誰かが自分を真に理解してくれて、自分をまるごと愛してくれてこそ、自分を心から愛せるのではないかと思います。しかし、残念ながらそんなふうに自分を愛してくれる人は、なかなか居ないのが常です。純粋に生きるというのは、不純な人が多いこの社会においては、かなり難しい生きかたでもあります。

 ところで、純粋に生きるとはどういう意味かということも考えさせれました。主人公は沖縄出身の純真な娘で、世の中のいわゆる大人びた行為に疑問を抱いているようです。つまり言い換えれば、偽善者ぶった大人たちの生きかたが出来ずに、純粋にホテルを利用するお客さまを幸せにしたいと思っている訳です。ですから、本音ではホテルや自分の利益を優先しながら、言葉だけお客さまの為にと偽善者ぶっているホテルの他の従業員や上司から、いつも馬鹿にされているのです。良いホテルマンを演じている他の従業員は不純であり、彼女だけは純粋な心を持っているということをホテルの社長は見抜いているのです。

 純粋に生きるというか、自分に正直に自分らしく生きるということは理想ではありますが、今の社会では難しいし、そんな純粋な生きかたをしている人はなかなか見当たりません。確かに良い人はいます。しかし、それは良い人を偽善的に演じているだけであり、心の中では自分の損得や評価を求めています。それをひたすら押し隠して、偽善者ぶっているほうが始末が悪いし、本人もまた生きずらさを抱えているのです。この世にはそういう「悪人」が非常に多いように感じます。自分の悪人としての自己を素直に認めませんから、いつまで経っても自己の同一性も確立できないままでいます。

 さて、話を元に戻したいと思います。愛の支えがないと純粋に生きられないというのは、何故でしょうか。純粋に生きるというのは、不純なこの世においては非常に辛くて孤独感を味わいます。つまり、誰も自分の純粋さを解ってくれないし共感してくれないとしたら、どんな人でもめげてしまうのではないでしょうか。とかくこの世は、何か自分にとって利益がなければ、または見返りがなければ行動しないという人が多いようです。その中で、求める愛でなくて、ただ与えるだけの真実の愛を注いでくれるのなら、純粋に生きようとする勇気も沸いてきそうです。これが純愛というもかもしれません。

 夫婦にしても、恋人関係にしても、または親子にしても兄弟にしても、本来は無条件の愛でありたいものです。けっして見返りを求めない、ただひたすら相手を愛するだけの純粋な思いを持った人から愛されたいものです。そうすれば、きっと生きる勇気も沸いてきて、どんな困難や苦難にも立ち向かっていけそうです。それが叶えば、こんな不純な私でも、少しは純粋な生きかたが出来るのかもしれません。しかし良く考えれば、そんな期待は叶えられることはないだろうと気付きます。愛されるのをただ待つのではなく、先ずは自分が純粋な愛を与えなければ、真に愛されることはないからです。
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コメント
てん様、ご同意のコメントありがとうございます。
応援していただき、大変心強く感じました。
人というのは、誰かの支えが必要なんですね。
Posted by:Natural  at 2020年08月24日(Mon) 07:14
純粋に生きることへの深い洞察を感じ、たいへん感心しました。ありがとうございます。
Posted by:てん  at 2020年08月23日(Sun) 22:18
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