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来年の万葉植物カレンダーができました [2015年11月30日(Mon)]
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 万葉植物カレンダーも、岡本三千代さん(万葉うたがたり会主宰)が制作を始められて、来年で6年目となります。写真は猪名川万葉植物園で私が撮影したものを提供しています。
 月毎の植物と万葉歌を紹介しておきます。
1月 やまたちばな(ヤブコウジ)
【歌】 消残りの 雪に合へ照る あしひきの 山橘を つとに摘み来な (S-4471 大伴家持)
2月 しらかし(シラカシ)
【歌】 あしひきの 山道も知らず 白橿の 枝もとををに 雪の降れれば (I-2315 柿本人麻呂歌集歌)
3月 かたかご(カタクリ) 
【歌】 もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 (R-4143 大伴家持)
4月 むぎ(オオムギ)
【歌】 くへ越しに 麦食む子馬の はつはつに 相見し児らし あやにかなしも (M-3537 東歌)
5月 きり(キリ)
【題詞】 大伴淡等の謹状。梧桐(ごとう)の日本琴(やまとごと)一面、対馬の結石山(ゆひしやま)の孫枝(ひこえ)なり (D-810の題詞)
6月 くは(クワ)
【歌】 筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも (M-3350 東歌)
7月 せり(セリ)
【歌】 あかねさす 昼は田賜びて ぬばたまの 夜の暇に 摘める芹これ (S-4455 葛城王)
8月 つきくさ(ツユクサ)
【歌】 朝咲き 夕は消ぬる 月草の 消ぬべき恋も 我はするかも (I-2291 作者未詳)
9月 いはゐつら(スベリヒユ)
【歌】 入間道の 大屋が原の いはゐつら 引かばぬるぬる 我にな絶えそね (M-3378 東歌)
10月 すすき(ススキ)
【歌】 人皆は 萩を秋と言ふ よし我は 尾花が末を 秋とは言はむ (I-2110 作者未詳)
11月 うまら(ノイバラ)
【歌】 道の辺の 茨の末に 延ほ豆の からまる君を はかれか行かむ (S-4352 丈部鳥)
12月 はり(ハンノキ)
【歌】 思ふ児が 衣摺らむに にほひこそ 島の榛原 秋立たずとも (I-1965 作者未詳)

 カレンダー購入希望の方は下記のいずれかまで連絡ください(頒価は1200円)。
E-mail: info@inukai.nara.jp (犬養万葉記念館)
E-mail: takao_kida@jttk.zaq.ne.jp 
Posted by katakago at 17:10
自費出版本が完成 [2015年11月27日(Fri)]
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 昨年来、「木田家のルーツを尋ねる」取り組みを続けてきましたが、この度ようやく自費出版に漕ぎ着けました。
 自宅裏山にある五輪塔(木田氏中興塔)の側面に刻まれた碑文から、木田氏の祖先の事跡を記した石碑が、大坂城南の大山禅寺にあることが分かり、昨春ようやくその石碑を見つけることが出来ました。その石碑(木田院碑)の銘文は白隠禅師によって宝暦八年(1758)に書かれたことも分かりました。その内容をもとに、自宅に伝わる木田中村系図や過去帳などの文字資料もあわせ、木田氏の系譜を辿ってみました。木田氏の始まりは、承久年間に重長(源満仲の弟満政の流れをくむ)が美濃国の東有武郷木田庄を根拠地にしたことに由来することが分かりました。応仁・文明の頃多田郷に戻り、後に帰農し、江戸時代の初めに多田郷から大坂に出た木田氏は、両替商を営んだことが分かりました(鉄屋庄左衛門、川崎屋三右衛門)。
 本書では、石碑の拓本はじめ、入手できた当時の関連資料を掲載(フルカラー印刷)し、関心のある方が活用できるように心がけました。

 購入希望の方には、2000円(税込)でおわけしています(送料は当方で負担)。連絡先は、
E-mail: takao_kida@jttk.zaq.ne.jp

 本書の一部(五輪塔の箇所)
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 これまでの関連記事は、
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/783
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/836
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/879
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/944
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/952
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/986

