この週末(14,15日)、太宰府市で平成27年度瀬戸内海文化を考える会が開催され、昨年に引き続き参加しました。
1日目は午後から太宰府館まほろばホールで三人の先生方の講演があり、夕方、博多港に移動しレストランシップ”マリエラ”で、夕食をとりながら博多湾のクルージングを楽しみました。
2日目は万葉バスツアーで、太宰府メモリアルパーク(万葉歌碑、水城遠望)→ 鎮懐石八幡宮(万葉歌碑)→ 唐津虹の松原 → 鏡山「領巾振山」(万葉歌碑)→ 玉島神社(万葉歌碑)を訪れました。万葉ツアーのための資料は、佐野 宏先生(京都大学准教授)が作成され、今回初めてお話を聴く機会を得ました。上記のコースは以前個人で出かけたこともありますが、坂本先生、影山先生に加え、前職は福岡大学とのことで地元の地理も詳しい佐野先生を講師陣に、充実した万葉故地巡りをすることが出来ました(この日は天候にも恵まれました)。
以下、2日間の様子を写真を中心に記録しておきます。
【1日目】
太宰府を訪れるのは久しぶり(6年ぶり)だったので、講演が始まる前のわずかな時間を利用して、太宰府天満宮に参拝しました。境内には「梅花の宴」で詠まれた万葉歌碑が二基あるのですが、そのうちの一つの写真を載せておきます。
太宰府天満宮(以前来た時よりも境内は混み合っていました)
境内の万葉歌碑
【歌】 万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし (筑前介佐氏子首 D-830)
【口語訳】 千万年 年は過ぎても 梅の花は 絶えることなく 咲き続けるでしょう
講演会
会長の坂本信幸先生は、「博多湾の万葉歌」と題して、香椎(かしい)、荒津、能古(のこ)、韓亭(からどまり)、也良(やら)、志賀島が詠まれた歌を解説されました。
平舘英子先生(日本女子大教授)は、「韓亭の歌ー月光と旅情ー」と題して講演されました。題詞に、(遣新羅使人が)「筑前国志麻郡の韓亭に着いて、停泊して三日経った。この時秋の夜の月の光は、白白(しらじら)と空に流れている。折からこの月華(つき)の光に対して、旅愁がわいてきた。そこで各自思いを述べて、とにかく作った歌六首」、とある万葉歌を取り上げて解説されました。
檀 太郎氏(CFプロデューサー、父は檀 一雄)は現在、かつて父が暮らしていた博多湾内の能古島で、晴耕雨読の生活をされています。「”檀流”父の背中を見て育つ」と題して講演されました。
博多湾クルージング(船中でのディナーの前に主催者の挨拶と乾杯の様子)
船上からの夜景(ヤフオクドーム)
船上からの夜景(荒津大橋)
【2日目】万葉バスツアー
メモリアルパークにある山上憶良の「日本挽歌」の歌碑(坂本先生揮毫)
歌碑の後方に水城(天智朝に大宰府防衛のために造られた土塁)や大野山を望める
【歌】 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うちなびき 臥やしぬれ 言はむすべ せむすべ知らに 石木をも 問ひ放け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨めしき 妹の命の 我をばも いかにせよとか にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心そむきて 家離りいます
(山上憶良 D-794)
【口語訳】 大君の 遠い政庁の (しらぬひ) 筑紫の大宰府に 泣く子のように 慕って来られて 一息さえ 入れる間もなく 年月も まだ経たぬうちに 死なれるなど夢にも 思わない間に ぐったりと 臥してしまわれたので 言うすべもするすべも分からず 石や木に 尋ねることもできない。 家にいたら 無事だったろうに 恨めしい 妻が このわたしに どうしろという気なのか にほ鳥のように 二人並んで 夫婦の語らいをした 誓いを反故にして 家を離れて行ってしまわれた
歌碑の前で坂本先生による解説
「太宰府万葉の会」の松尾セイ子さんによる歌碑の説明(長歌の左側には5基の反歌の歌碑が並ぶ)
五首の反歌を次に載せておきます(写真は省略)
家に行きて いかにか我がせむ 枕づく つま屋さぶしく 思ほゆべしも (D-795)
はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ (D-796)
悔しかも かく知らませば あをによし 国内ことごと 見せましものを (D-797)
妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに (D-798)
大野山 霧立ち渡る 我が嘆く おきその風に 霧立ち渡る (D-799)
長歌の歌碑の右側にある「凶問に報ふる歌」の歌碑
【歌】 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり (大伴旅人 D-793)
【口語訳】 世の中は 空しいものだと 思い知った今こそ いよいよ益々 悲しく思われることです
鎮懐石八幡宮
万葉歌碑(安政六年(1859)建立の九州最古の万葉歌碑)
歌碑の拓本写真(八幡宮で販売されていた)
【長歌】 かけまくは あやに恐し 足日女 神の尊 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし ま玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今の現に 尊きろかむ (山上憶良 D-813)
【口語訳】 口にするだに あまりにも恐れ多いことながら 神功皇后さまが 新羅の国を 平定なさって 御心を 鎮められるため お手に取って たいせつに祭られた 球状の 二つの石を 世の人に お示しになって 万代に 語り伝えよと (海の底) 沖つ深江の 海上の 子負の原に お手づから お置きになって 神として 祭られている 霊妙な石は 今もそのまま 尊くあることだ
【反歌】 天地の 共に久しく 言ひ継げと この奇し御魂 敷かしけらしも (D-814)
【口語訳】 天地と 共に久しく 語り伝えよとて この霊石を 置かれたのであろう
佐野 宏先生(京都大学准教授)による歌碑の解説
鏡山で影山尚之先生(武庫川女子大学教授)による解説
鏡山展望台より唐津湾を望む
海岸沿いに虹の松原が続き、海上右端には神集(かしわ)島がみられた。
鏡山の万葉歌碑ー1
【歌】 行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫 (D-875)
【口語訳】 行く船を 領巾を振っても留めきれずに どんなにか 恋しかったろう 松浦佐用姫は
鏡山の万葉歌碑ー2(犬養孝先生揮毫)
【歌】 麻都良我多 佐欲比売能故何 比列布利斯 夜麻能名乃尾夜 伎々都々遠良武 (山上憶良 D-868)
【読み下し文】 松浦潟 佐用姫の児が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつ居らむ
【口語訳】 松浦潟の 佐用姫が 領巾(ひれ)を振った この山の名ばかりを 聞いて見にも行けないのか
「万葉の里公園」(唐津市浜玉町浜崎)の万葉歌碑−1
【歌】 足日女(たらしひめ) 神の尊の 魚(な)釣らすと み立たしせりし 石を誰見き (山上憶良 D-869)
【口語訳】 神功皇后さまが 魚をお釣りになるとて お立ちになった 石をいったい誰が見たのでしょうか
「万葉の里公園」の万葉歌碑ー2
【歌】 松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る 妹らを見らむ 人のともしさ (大伴旅人 D-863)
【口語訳】 松浦川の 玉島の浦で 若鮎を釣る 娘たちを見ているそうな 人の羨ましさよ
なお、来年は11月10日から2泊3日の予定で、壱岐・対馬での開催が決まっています。是非参加したいと思っています。