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コウヤボウキの蕾 [2011年09月30日(Fri)]

 裏山の植物園ではコウヤボウキが蕾を付けています。花は、10月中旬ころです。万葉歌では、たまばはき(原文は、玉箒・多麻婆波伎と表記)として詠まれています。歌は花の時期に紹介する予定です。

 白いハギの花も咲いています。



 ビオトープ池の堤では、ヨメナ(万葉歌では、うはぎ)の花がヒガンバナと一緒に咲いています(歌は、7/17に掲載)。




 万葉植物ではありませんが、9月初めに畑の一角に今年二度目のヒマワリの種を蒔きました。現在写真のような大きさに育っています。11月下旬頃の開花を見込んでいます。



 蓮池の傍に花菖蒲も植えていますが、株分けしたり追加購入したものを移植しました。この一角を花菖蒲園に出来ればと思っています。

Posted by katakago at 05:35
古代学講座(9/28) [2011年09月29日(Thu)]


 川西市中央公民館主催の「古代学講座 − 東アジアの中の倭を考える」(3回のシリーズ)の一回目がスタートしました。昨日(9/28)は、「高句麗・楽浪と倭」と題して、元北京大学教授永島暉臣愼(きみちか)先生による講演が行われました。この講座は毎年人気があるらしく、今回も定員100名に対し160名以上の申し込みがあったようです。
 演題には楽浪と共に高句麗があり、当日配布の資料にも高句麗壁画古墳(変遷、四神図)、キトラ古墳、高松塚古墳に関する項目も取り上げられてあり、こちらの方に興味があったのですが、今回は、楽浪古墳の分布と構造、楽浪文化と倭についての話が中心となりました。発掘現場の様子などパワーポイントで説明されました。いずれ機会があれば、残りの部分の話もぜひ聴きたいものです。

 2回目(10/5)は、「三角縁神獣鏡をめぐって」、3回目(10/12)は、「新羅と倭」です。


 来月下旬に、「飛鳥を愛する会」の秋季現地講座として、「韓国歴史の旅 − 金海・慶州・公州・扶余・益山を訪ねる」が企画されており、筆者も参加を申し込んでいます。飛鳥の文化の源流としての百済・新羅・金官加耶を訪ねます。同行講師は、この会の会長木下正史先生(専門は考古学・文化財保存学)です。通常のツアーでは訪れることのない見学地も多く設定されており楽しみにしています。
Posted by katakago at 05:02
オケラの花 [2011年09月28日(Wed)]

 オケラ(きく科の多年草)の花が早くも咲き始めました(例年ですと10月中旬ごろですが)。万葉歌には、いずれも巻14の東歌に、うけら(原文は宇家良と表記)として詠まれています。
【歌】 恋しけば 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出なゆめ (M-3376)
【口語訳】 恋しくなったら 袖ぐらい振りますのに 武蔵野の おけらの花のように 目立ったことをしないでくださいね
 武蔵国の相聞往来歌9首のうちの一首。「武蔵野の うけらが花の」の二句は、「色に出」を起こす序詞。「色に出」は、思いが表面に現れることや、思う気持ちを行動や言語に表すことにも言われる。
 この歌に続き、或本の歌として、次の歌が載せられています。
【歌】 いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野の うけらが花の 色に出ずあらむ
【口語訳】 どんなふうに あなたに恋したら 武蔵野の おけらの花のように 目立たないですむだろうか
 新編日本古典文学全集『万葉集』によれば、「おもて歌は男をたしなめる女の歌で、或本の歌はそれに対する男の返歌であろう」とあります。
 ところで、このオケラの花は、植物園で数株植えている分にはあまり目立つ花のようには思えません。この点について、『萬葉集全注』では、「うけらの花は白いのが普通であるが、白いといっても目がさめるような白ではなく、地味な、少しきたない白で、決して目立つ花ではない」と述べ、「色の出ることの比喩として用いられるようなものではないのではないか」と疑問を呈し、「うけらの花が武蔵野に多いわりにあまり目立たない花であることから、そのようにという趣で、前句の「武蔵野」と共に序詞として第五句へかかっていく」とする解釈がなされています。

 蕾の写真も載せておきます。

Posted by katakago at 09:06
尺八演奏会お知らせ [2011年09月27日(Tue)]