Posted by katakago at 06:41
境界面上の音楽会ー筝と光の競演(11/23) [2015年11月26日(Thu)]
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 豊中市では、10月から約2ケ月間を「とよなか音楽月間」として、市内各地で様々な音楽イベントが開催されています。その一環として、先日(11/23)、市内にある大阪大学と大阪音楽大学のジョイント企画による音楽会が開催され、出かけて来ました。
 これまで尺八の演奏会では、何度か筝・三絃との合奏は経験していますが、今回は、筝の独奏(沢井忠夫編曲の「さくら」、六段の調ほか)とともに洋楽器(ピアノ・サクソフォン)との合奏(剣の舞、チャルダッシュほか)が行われました(春の海を筝とサクソフォンによる演奏も)。楽器の演奏者は、筝の片岡リサさんはじめピアノ、サクソフォンは大阪音楽大学の出身者。
 今回の音楽会では、邦楽器と洋楽器の組み合わせと共に、「境界面上の音楽会」と題され、演奏者の座る椅子にセンサー(筝奏者にはツメにもセンサー)が設置され、その情報をコンピューターで映像の変化としてスクリーンに映し出す試みがなされました。このような実験は、担当された伊藤雄一氏(阪大准教授、情報科学)によると世界初の試みとのことでした。
 椅子センサーによって、演奏者の前後・上下・左右の動きをとらえ、筝独筝曲「さくら」(日本古謡)では、演奏に応じて桜の花が咲き花弁が散る変化として映し出されたのが印象的でした。
 
 
 




Posted by katakago at 11:25
柑橘類の収穫 [2015年11月21日(Sat)]
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 果樹園で栽培している柑橘類では、10月の温州ミカンの収穫に次いで、デコポン(上の写真、品種は不知火)、”津之輝”、”せとか”が色づいてきました。それぞれまだ若木のため、早めに収穫しています(実を付けたまま長く置くと木を傷めるようです)。
 写真の左からデコポン、津之輝、せとか 
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 せとか”は収穫するのが早かったためか甘味よりは酸っぱ味が勝っていましたが、デコポンと津之輝は美味しく食べられました。
 ちなみに、”津之輝”は、清見・興津早生を種子親に、アンコールを花粉親に交配・育成されたタンゴールの一種(2009年に品種登録)で、”せとか”は、清見にアンコールを掛け合わせ更にマーコットを掛け合わせて育成されたもの(2001年品種登録)。

 今朝早く畑に出かける際に朝焼けが見られました。
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Posted by katakago at 15:19
平成27年瀬戸内海文化を考える会 [2015年11月16日(Mon)]
 この週末(14,15日)、太宰府市で平成27年度瀬戸内海文化を考える会が開催され、昨年に引き続き参加しました。
 1日目は午後から太宰府館まほろばホールで三人の先生方の講演があり、夕方、博多港に移動しレストランシップ”マリエラ”で、夕食をとりながら博多湾のクルージングを楽しみました。
 2日目は万葉バスツアーで、太宰府メモリアルパーク(万葉歌碑、水城遠望)→ 鎮懐石八幡宮(万葉歌碑)→ 唐津虹の松原 → 鏡山「領巾振山」(万葉歌碑)→ 玉島神社(万葉歌碑)を訪れました。万葉ツアーのための資料は、佐野 宏先生(京都大学准教授)が作成され、今回初めてお話を聴く機会を得ました。上記のコースは以前個人で出かけたこともありますが、坂本先生、影山先生に加え、前職は福岡大学とのことで地元の地理も詳しい佐野先生を講師陣に、充実した万葉故地巡りをすることが出来ました(この日は天候にも恵まれました)。
 以下、2日間の様子を写真を中心に記録しておきます。
【1日目】
 太宰府を訪れるのは久しぶり(6年ぶり)だったので、講演が始まる前のわずかな時間を利用して、太宰府天満宮に参拝しました。境内には「梅花の宴」で詠まれた万葉歌碑が二基あるのですが、そのうちの一つの写真を載せておきます。
 太宰府天満宮(以前来た時よりも境内は混み合っていました)
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 境内の万葉歌碑
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【歌】 万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし (筑前介佐氏子首 D-830)
【口語訳】 千万年 年は過ぎても 梅の花は 絶えることなく 咲き続けるでしょう

