アリとキリギリス
[2012年06月17日(Sun)]
アリとキリギリスは、皆さんご存知のイソップ童話で、将来に備えて勤勉に生きるアリと刹那的な快楽を求めて生きるキリギリスの物語である。子どもたちに、勤勉に生きることの大切な教訓を教えてくれる名作童話である。最近、この童話がEUのドイツ国民に注目されているようである。何故なら、EUにおける財政破綻目前のギリシャなどへの財政支援に対して、ドイツ国民は何故勤勉に働いてきた自分たちが、その重荷を背負わなければならないのかと、疑問に思っているからだという。
今回のギリシャの財政破綻の原因を、すべてギリシャ政府の経済政策や財政の失策にするのは乱暴なように感じる。それこそ、楽して儲けようとして破綻を起こした米国の金融関連企業、つまりは巨大なキリギリスにもかなりの責任はあるだろう。しかし、ギリシャの金融機関も楽して儲けようとした責任があり、それに悪乗りして見逃してきた政府と国民にも責任があるのは間違いないのではないかと思う。これらの様々な要因により起こしてしまったギリシャの財政破綻を、コツコツと地道に蓄えてきた勤勉なドイツ国民の税金を用いてまで、救わなければならないのかと疑問に思う人も多いに違いない。
このような理不尽な救済策を行う例は、EUだけに限ったことではない。我が国においても、このような例は多いように感じる。我が国には、公的な福祉制度及び医療保険制度が確立されている。福祉・介護制度や医療制度による救援は、多くの人々が納める保険金や税金によって賄われている。不幸にして、何らかの病気や事故、様々な障害によって福祉・介護や医療などの支援を受けるに至った方たちへの救済は当然だろうと思う。しかし、そのような例ではなくて、若い頃から快楽を求める生活を続け、将来への備えを怠り、刹那的快楽生活を続けてきた人たちをも、勤勉な国民が救済する制度になっているのである。これは、まさしくアリとキリギリスの世界と同じではないか。
最近、生活保護世帯が増加しているという。若い頃からずっとコツコツと努力を続けていたにも関わらず、不幸にも仕事にも収入にも恵まれず、生活保護を受けるに至った方は仕方ないと思う。しかし、若い頃から大酒を飲んだり怠惰な生活を繰り返したりして、キリギリスのような生活を続けて、仕事をせず年金も納めずに暮らしてきた輩の為に、勤勉に働いてきた私たちの税金が使用されることに対して、やり切れない思いを抱く人も多いに違いない。今回最低補償年金制度が議論されているが、年金保険を納める収入があったにも関わらず納めなかった人にも年金を支給するのは如何なものか。失業保険もそうである。どんな仕事も選ばなければ、必ず仕事はあると思う。雇用保険が充実すればするほど失業者が増えるという過去の歴史的事実は、何を物語っているのだろうか。
医療制度も、どこかおかしいと感じる人も多いと思われる。先天的な疾病や原因不明の難病なら仕方ないと思うが、若い頃から不摂生を繰り返し、生活習慣を是正することもなく、自分自身で起こしたような生活習慣病にさえも、保険を適用させるのはどうかと思う。言い換えれば、自損行為的な生活習慣病に保険は適用すべきでないし、それらの生活習慣病が悪化して支出される介護保険も、本来なら適用されるのもおかしい気がする。過激な意見だと思うが、アリとキリギリスのどちらを選ぶのかは自分自身なのだから、まったく乱暴な意見とも思えない。アリのようにコツコツと働いて年金を納め貯蓄して老後に備えた人が報われず、キリギリスのような生活をしていても老後が安穏と暮らせるという社会にしてはならない。アリの生活を選ぶことを、喜びと思える社会にしたいものだ。
今回のギリシャの財政破綻の原因を、すべてギリシャ政府の経済政策や財政の失策にするのは乱暴なように感じる。それこそ、楽して儲けようとして破綻を起こした米国の金融関連企業、つまりは巨大なキリギリスにもかなりの責任はあるだろう。しかし、ギリシャの金融機関も楽して儲けようとした責任があり、それに悪乗りして見逃してきた政府と国民にも責任があるのは間違いないのではないかと思う。これらの様々な要因により起こしてしまったギリシャの財政破綻を、コツコツと地道に蓄えてきた勤勉なドイツ国民の税金を用いてまで、救わなければならないのかと疑問に思う人も多いに違いない。
このような理不尽な救済策を行う例は、EUだけに限ったことではない。我が国においても、このような例は多いように感じる。我が国には、公的な福祉制度及び医療保険制度が確立されている。福祉・介護制度や医療制度による救援は、多くの人々が納める保険金や税金によって賄われている。不幸にして、何らかの病気や事故、様々な障害によって福祉・介護や医療などの支援を受けるに至った方たちへの救済は当然だろうと思う。しかし、そのような例ではなくて、若い頃から快楽を求める生活を続け、将来への備えを怠り、刹那的快楽生活を続けてきた人たちをも、勤勉な国民が救済する制度になっているのである。これは、まさしくアリとキリギリスの世界と同じではないか。
最近、生活保護世帯が増加しているという。若い頃からずっとコツコツと努力を続けていたにも関わらず、不幸にも仕事にも収入にも恵まれず、生活保護を受けるに至った方は仕方ないと思う。しかし、若い頃から大酒を飲んだり怠惰な生活を繰り返したりして、キリギリスのような生活を続けて、仕事をせず年金も納めずに暮らしてきた輩の為に、勤勉に働いてきた私たちの税金が使用されることに対して、やり切れない思いを抱く人も多いに違いない。今回最低補償年金制度が議論されているが、年金保険を納める収入があったにも関わらず納めなかった人にも年金を支給するのは如何なものか。失業保険もそうである。どんな仕事も選ばなければ、必ず仕事はあると思う。雇用保険が充実すればするほど失業者が増えるという過去の歴史的事実は、何を物語っているのだろうか。
医療制度も、どこかおかしいと感じる人も多いと思われる。先天的な疾病や原因不明の難病なら仕方ないと思うが、若い頃から不摂生を繰り返し、生活習慣を是正することもなく、自分自身で起こしたような生活習慣病にさえも、保険を適用させるのはどうかと思う。言い換えれば、自損行為的な生活習慣病に保険は適用すべきでないし、それらの生活習慣病が悪化して支出される介護保険も、本来なら適用されるのもおかしい気がする。過激な意見だと思うが、アリとキリギリスのどちらを選ぶのかは自分自身なのだから、まったく乱暴な意見とも思えない。アリのようにコツコツと働いて年金を納め貯蓄して老後に備えた人が報われず、キリギリスのような生活をしていても老後が安穏と暮らせるという社会にしてはならない。アリの生活を選ぶことを、喜びと思える社会にしたいものだ。