 朝日カルチャーセンター芦屋教室で尺八(都山流)を習っていますが、講師の星田一山先生が主宰される「都之雨社(としゅうしゃ)」の創立90周年記念演奏会が開催されます(日時:11月13日(日) 13:00より、場所:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール)。
 こちらで習い始めて3年半になりますが、今回初めて舞台での演奏に参加することになりました。演奏曲目は「八千代獅子」で、筝・三絃との合奏です。尺八は三十数人と一緒に吹くのですが、演奏当日は全曲暗譜で吹くことになっているので、教室では時々の課題曲に加え、一年以上この曲の練習を重ねて来ました。箏・三絃との合奏練習は、本番までに3回行うことになっています。当日は先輩方の演奏も聴けるので楽しみにしています。
Posted by katakago at 21:30
ヤブマメの花 [2011年09月26日(Mon)]

 裏山の植物園の竹垣に、ヤブマメの蔓が絡まって花を咲かせています。次の万葉歌(5/21にも掲載)に、ノイバラ(うまら)と一緒に詠まれている「延ほ豆」の豆(原文は麻米と表記)をヤブマメとする説があります。
【歌】 道の辺の 茨の末に 延ほ豆の からまる君を はかれか行かむ (上丁丈部鳥 S-4352)
【口語訳】 道ばたの 茨の先に 這いまつわる豆の蔓のように まつわりつくあなたと 別れて行くことか
 この歌の解説については、5/21掲載の記事を参照ください。

 なお、5/21に掲載したノイバラには、いま写真のような果序が出来ており11月中旬頃にはこれが赤く色づきます。

Posted by katakago at 13:38
花木の剪定 [2011年09月25日(Sun)]

 畑の作業(畔の草刈りや野菜の植え付け)も一段落したので、裏山の植物園で花木の剪定作業を行いました。ウメは毎年行っていますが、その他伸びすぎていたスモモ、ウツギ、ニワウメ、ツバキ、センダン等もすっきりさせました。

 剪定作業中に、チョウがフジバカマに飛んで来たのに気付き、作業中も携帯しているデジカメで写真に撮ることが出来ました。図鑑で調べるとナガサキアゲハ(♀)です。ネットで調べたところ、ナガサキアゲハは、江戸時代には九州以南に限られていた分布域も拡大し、21世紀初頭には福井県や神奈川県西部の太平洋側での越冬が確認され、温暖化の指標種としても注目されています。

Posted by katakago at 13:20
サツマイモの試し掘り [2011年09月24日(Sat)]

 サツマイモ(鳴門金時)は、5/27に10株植え付けていますが、旺盛に蔓を伸ばして生育している(2枚目の写真)ので、試しに1株を掘り上げてみました。写真のようにもう十分大きくなっていました。天気が続く頃に残りも掘り上げることにします。

 
 秋植えの野菜として今回初めてハクサイ、キャベツ、カリフラワー等の苗も植えてみました(2枚目の写真でサツマイモの右側の畝)。

 6月に播種した晩生のエダマメ(丹波黒)は、8月の初めには花を付けていました(8/9掲載写真)が、今は写真のように莢を沢山付けています。10月中旬頃の収穫を見込んでいます。

Posted by katakago at 17:51
橘千蔭の書 [2011年09月22日(Thu)]

 2年ほど前、万葉歌が書かれた古軸を手に入れましたが、何時でも楽しめるようにと額装にすることにしました。橘千蔭による書で、次の歌です。
【原文】 天海丹 雲之波立 月舟 星之林丹 榜隠所見
【読み下し文】 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ (F-1068)
【口語訳】 天の海に 雲の波が立ち 月の船は 星の林に 漕ぎ入り隠れようとしている
 柿本朝臣人麻呂歌集から採録された「天を詠む」歌です。天を海に、雲を波に、月を舟に、星を林に、見立てて詠まれています。ここで「漕ぎ隠る見ゆ」は、「終止形+見ゆ」で、この場合の「見ゆ」は、視覚的にその情景を確認した表現です(NHKカルチャー井手至先生の講座より)。
 天を海に、月を舟に見立てた例は、
【歌】 天の海に 月の舟浮け 桂梶 掛けて漕ぐ見ゆ 月人をとこ (I-2223)
【口語訳】 天の海に 月の舟を浮かべ 桂の梶を 取り付けて漕いでいるよ 月の若者が
があり、月を舟に見立てた例は、
【歌】 春日なる 三笠の山に 月の舟出づ みやびをの 飲む酒坏に 影に見えつつ (F-1295)
【口語訳】 春日の 三笠の山に 月の舟が出ている 風流士(みやびお)が 飲む酒坏に その影を映して
があります。