講演会
 会長の坂本信幸先生は、「博多湾の万葉歌」と題して、香椎(かしい)、荒津、能古(のこ)、韓亭(からどまり)、也良(やら)、志賀島が詠まれた歌を解説されました。
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 平舘英子先生(日本女子大教授)は、「韓亭の歌ー月光と旅情ー」と題して講演されました。題詞に、(遣新羅使人が)「筑前国志麻郡の韓亭に着いて、停泊して三日経った。この時秋の夜の月の光は、白白(しらじら)と空に流れている。折からこの月華(つき)の光に対して、旅愁がわいてきた。そこで各自思いを述べて、とにかく作った歌六首」、とある万葉歌を取り上げて解説されました。
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 檀 太郎氏(CFプロデューサー、父は檀 一雄)は現在、かつて父が暮らしていた博多湾内の能古島で、晴耕雨読の生活をされています。「”檀流”父の背中を見て育つ」と題して講演されました。
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 博多湾クルージング(船中でのディナーの前に主催者の挨拶と乾杯の様子)
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 船上からの夜景(ヤフオクドーム)
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 船上からの夜景(荒津大橋) 
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【2日目】
万葉バスツアー

 メモリアルパークにある山上憶良の「日本挽歌」の歌碑(坂本先生揮毫)
歌碑の後方に水城(天智朝に大宰府防衛のために造られた土塁)や大野山を望める
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【歌】 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うちなびき 臥やしぬれ 言はむすべ せむすべ知らに 石木をも 問ひ放け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨めしき 妹の命の 我をばも いかにせよとか にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心そむきて 家離りいます
(山上憶良 D-794)
【口語訳】 大君の 遠い政庁の (しらぬひ) 筑紫の大宰府に 泣く子のように 慕って来られて 一息さえ 入れる間もなく 年月も まだ経たぬうちに 死なれるなど夢にも 思わない間に ぐったりと 臥してしまわれたので 言うすべもするすべも分からず 石や木に 尋ねることもできない。 家にいたら 無事だったろうに 恨めしい 妻が このわたしに どうしろという気なのか にほ鳥のように 二人並んで 夫婦の語らいをした 誓いを反故にして 家を離れて行ってしまわれた

 歌碑の前で坂本先生による解説
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「太宰府万葉の会」の松尾セイ子さんによる歌碑の説明(長歌の左側には5基の反歌の歌碑が並ぶ)
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五首の反歌を次に載せておきます(写真は省略)
 家に行きて いかにか我がせむ 枕づく つま屋さぶしく 思ほゆべしも (D-795)
 はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ (D-796)
 悔しかも かく知らませば あをによし 国内ことごと 見せましものを (D-797)
 妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに (D-798)
 大野山 霧立ち渡る 我が嘆く おきその風に 霧立ち渡る (D-799)

 長歌の歌碑の右側にある「凶問に報ふる歌」の歌碑
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【歌】 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり (大伴旅人 D-793)
【口語訳】 世の中は 空しいものだと 思い知った今こそ いよいよ益々 悲しく思われることです

 鎮懐石八幡宮
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 万葉歌碑(安政六年(1859)建立の九州最古の万葉歌碑)
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 歌碑の拓本写真(八幡宮で販売されていた)
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【長歌】 かけまくは あやに恐し 足日女 神の尊 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし ま玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今の現に 尊きろかむ (山上憶良 D-813)
【口語訳】 口にするだに あまりにも恐れ多いことながら 神功皇后さまが 新羅の国を 平定なさって 御心を 鎮められるため お手に取って たいせつに祭られた 球状の 二つの石を 世の人に お示しになって 万代に 語り伝えよと (海の底) 沖つ深江の 海上の 子負の原に お手づから お置きになって 神として 祭られている 霊妙な石は 今もそのまま 尊くあることだ 
【反歌】 天地の 共に久しく 言ひ継げと この奇し御魂 敷かしけらしも (D-814)
【口語訳】 天地と 共に久しく 語り伝えよとて この霊石を 置かれたのであろう 

 佐野 宏先生(京都大学准教授)による歌碑の解説
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 鏡山で影山尚之先生(武庫川女子大学教授)による解説
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 鏡山展望台より唐津湾を望む
海岸沿いに虹の松原が続き、海上右端には神集(かしわ)島がみられた。
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 鏡山の万葉歌碑ー1
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【歌】 行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫 (D-875)
【口語訳】 行く船を 領巾を振っても留めきれずに どんなにか 恋しかったろう 松浦佐用姫は 

