死者との邂逅
[2012年10月11日(Thu)]
『善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや』この言葉はご存知のように、親鸞上人が歎異抄で唱えた、あまりにも有名な悪人正機説である。善人でさえ極楽往生を遂げるのだから、悪人が極楽往生できない筈がないという意味らしい。私は若い頃、この言葉は間違いなのではないかと思っていた。しかし、今はすっかり納得できる。何故なら、ここでいう悪人とは、私たちの考えるような悪人ではないということを知ったからである。この悪人とは、極悪人のような犯罪を犯した悪人のことではなく、私たちのような凡夫一般人のことであり、すべての人間はそもそも悪の存在だと説いているのである。自分のことを悪人だと悟ることが出来たなら、すべての人が極楽往生ができるという意味である。
さて、それじゃ自分を悪人だと認識出来ない人は、極楽往生できないというのであろうか。悪人は死んだら地獄に落ち、善人が死んだら天国に行けるというのが一般的な死生観である。仏陀は、弟子に死んだらどうなるのかと問われて、無記の態度を取ったと伝えられる。つまり、死後の世界はあるともないとも答えなかったという。仏教の教えを、時の為政者が自分に都合がいいように仏教を捻じ曲げて伝えたのが、悪人は地獄の世界に落ちるという説なのではないかと思えるのである。人が肉体的に滅んだ際には、すべてが極楽往生するというのが正しいのではないかと思われる。つまり、人間は肉体的な死を迎えた瞬間に走馬灯のように自分の犯した『悪』を思い出して、悔い改めるらしいのである。だから、肉体的に滅んだすべての人間が、霊魂の存在では善人となるというのだ。
ツナグという映画は、死者が甦るストリーである。死者とコンタクトを取れるツナグという人物が、一夜だけあの世から死者を呼び寄せて、会いたいと希望する人に会わせることが出来るという設定である。つまり、死者との邂逅を描いたドラマである。勿論、現実にはあり得ないことなのだが、妙にリアリティを感じてしまうのは不思議な気分である。映画の出来もいいし、樹木希林などの俳優の素晴らしい演技力の賜物なのであろうが、実際にありそうだと思わせてしまう。原作通りの映画だとすれば、原作者の素晴らしい感性と想像力に拍手喝采したい。実にいい原作である。
この映画に登場する何人かの死者たちは、素晴らしい善人たちとして描かれている。亡くなった人たちだから、一般的に言えば幽霊なのであるが、その人間性は見事と言えるほど立派なのである。死者を呼び寄せて欲しいと依頼した人、つまり今もって悩みを抱えて生きずらい気持ちの人たちを、その暖かい気持ちを持って救ってあげるのである。なにしろ自分を死に追いやった張本人にでさえ、許して救いの手を優しく差し伸べるのである。やはり、亡くなった方たち、つまりは霊魂となった存在は、憎しみや怨みなんか超越してしまい、現在生きている人たちを『仏』になって救ってくれているのではないかと思えるのである。
弘法大師空海は、人間の生きる意味とは『衆生救済と即身成仏』だとおっしゃっている。人間が生まれてきた目的は、多くの人々を救い幸福にすることと、生きながらにして『仏』になるという意味だと思われる。空海は、即身成仏となって今も高野山の奥の院で生きていらっしゃるが、私たちのような凡人には到底かなえることなんて出来そうもない。しかし、生きていながら少しでも『仏』に近づき、仏性を持って人々に接し、人々を救う手伝いをしたいと思わずにはいられない。ツナグはそんな気持ちに私たちをいざなってくれる、実にいい映画だった。『善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや』はやはり正しいのだと確信できるような素晴らしい映画だった。
さて、それじゃ自分を悪人だと認識出来ない人は、極楽往生できないというのであろうか。悪人は死んだら地獄に落ち、善人が死んだら天国に行けるというのが一般的な死生観である。仏陀は、弟子に死んだらどうなるのかと問われて、無記の態度を取ったと伝えられる。つまり、死後の世界はあるともないとも答えなかったという。仏教の教えを、時の為政者が自分に都合がいいように仏教を捻じ曲げて伝えたのが、悪人は地獄の世界に落ちるという説なのではないかと思えるのである。人が肉体的に滅んだ際には、すべてが極楽往生するというのが正しいのではないかと思われる。つまり、人間は肉体的な死を迎えた瞬間に走馬灯のように自分の犯した『悪』を思い出して、悔い改めるらしいのである。だから、肉体的に滅んだすべての人間が、霊魂の存在では善人となるというのだ。
ツナグという映画は、死者が甦るストリーである。死者とコンタクトを取れるツナグという人物が、一夜だけあの世から死者を呼び寄せて、会いたいと希望する人に会わせることが出来るという設定である。つまり、死者との邂逅を描いたドラマである。勿論、現実にはあり得ないことなのだが、妙にリアリティを感じてしまうのは不思議な気分である。映画の出来もいいし、樹木希林などの俳優の素晴らしい演技力の賜物なのであろうが、実際にありそうだと思わせてしまう。原作通りの映画だとすれば、原作者の素晴らしい感性と想像力に拍手喝采したい。実にいい原作である。
この映画に登場する何人かの死者たちは、素晴らしい善人たちとして描かれている。亡くなった人たちだから、一般的に言えば幽霊なのであるが、その人間性は見事と言えるほど立派なのである。死者を呼び寄せて欲しいと依頼した人、つまり今もって悩みを抱えて生きずらい気持ちの人たちを、その暖かい気持ちを持って救ってあげるのである。なにしろ自分を死に追いやった張本人にでさえ、許して救いの手を優しく差し伸べるのである。やはり、亡くなった方たち、つまりは霊魂となった存在は、憎しみや怨みなんか超越してしまい、現在生きている人たちを『仏』になって救ってくれているのではないかと思えるのである。
弘法大師空海は、人間の生きる意味とは『衆生救済と即身成仏』だとおっしゃっている。人間が生まれてきた目的は、多くの人々を救い幸福にすることと、生きながらにして『仏』になるという意味だと思われる。空海は、即身成仏となって今も高野山の奥の院で生きていらっしゃるが、私たちのような凡人には到底かなえることなんて出来そうもない。しかし、生きていながら少しでも『仏』に近づき、仏性を持って人々に接し、人々を救う手伝いをしたいと思わずにはいられない。ツナグはそんな気持ちに私たちをいざなってくれる、実にいい映画だった。『善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや』はやはり正しいのだと確信できるような素晴らしい映画だった。
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