 ところで、この書の書き手、橘千蔭は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人・書家です。ネットで検索した際、橘千蔭を取り上げた企画展の記事を見つけました。昭和女子大学・光葉博物館で開催されていました(この大学は、十数年前娘が通っていたところで、何度か行ったことがあります)。会期(今年5/16〜6/18)は過ぎていましたが、早速電話して図録を送ってもらいました。
 橘千蔭は父の跡を継いで北町奉行与力となり、天明8年(1788)に与力を辞して学芸に専念。若くから書芸を学び、特に国学を賀茂真淵に師事し、同じく真淵の弟子であった本居宣長の協力を得て『万葉集略解』を著しました。万葉歌全首の注釈書として、十年がかりで寛政12年(1800)に完成。全ての歌に注釈を付けたことと、自説ではなく広く説を取り入れて、平易に記述しているので、入門書として広く読まれ、明治になっても活字で出版されました。
 次の写真2枚は、図録の表紙と『万葉集略解』に関するものです。


Posted by katakago at 05:28
ナンバンギセル [2011年09月21日(Wed)]

 ナンバンギセル(はまうつぼ科)はススキの他ミョウガ、サトウキビなどに寄生し、秋に写真のような花を咲かせます。例年、植物園内のススキの株元に出てきていました(以前に写したものは2枚目)が、そのススキが弱ってきて(原因不明)、今年は見ることができません。この写真はポット植えのものを園芸店で買って来たものです。花が終わると細かい種が出来ますが、これを新しいススキの根元に蒔く予定です。 
 万葉歌で、おもひぐさ(原文は思草と表記)として詠まれている植物がナンバンギセルに当たるとみられています。。
【歌】 道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今更々に 何をか思はむ (I-2270)
【口語訳】 道端の 尾花の陰の 思い草のように いまさら 何を思い迷いましょうか
 「尾花が下の思ひ草」は、この歌が秋の相聞の中にあり、また尾花が下とあることから、ススキに寄生するナンバンギセルと考えられています。上三句は「思ふ」を起こす序。『萬葉集釈注』には、「花の姿が首をうなだれて物思いにふける姿に似るところから、下二句の比喩としたもの」とあり、「好きな人と縁切れた折の、我が身にそれと言い聞かせる歌」とあります。


Posted by katakago at 11:09
ハギの花(その2) [2011年09月20日(Tue)]

 台風の影響で雨が降る中、植物園内に咲いているハギを写してきました。萩の写真と万葉歌については、先に(8/20)掲載していますが、今日は次の歌を紹介します。
【歌】 明日香川 行き廻る岡の 秋萩は 今日降る雨に 散りか過ぎなむ (丹比真人国人 G-1557)
【口語訳】 明日香川が 裾を流れているこの岡の 秋萩は 今日降る雨に 散ってしまうのではなかろうか
 題詞によれば、故郷明日香の豊浦寺の尼の房舎で酒宴をした時に詠まれたものです。「明日香川行き廻る岡」は、甘樫丘をさすとみられています(雷丘とする説もある)。

 もう一首、笠金村の歌を次に載せておきます。
【歌】 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに (A-231)
【口語訳】 高円の 野辺の秋萩は むなしく 咲いては散っていることであろうか 見る人もないままに
 志貴皇子が亡くなった時に笠金村が詠んだ挽歌(長歌と短歌二首)の一首目の歌です。ここで高円が詠まれているのは、長歌に「高円山に春野焼く野火と見るまで」とあったように、この地に皇子の邸宅が構えられていたからと見られています(和田壽寿男著『万葉集巻二を読む』より)。その跡を継ぐのが今の白毫寺と言い伝えられています。ここに故犬養孝先生揮毫によるこの歌の歌碑があります。境内にはハギが植えられています。
Posted by katakago at 11:07
フジバカマの花 [2011年09月19日(Mon)]