 鏡山の万葉歌碑ー2(犬養孝先生揮毫)
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【歌】 麻都良我多 佐欲比売能故何 比列布利斯 夜麻能名乃尾夜 伎々都々遠良武 (山上憶良 D-868)
【読み下し文】 松浦潟 佐用姫の児が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつ居らむ
【口語訳】 松浦潟の 佐用姫が 領巾(ひれ)を振った この山の名ばかりを 聞いて見にも行けないのか 

 「万葉の里公園」(唐津市浜玉町浜崎)の万葉歌碑−1
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【歌】 足日女(たらしひめ) 神の尊の 魚(な)釣らすと み立たしせりし 石を誰見き (山上憶良 D-869)
【口語訳】 神功皇后さまが 魚をお釣りになるとて お立ちになった 石をいったい誰が見たのでしょうか 

 「万葉の里公園」の万葉歌碑ー2
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【歌】 松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る 妹らを見らむ 人のともしさ (大伴旅人 D-863)
【口語訳】 松浦川の 玉島の浦で 若鮎を釣る 娘たちを見ているそうな 人の羨ましさよ 

 なお、来年は11月10日から2泊3日の予定で、壱岐・対馬での開催が決まっています。是非参加したいと思っています。
Posted by katakago at 16:39
山の辺の道を歩く(梅花万葉集友の会) [2015年11月07日(Sat)]
 昨日は、梅花万葉集友の会の屋外講座で山の辺の道のウオーキングを愉しみました(案内は講師の市瀬雅之先生)。今回のコースは、JR櫟本駅(集合)→ 和爾下神社 → 和爾下神社古墳 → 柿本寺跡 → 赤土山古墳 → 和爾座赤坂比古神社 → 楢神社 →(上ツ道)→ 天理市役所(歌碑)→ 石上神宮 → 布留の高橋 → 天理駅(歌碑)
 このコースは、今年の三月にも奈良学文化講座で出かけており、その時はあいにくの雨天でしたが、今回は天候にも恵まれ11月にも関わらず汗ばむほどの気温の中、2万歩以上の万葉ウオーキングでした。
 前回の記事は次のURLに載せています。
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/959

 ここでは、主に万葉歌碑の写真を掲載しておきます。
 和爾下神社境内の万葉歌碑
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【歌】 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武 (長忌寸意吉麻呂 O-3824)
【読み下し文】 さす鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津の 檜橋より来む 狐に浴むさむ
【口語訳】 さす鍋で 湯を沸かせ皆の者よ 櫟津(いちいつ)の 檜橋(ひばし)からコンと鳴いて来るであろう 狐に浴びせてやろう
 この歌の左注には、「右の歌一首は、言い伝えによると、ある時大勢集まって宴会をした。その時、時刻も十二時ごろ、狐の声が聞こえた。そこで一同奥麻呂(意吉麻呂)をそそのかして言うには、『この鍋類に、雑器、狐の声、河の橋などの物に関連させて何か歌を作られよ』と言ったところ、即座にその注文に答えてこの歌を作った、ということである」とあります。巻十六には
このような物の名を詠み込んだ歌(物名歌)が載っており、意吉麻呂はこのような歌を得意としたようです。
 
 和爾下神社参道途中にある『日本書紀』武列天皇即位前期にある歌謡の碑の前で(歌碑の詳細は前回の記事に記載)
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 天理市役所構内にある万葉歌碑
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【歌】 吾妹児哉 安乎忘為莫 石上 袖振川之 将絶跡念倍也 (K-3013)
【読み下し文】 我妹子や 我を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや
【口語訳】 いとしい妻よ 私を忘れないでおくれ 石上(いそのかみ) 袖振るー布留川のように なんでわたしは途絶えるものか
「石上袖布留川の」のソデは、袖を振る、の意で布留川のフルに掛けた序詞的用法(布留川の流れが絶えないように、の意で第五句を起こす序)。

 石上神宮境内で
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 石上神宮参道北側の柿本人麻呂の歌碑の前で
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【歌】未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者 (柿本朝臣人麻呂 C-501)
【読み下し文】 娘子らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は
【口語訳】 乙女が 袖を振るという名の布留山の 年を経た神垣のように 久しい前から 思っていたのだよわたしは
 「娘子らが袖布留山の瑞垣の」は、年を経ても変わらぬことを譬えた比喩の序で、更に、「娘子らが袖」がまた袖を振る、の意で地名「布留」を起こす序となっている。

