井手至先生を囲んで [2012年12月26日(Wed)]
万葉集はカルチャーセンター等で複数の講座を受講していますが、昨日(25日)は、井手至先生(NHKカルチャー梅田)の今年最後の講座がありました。 先生は今年の秋に大阪市市民表彰(文化功労部門)を受けられ、受講生有志でささやかなお祝いをさせていただきましたが、先生のご提案もあり講座終了後に茶話会が開かれました。クリスマスの日でもあり場所の確保が心配されましたが、カルチャーセンターに近接の、新装なった阪急うめだ本店内の「シャンデリアテーブル」を予約でき、先生を囲んでお茶とケーキで和やかなひと時を過ごしました。
先生は愛媛県の出身で、京大に進まれて澤瀉久孝先生のもとで万葉集の研究をはじめられ、卒業後は大阪市立大学で上代語や万葉研究で独自の世界を開かれました(論文集に『遊文録 1〜6』、現在大阪市立大学名誉教授)。2008年には、『新校注萬葉集』を刊行されています(毛利正守先生との共著)。この最新の万葉集のテキストでは、上代語に認められる特殊仮名遣の甲類と乙類の仮名が区別して書かれています。
この席では、普段の講座では話されなかった学生時代のエピソードも聞かせていただきました。松山高校時代に、地元愛媛の熟田津(にきたつ)が詠まれた額田王の歌で万葉に興味をもたれたこと、大学時代は当初俳句の研究に関心を持たれたものの、担当教授が亡くなられたため、友人の伊藤博・佐竹昭広両氏らと共に澤瀉先生のもとで万葉集を学ばれたこと、恩師の自宅にも出入りして研究手法にも身近に触れられたことなど大変興味深いものでした。特に、澤瀉先生は歌毎にハガキ大のカードを作成され、それにはこれまでの注釈書の要点が毛筆で書き込まれていたそうです(現在では、『万葉集』のデータベースも作成されており随分便利にはなっていますが)。
追記(12/27) 「萬葉学会の草創期を振り返る」と題する記事が、『萬葉語文研究 第7集』(2011年9月30日刊)に掲載されています(編集委員による井手至先生へのインタビューとして)。
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katakago
at 21:34
今月のふれあい喫茶(クリスマス会) [2012年12月23日(Sun)]
今日は自治会主催「ふれあい喫茶」の開催日で、今月は恒例のクリスマス会として催されました。昨年から入会者減(子どもの数は多いのですが)のため「こども会」がなくなってしまいましたが、自治会役員さん方のお世話で多くの参加者がありました。矢問地区では、最近新規住宅も増え、若い世帯も増えてきています。是非自治会にも入会して頂きたいと思っています。
紙芝居や「ハンカチ落とし」ゲームを楽しむ子どもたち
ビンゴゲームの様子
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katakago
at 11:40
師走の植物園で [2012年12月20日(Thu)]
蓮池に氷が張るようになり、植物園でもほとんどの草本は枯れています。その中で、秋の七種(ななくさ)のうち、カワラナデシコがまだ花を咲かせています。周囲の咲き終わった株では、刮ハが4裂し触れると種がこぼれ落ちます(一部は来春に発芽)。
オミナエシで地上部の枯れた部分を取り除いている時、最後の花を見つけました。
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katakago
at 15:27
来春の現地講座のお知らせ [2012年12月10日(Mon)]
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at 11:23
講演会「万葉の道を歩く5」ー 飛鳥・藤原京・平城京 ー [2012年12月07日(Fri)]
昨日(12/6)大阪府立大学で、「万葉の道を歩く5」の講演会があり聴講しました。大学の地域文学研究センター・上方文化研究センター・生涯教育センター主催、入江泰吉記念奈良市写真美術館共催で、廣川晶輝先生(甲南大学教授)が「飛鳥・藤原京・平城京ー空間・時間・人ー」と題して講演されました。
この講演でとり上げられた歌の解説では、その歌のイメージに合った写真(入江泰吉撮影)をスクリーンに映しながら話されました。 藤原京の歌では、柿本朝臣人麻呂が、その妻が死んだ後に泣き悲しんで作った歌(泣血哀慟歌)がとり上げられました。ここでは、二組の挽歌の最初の長歌と反歌を載せておきます(なお、2/5、12/3の記事に述べた歌は第二群の長歌A-210)。 【歌】 天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の なびきし妹は もみち葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使ひの言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ せむすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が 止まず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉だすき 畝傍の山に 泣く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行き人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖そ振りつる (A‐207) 短歌二首 【歌】 秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも (A‐208) 【歌】 もみち葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ (A‐209) 長歌では、「人目を憚って妻のもとを訪ねないでいるうちに、思いがけず妻が亡くなったとの知らせを受ける。恋の思いの千分の一でも慰められないかと、生前の妻がよく出ていた軽の市にやって来て、耳を澄ましてみても、妻の声は聞こえず、誰一人として妻の姿に似た者は見かけない。せっかく軽の市に出かけて来たのに気持ちは少しも癒されず、思わず妻の名を呼んで袖を振った」と歌われています。廣川先生は、「軽の市の雑踏の中で愛しい人の名を呼ぶ情景は、現代の映画やテレビドラマの映像にも通じる」と指摘されていました(現代にも通じる手法を、人麻呂は1300年以上も前に歌の表現に用いていた)。 反歌の一首目では、妻の死を認められない、認めたくない夫の心情が詠まれています。「妻は死んだのではない。紅葉した秋の木々の葉が繁っているので山に迷い込んだ」と夫は歌う(スクリーンには入江泰吉の「三輪山遠望秋日」が映し出されていました)。 反歌二首目の解説では、「色づいた木々の葉が散りゆくちょうどその時に、以前の使いを見かけ、妻と遭ったあの日のことが思われ、次の瞬間、心の中に積み重なっていた哀しみが、どっと噴出する」と述べられていました(スクリーンではモミジが散り敷く「晩秋の談山神社付近」が映されていました)。なお、「もみち葉の 散り行くなへに」について、「なへ(に)」の集中の用例は25例ある中で、上の言葉に「行く」が付く例は他に無く、この歌では時の経過が一層強調されている、と述べられていました。
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katakago
at 10:41
記紀万葉の飛鳥を歩く [2012年12月03日(Mon)]
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katakago
at 17:25