 フジバカマ(きく科)の花が咲き始めました。万葉歌には次に示す山上憶良の「秋野の花を詠む歌二首」の二首目に詠まれています。
【歌】 秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 (G-1537)
【口語訳】 秋の野に 咲いている花を 指を折って 数えてみると 七種(ななくさ)の花
【歌】 萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花 (G-1538)
【口語訳】 萩の花 尾花に葛の花 なでしこの花 おみなえし それに藤袴 朝顔の花 
 この二首目は旋頭歌(5・7・7・5・7・7)で、秋の七種(ななくさ)の歌として広く知られています。『萬葉集釈注』には、前後の歌から、憶良が筑前守であった時期の作とみて、「配下の某郡を巡行中、野に遊ぶ筑紫の子供たちを目にして呼びかけた言葉、その言葉を忠実に投影する歌であったのではなかろうか」とあります。

 なお、秋の七種のうち、既に、なでしこ(カワラナデシコ 5/30、7/18)、あさがほ(キキョウ 6/26)、をみなへし(オミナエシ 7/9、8/28)、はぎ(ハギ 8/20)、くず(クズ 9/1)については、その写真と万葉歌の解説を載せています。
 今日撮影したカワラナデシコ、キキョウ、オミナエシの写真も掲載しておきます(カワラナデシコとキキョウは、花後茎を切り戻しておいた株です)。



Posted by katakago at 19:24
ヒガンバナ [2011年09月18日(Sun)]

 田んぼの畦道にヒガンバナ(ひがんばな科)が咲いています。万葉歌にいちし(原文は壱師と表記)と詠まれている植物については諸説があり、その一つにヒガンバナがあります。
【歌】 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は (J-2480)
【口語訳】 道のほとりの いちしの花のように はっきりと 人々は知ってしまった 私の恋しく思っている妻のことを (『萬葉集全歌講義』より)
 物に寄せて思いを述べた歌(寄物陳思歌)で、草や木その他いろいろな物にこと寄せ、関係付けて恋の思いを表現するもので、この歌はいちしの花に託して恋の思いを詠んでいます。上二句は、同音で「いちしろく」を起こす序詞。

 植物として詠まれているのはこの一首のみです。万葉歌で「いちしろし」や「いちしろく」は、この歌も含め、原文では多く「灼然」と表記されています。いちしがどの植物であるかは未だ定説がありません。ヒガンバナの他、クサイチゴ(ばら科)、ギシギシ(たで科)、イタドリ(たで科)、エゴノキ(えごのき科)等を当てる説があります。ヒガンバナ以外は、白または白系統の花です。いちしの花は「いちしろく」にかかるので、白い花を咲かせる植物を当てる考えがあります。新編日本古典文学全集『万葉集』では、『歌経標式』にある「道の辺のいちしの原の白妙のいちしろくしも我恋ひめやも」の歌を引いて、白い花の咲くクサイチゴが相応しいと、頭注に解説されています。

 ヒガンバナ説は、植物学者の牧野富太郎が提唱したものです。「いちしろく」は、「灼然」と表記されているので、燃えるごとくという意味で、目覚めるばかりの花と解釈すると赤いヒガンバナが相応しいと考えたようです。最近(6/4〜8/7)、練馬区立牧野記念庭園記念館で、「牧野富太郎が夢見た万葉の世界」と題する企画展が開催され、そのパンフレット(1枚目)を入手しました。それには上記ヒガンバナの記事が掲載されていました(2枚目)。ヒガンバナの方言調査(松田修ら)により、山口県など西日本に「イチシバナ」や「イチジバナ」など「いちし」に近い方言も見つかっているようです。




 ヒガンバナは、秋の葉のない時に地下の鱗茎から一本の花茎をのばして花を咲かせます。草刈りが頻繁に行われている畦道では、何もなかったところにいつの間にか、あるいは雑草が生い茂っている場合は、ある日突然鮮やかな赤い花が咲いているのに遠くからでも気づくことがあります。このようなことからも、個人的にはヒガンバナはこの歌に相応しいと思っています。
Posted by katakago at 11:16
万葉集の植物・植生 [2011年09月17日(Sat)]


 兵庫県立人と自然の博物館(三田市)で、「万葉集の植物・植生」と題して服部保先生(兵庫県立大教授・博物館部長)のセミナーがあり、万葉仲間を誘って参加しました。服部先生は、万葉歌に詠まれた植物を、植物群集、群落(植生)の視点から解析して、万葉時代の植生景観がどのようなものであったかについて研究されています。この研究に際しては、4516首からなる万葉歌全てについて、3回読み込まれたとのことでした。