 石上神宮外苑公園入り口の歌碑
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【歌】 石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 恋尓相尓家留 (I-1927)
【読み下し文】 石上 布留の神杉 神びにし 我やさらさら 恋にあひにける
【口語訳】 石上の 布留の神杉でなないが 年古りた わたしがこの年になって あなたに恋をしてしまったよ
 石上神宮の神杉
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 この歌は、次の歌との問答歌
【歌】 春山の あしびの花の 悪しからぬ 君にはしゑや 寄そるともよし
【口語訳】 春山の あしびの花のように 悪しくない あなたとのことでならままよ 言い騒がれてもかまいません

 石上布留の高橋で
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 天理駅前の歌碑(石上布留の高橋が詠まれている)
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【歌】 石上 振之高橋 高々尓 妹之将待 夜曾深去家留 (K-2997)
【読み下し文】 石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜そ更けにける
【口語訳】 石上の 布留の高橋の 高々にーまだかまだかと あの娘が待っているに違いない 夜は更けてしまった
 「高々に」は、人の来訪をしきりに待ち望む気持ちを表す副詞(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)。
Posted by katakago at 16:51
第67回正倉院展 [2015年11月03日(Tue)]
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 今、奈良国立博物館では正倉院展が開催中です(10/24〜11/19)。自費出版本も最終校正を終えようやく印刷に回せたので(完成は今月中旬予定)、昨日、午前中のカルチャーセンターの万葉講座が終わってから出かけて来ました。
 こちらに戻って来てからは毎年見に来ています(14回目)。NHKTVでも紹介されており、出陳物はあらかじめ目星を付けておいたので効率よく見学できました。この日は例年よりは混雑は少なかったようです。
 今年の特徴は、仏教に関わる品々や年中行事に用いられた物が多く展示されていました。注目したいくつかを載せておきます(『平成27年正倉院展図録』参照)。
@七条褐色紬袈裟(しちじょうかっしょくつむぎのけさ)
 仏教に深く帰依した聖武天皇ご遺愛の袈裟とされ、『国家珍宝帳』の筆頭に記された九領の御袈裟のうちの一つとされています。
A花氈(かせん)
 文様(蓮華唐草文)のあるフェルトの敷物で、最近の調査では、素材は山羊ではなく、中央アジアまたは中国産の羊の毛と判明したとのことです(大陸産の種子類(フウロソウ属とオナモミ属)の混入も発見)。
B紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ) 写真上の看板の図
 四弦四柱(しげんしじ)の琵琶で、長梨形の胴と曲がった頸を特徴とし、ペルシャ起源とされ、隋唐時代に盛行し奈良時代に我が国に伝わったとされています。
C彫石横笛(ちょうせきのおうてき)、彫石尺八(ちょうせきのしゃくはち)
 いずれも暗灰色で黒い斑のある蛇紋岩を用いて作られています。笛は一節の竹管をかたどり、楕円形の吹口と指孔が七つ穿たれています。尺八は三節の竹管を模しており、歌口は唇に当たる角度になるように背面側を短く切り、息の当たる前面側は斜めに削られています。指孔の数は前面に五個、背面に一個です(今日の尺八は前面に四個)。
 正倉院には、倭琴(わごん)、琴(きん)、琵琶、阮咸(げんかん)、筝(そう)、瑟(ひつ)、簫(しょう)、笙(しょう)、竽(う)、横笛(おうてき)、尺八、新羅琴(しらぎごと)などの楽器十七点が収蔵されています。また赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)には四本の尺八が納められており、聖武天皇が日ごろ愛用していたと見られています。
 
 展示を見学した後、紅葉し始めた奈良公園を散策しながら、東大寺大仏殿後方にある正倉院を久しぶりに訪れました。
 紅葉し始めたイチョウ
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 正倉院の外構を見学しました。
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 ここで思わぬハプニングに遭遇しました。この日はカルチャーセンターの帰りと言うこともあって帽子をかぶらずに出かけたのですが、写真を撮り終え帰ろうとしたところ、頭に違和感を覚え右手で払いのけたところ、中指と人差し指の間に激痛が走りました(今まで味わったこともない痛み)。払いのけた物体は確認できなかったのですが、おそらくハチに刺されたものと思い、帰宅途中外科医院に立ち寄り診察と処方を受けました。今朝は、幸い痛みも治まり尺八の練習も行えホッとしています。