解析結果の要約の一例
・同じ歌に詠まれた複数の植物の組み合わせについて、植生単位(採草草原、水田雑草群落など)毎に解析すると、現存植生の種組成の一部を反映した結果となり、万葉歌の写実性の高さを示している(例えば採草草原のススキクラスの構成種は、ハギ、ススキ、オミナエシ、チガヤ、クズ、カワラナデシコ、スミレ、キキョウ、フジバカマ、ナンバンギセル間での組み合わせ)。
・同じ歌に詠まれている植物と立地条件(田、里、野、丘、社、山、奥山、河原、川、河口、浜など))との対応に関しても、現存植生との一致が見られ写実性の高さが認められる(例えば田の立地条件に対して、イネ、セリ、イヌビエ、ヒルムシロ、コナギが対応)。
・植生単位(ススキ・チガヤ・シバ草原、庭園・緑化植物群など)毎にそれに属する植物が詠まれた歌の数を集計すると、ススキ・チガヤ・シバ草原の植生単位が最も多く、万葉人は開放的な草原景観を好んでいたようである。

 『万葉集』に関する講座や講演会で、このような視点での講演は初めてで、大変興味深く聴かせていただきました。5年前に、『手づくり万葉植物園の四季』を自費出版しましたが、将来その改訂版を出す機会があれば、このような研究成果も参考にしたいと考えています。


 なお、この博物館には丹波の恐竜化石が展示されています。セミナーが始まる前に館内を見ることが出来ました。

Posted by katakago at 19:22
ヒオウギの種 [2011年09月16日(Fri)]

 ヒオウギ(あやめ科)の花は、7/3、7/15(花弁が黄色)に写真を掲載していますが、花後に形成された刮ハがはじけて中から黒い球形の種子が見えています。万葉歌に詠まれている、ぬばたま(原文は野干玉・奴婆多麻・烏玉・夜干玉等と表記)はこのヒオウギの種と考えられています。万葉歌には80首詠まれていますが、植物としてのヒオウギやその種子そのものを詠んだ例はなく、全て枕詞(黒・夜・暗・夢などにかかる)として用いらています。これは、アカネ(9/14掲載)の場合と同様です。

【歌】 ぬばたまの 黒髪変はり 白けても 痛き恋には あふ時ありけり (沙弥満誓 C-573)
【口語訳】 (ぬばたまの) 黒髪が 白髪に変わっても つらい恋に 出会う時はあるものですね
 作者の沙弥満誓は筑紫観世音寺の別当となり大宰府に赴き、大宰帥大伴旅人と親しくなった文人です。旅人が大納言となって上京した後、恋歌仕立てで(恋という言葉が用いられているが男女の恋愛ではなく)旅人を慕う心が詠まれています。

 次の歌では、「あかね」と「ぬばたま」が詠まれています。
【歌】 あかねさす 昼は物思ひ ぬばたまの 夜はすがらに 音のみし泣かゆ (中臣朝臣宅守 N-3732)
【口語訳】 (あかねさす) 昼は物思いをし (ぬばたまの) 夜は夜通し 声をあげて泣けてしょうがない
 この歌は目録によれば、中臣朝臣宅守が蔵部の女孺狭野弟上娘子を娶った時に越前国に流罪になり(理由は不明)、都に残された狭野弟上娘子との間で交わされた贈答歌群(巻15の後半63首)に出てくるものです。
 
 なお、同時に「あかね」と「ぬばたま」が詠まれた歌は、セリ(7/2掲載)のところにも出て来ました(S-4455)

 今年の春に種を蒔いたもので、この時期2株ほど花を咲かせています(次の写真)。

Posted by katakago at 15:12
八幡宮の放生会 [2011年09月15日(Thu)]


 矢問八幡宮では毎年9月15日に「放生会(ほうじょうえ)」の神事を行うことになっています。今年は宮総代に当たっていまして、多田神社から神官を迎えて執り行いました。お供え物の種類や並べ方は、代々の宮総代から引き継ぐので写真に撮っています。

 放生会とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し殺生を戒める宗教儀式で、元々は仏教の「殺生戒」に基づくもので、わが国では神仏習合によって神道にもとりいれられたそうです。収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に、寺院や宇佐八幡宮をはじめ各地の八幡宮(八幡神社)でこの神事が行われているようです。
 今日は地元の自治会、生産組合、長寿会(シルバーアローズ)の役員の方々に参拝していただきました(一人づつ玉串を奉納)。


 神事の後お供えのお酒で乾杯し、神官を交え懇親の場を持ちました(神官より放生会の由来を聴きました)。次の写真は神社脇に机を運びこんで臨時に設えた場所での懇談風景です。


 
 今後の宮総代の仕事は、多太神社秋季例祭(10/29)と元旦祭が残っています。
Posted by katakago at 11:43
アカネの花 [2011年09月14日(Wed)]

 アカネ(あかね科の多年草)の小さな白い花が咲いています。特別に植えたわけではなく、植物園の垣根に絡まって生えているものです。これまで気づかなかったのですが、その気になって周りを探すと万葉歌に詠まれた植物の多くは意外と身近に生えているものです。アカネは、万葉歌では(原文では、茜・茜草・赤根等と表記)、植物そのものを詠んだ歌は無く、「あかねさす」として茜色の照り映える意で、枕詞(日・紫・月・照・昼などにかかる)として用いられています。
【歌】 あかねさす 日の暮れぬれば すべをなみ 千度嘆きて 恋ひつつそ居る (K-2901)
【口語訳】 (あかねさす) 日が暮れてしまうと 遣る瀬なくて 幾度も嘆いて 恋い慕っている
 『萬葉集釈注』には、「あたりが次第に暗くなって行く中で、男の訪れを待つやるせない気持ちを述べた歌」とあります(当時は、男が女のもとに通う通い婚)。巻11には次のような歌もあります。
【歌】 何時はしも 恋ひぬ時とは あらねども 夕かたまけて 恋はすべなし (J-2373)
【口語訳】 いつといって 恋しくない時など ないけれど 夕方近くになると格別 恋はもう遣る瀬ない

 なお、紫にかかる例としては、6/11掲載の次の歌がありました。
【歌】 あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王 @-20)

 アカネの根は黄褐色で乾燥すると赤黄色になり(プルプリンという色素を含む)、茜染の原料となります(上代染めの緋色の染料)。
Posted by katakago at 10:59
唐招提寺観月讃仏会(9/12) [2011年09月13日(Tue)]

 昨日(9/12)は中秋の名月。11日の明日香に続き奈良西の京の唐招提寺に出かけました。この日に観月讃仏会(さんぶつえ)が行われます。御影堂の鑑真和上の像に献茶がなされ、外に設けられた祭壇にも茶が供えられます(これは月にたいするものでしょうか)。金堂内はライトアップされ、昼間見るのとは違った荘厳な雰囲気が醸し出されます。夜間のこのような行事に参加するのは初めてで、人の群れに押されながらではありましたが、夢中でシャッターを押していました。但し、三脚がないのでまともな写真は撮れていませんでしたが。月明かりに照らされる金堂をイメージして出かけましたが、この日は残念ながら月は観れませんでした。
 金堂前に集まった人々でごった返してます。三脚を用意したカメラマンも多く見かけました。


 金堂内部の写真で、左から千手観音立像、盧舎那仏座像です(金堂の柱にデジカメを押しつけてブレを抑えたつもりですが)。ここには写っていませんが、右には薬師如来立像があります(いずれも国宝)。


 御影堂内(東山魁夷の障壁画がある)の撮影は禁止されていましたが、次の写真は庭に設けられた祭壇に献茶される様子です。


 唐招提寺と鑑真については、井上靖の小説『天平の甍』が有名ですが、遣唐留学僧栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が聖武天皇の願いとして伝戒のため来日を要請し、何度もの渡航を試みた後6度目に、遣唐副使大伴古麻呂の船で薩摩国に到着できた(天平勝宝5年、753)。翌天平勝宝6年には、東大寺大仏殿前で聖武上皇、孝謙天皇、光明皇太后ら(440余人)に戒を授け、天平宝字3年(759)に唐招提寺を開創。天平宝字7年(763)に76歳で入寂。

 今回の観月讃仏会に参加しようと思ったきっかけは、2年ほど前に手に入れた岩波昭彦の日本画「唐招提寺金堂」(次の写真)で、是非ともこのような場面に出会いたいと思っていました。


Posted by katakago at 08:40
明日香路の観月会(9/11) [2011年09月12日(Mon)]