Posted by katakago at 12:12
越中万葉の旅 [2015年11月01日(Sun)]
 先週末は、カルチャーセンターの万葉講座の受講者有志で富山県に出かけて来ました。半年前から計画を立て、小宮山氏の尽力によりようやく実現できました。講座の講師である坂本信幸先生は高岡市万葉歴史館の館長をされており、歴史館では直接先生に館内を案内して頂きました。更に、越中万葉故地の資料を用意して下さり、2日目は同行して現地の案内もして頂きました。
 『万葉集』編簒に大きく関わったとされる大伴家持は、天平十八年(746)に越中守として高岡市伏木にあった国庁に赴任し、天平勝宝三年(751)に少納言となって都に帰るまでの五年間に越中国で223首の歌を詠んでいます。今回の旅行では、射水市、高岡市、氷見市にある歌に詠まれたゆかりの地を訪れました。以下訪問場所の写真とメモを残しておきます。 

【1日目の見学場所】
 午後からジャンボタクシーをチャーターして故地を巡りました。放生津八幡宮 → 二上山 → 正法寺万葉植物園 → 氣多神社 → 越中国守館跡(高岡市伏木気象資料館)→ 勝興寺(越中国庁跡)→ 高岡市万葉歴史館 

 放生津(ほうじょうづ)八幡宮(射水市八幡町)
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 境内にある佐佐木信綱揮毫の歌碑
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【歌】 あゆの風<越の俗(くにひと)の語(ことば)に東の風をあゆのかぜといふ> いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ (大伴家持 P-4017)
【口語訳】 あゆの風(越の方言で東風をあゆのかぜという)が激しく吹いているらしい。奈呉の海人の釣りする小舟が、漕ぎ隠れるのが見える。
 『新編日本古典文学全集 萬葉集』には、「日本海沿岸の各地に「あゆの風」(または「あいの風」)という風位名が現在も残っており、その多くは北東ないし北西の方角から吹く北寄りの風をいう。この歌のそれも海から吹いてくる北寄りの風をさすのであろう。」とあります。
 奈呉(なご)之浦の碑(越中万葉名勝地) 奈呉の浦は高岡市伏木から放生津潟一帯にかけての海浜。 
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 二上山から眺めた小矢部川(万葉歌では射水川) 
富山、石川両県の大門山に源を発し全長は68Kmにおよぶ。下流部は複雑に蛇行する緩流河川。
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 二上山の大伴家持像
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 正法寺(高岡市伏木一宮)万葉植物園の万葉歌碑 
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【歌】 雄神川 紅にほふ 娘子らし 葦付<水松(みる)の類>取ると 瀬に立たすらし (大伴家持 P-4021)
【口語訳】 雄神川が紅色に輝いている。乙女らが葦付(水松)を採ると、瀬に立っているらしい。
 雄神川は現在の庄川。葦付は清流に自生する緑褐色で塊状の寒天様藻類とされており、『万葉集』のこの歌にのみただ一度登場する越中のことば(孤語)。
 
 氣多神社(高岡市伏木一宮)の万葉歌碑
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【歌】 馬並めて いざ打ち行かな 渋谿の 清き磯回に 寄する波見に (大伴家持 P-3954)
【口語訳】 馬を並べて、さあ揃って出かけよう。 渋谿の清らかな磯辺に寄せる波を見に。

 越中国守館跡(現在、高岡市伏木気象資料館がある)の碑
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 越中国守館跡の万葉歌碑
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【歌】 朝床に 聞けば遙けし 射水河 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人 (大伴家持 R-4150)
【口語訳】 朝の寝床で聞くと、遙かに聞こえてくる。 射水川を朝早く漕ぎながら唄う舟人の声だ。 

 勝興寺(高岡市伏木古国府)
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 境内の越中国庁跡の碑
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 境内の万葉歌碑(その一)
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【歌】 安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等理天 可射之都良久波 知等世保久等曽 (大伴家持 Q-4136)
【読み下し文】 あしひきの 山の木末の ほよ取りて かざしつらくは 千年寿くとそ
【口語訳】 (あしひきの) 山の梢の ほよを取って 髪に挿したのは 千年の命を祝う気持ちからです
 ”ほよ”はやどりぎ科の常緑小高木ヤドリギの古名(落葉高木に寄生する)。『新編日本古典文学全集 萬葉集』によれば、「冬の間、落葉樹の林の中でこのやどりぎだけが鮮やかな色で茂っているさまに、永遠の生命を認めて、信仰の対象とする習俗が世界各地にある。ここもやどりぎの神秘的呪力を信じてこれを身に付けたのであろう」とあります。
 なお、ほよ(ヤドリギ)の写真は、次のURLに載せています。
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/948

 境内の万葉歌碑(その二)
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 陸奥国(みちのくのくに)に金(くがね)を出(い)だす詔書を賀(ほ)く歌(長歌)の一部
【歌】 ・・・ 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ ・・・(大伴家持 Q-4094)

 ”かたかご”の万葉歌碑(犬養先生揮毫)
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【歌】 もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 (大伴家持 R-4143)
【口語訳】 (もののふの) たくさんの乙女たちが入り乱れて水を汲む、寺井のほとりのかたかごの花よ。

 高岡市万葉歴史館(高岡市伏木一宮)で
館長の坂本信幸先生に館内を案内して頂きました
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 記念の集合写真
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 敷地内にある犬養先生揮毫の万葉歌碑(二上山の賦)
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【読み下し文】 射水川 い行き巡れる 玉櫛笥 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 皇神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒磯に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく 古ゆ 今の現に かくしこそ 見る人ごとに かけてしのはめ (大伴家持 P-3985)

【2日目の見学場所】
 越中国分寺跡 → つまま小公園 → 雨晴海岸 → 田子浦藤波神社 → 柳田布尾山古墳 → 十二町潟水郷公園(布勢の水海)→ 布勢神社 → 英遠の浦 → 松田江
越中国分寺跡(つままの大木が見られた)
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 つまま小公園(高岡市太田) ”つまま”は、くすのき科の常緑大高木のタブノキ
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 万葉歌碑 富山県内で最古(安政五年、1858)の歌碑
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【歌】 礒上之 都万麻乎見者 根乎延而 年深有之 神左備尓家里 (大伴家持 R-4159)
【読み下し文】 磯の上の つままを見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり
【口語訳】 磯の上の つままを見ると 根を張って 年を久しく経たらしい 神々しくなっている

 雨晴海岸で立山を眺望(この日は残念ながら見ることは叶わなかった)
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 田子浦藤波神社
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 フジの古木
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 大伴家持卿歌碑(この角柱の裏側に歌が刻まれている) 
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 万葉歌碑
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【歌】 藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流 (大伴家持 R-4199)
【読み下し文】 藤波の 影なす海の 底清み 沈く石をも 玉とそ我が見る
【口語訳】 藤の花が影を映している水海の底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も、玉だと私は見ることだ。

 柳田布尾山古墳(日本海側最大の前方後方墳)の展望台から二上山を遠望
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 萬葉布勢水海之跡の碑(犬養先生揮毫)
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 十二町潟水郷公園(布勢の水海)  
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 布勢神社の大伴家持御遊覧之地の碑
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 布勢神社境内奥の万葉歌碑
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【歌】 明日の日の 布勢の浦廻の 藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも (大伴家持 Q-4043)
【口語訳】 明日の日の 布勢の浦辺の 藤波に もしや来鳴かないで みすみす散らしてしまうのではないでしょうか

 英遠(あを)の浦(氷見市阿尾)
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 万葉歌碑
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【歌】 英遠の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せ来 あゆをいたみかも (大伴家持
 Q-4093)
【口語訳】 阿尾の浦に寄せる白波の立つのがいよいよ増して、しきりに寄せてくる。東風が激しいからであろうか

 松田江(渋谿の崎と氷見の江の間の長い砂浜) 
萬葉故地 「麻都太要能 奈我波麻」の碑(犬養先生揮毫) 
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 再び立山を遠望(?)
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今回は、海越しの立山連峰を見ることが出来なかったのですが、昨年訪れた時の記事と写真は次のURLに載せています。
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/940


Posted by katakago at 18:43
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