 昨日(9/11)は、「万葉の明日香路に月を観る会」に参加しました(明日香へ出かけるのは今年になってから4度目)。今年は44回目だそうですが、今回初めて参加しました。石舞台古墳の前に設けられたステージで、後方から登る月を背に、「八雲琴」の演奏と考古学者の講演を愉しみました。八雲琴は二絃からなり、演奏は「飛鳥の響き保存会」と聖徳中学校の生徒さんによるもので、次の万葉歌をもとに作曲された「飛鳥川」も演奏されました。
【歌】 明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 心は妹に 寄りにけるかも (L-3267)
【口語訳】 明日香川の 瀬々の玉藻のように ひたむきに 心はあなたに なびき寄ってしまった
 次の写真は、まだ暗くなる前の石舞台前の様子です。



 
 この日は、石舞台古墳内での行事に先立ち、午後2時から「飛鳥の遺跡巡り」も実施されました。明日香村教育委員会の相原さんの案内で、梅山古墳(欽明天皇陵)→カナヅカ古墳→鬼の俎・雪隠古墳→野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)→亀石→川原寺→伝飛鳥板蓋宮→石舞台古墳のルートを巡りました。これまで何度も歩いている場所ですが、専門家の案内で回るのは初めてであり、飛鳥時代の古墳の移り変わり(6世紀後半の横穴式石室と推定される梅山古墳から7世紀後半の横口式石槨の野口王墓古墳まで)を現地で説明していただきました。
 梅山古墳の前で説明を聞きました(欽明天皇陵については見瀬丸山古墳とする説もある)。


 伝飛鳥板蓋宮跡の再現された大井戸の前での説明の様子(本当の遺構はこれより1m下にあるそうです)。

 コース最終地点の飛鳥歴史公園石舞台地区に到着し、芝生広場で夕食をいただきました。日中は炎天下を歩くことになりましたが、この頃になると大分過ごし良くなりました。
Posted by katakago at 09:31
多太神社の清掃 [2011年09月10日(Sat)]

 今日は、近隣の自治会員が氏子としてお世話している多太神社の当番清掃日で、矢問自治会の組長さんに集まっていただいて(写真)、神殿内部の拭き掃除と境内の掃き掃除を実施しました(宮総代の役割です)。若い組長さんも小さなお子さん連れで参加していただきました。清掃は毎月一回、5つの自治会が交代で行っています。今回は先週の台風による影響で境内の落ち葉だけでなく、神殿内にも吹き込まれた葉っぱが散らばっていましたが、手分けして効率よく済ませることが出来ました。来月29日は秋季例祭です。。
 普段は立ち入らない神殿内部も丁寧に拭き掃除を実施


 境内の清掃の様子


 なお、多太神社については、7/29に紹介しています(夏季例祭)。
Posted by katakago at 09:59
クリのいが(三栗) [2011年09月09日(Fri)]

 クリのいががはじけて、中にはクリの実が三つ見えています(全てのいがが三つとは限りませんが)。万葉歌にはクリが三首詠まれており、そのうち一首は、6/19に紹介した山上憶良の「子等を思う歌」で、マクワウリと共に詠まれていました。ここでは次の歌を取り上げます。
【歌】 三栗の 那賀に向かへる 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが (H-1745)
【口語訳】 三栗の中 その中ではないが那賀に向き合っている 曝井の水の絶えないように 絶えることなく通って来たいものだ その曝井の近くに私のいとしい妻がいればよいのに(『萬葉集全歌講義』より)
 この歌は、高橋虫麻呂歌集に出ているものです。『常陸国風土記』の那賀郡に曝井の記事があり、村の女たちが夏に集まって布を洗い、曝し乾すと記されています。そのような土地の女性たちに親しみの情をを寄せて詠まれたようです。「三栗の」は、一つのいがの中にクリの実が三つできることから、その真ん中に注目して、「中」といい、同音の「那賀」にかけた枕詞。上三句は、曝井の水が絶えない意により、「絶えず」を起こす序詞。
 「三栗の」の同じ用例は、次の歌にもあります(クリが詠まれた三つ目の歌)。
【歌】 松反り しひてあれやは 三栗の 中上り来ぬ 麻呂といふ奴 (H-1783)

 次の写真は果樹園のクリの木です(苗木を植えて4年目)。

Posted by katakago at 11:11
ナツメの実 [2011年09月08日(Thu)]

 ナツメ(くろうめもどき科)の実が熟し始めました。ナツメは、アワなど5つの植物と一緒に詠まれた歌を8/8に紹介していますが、ここでは、巻16から次の歌を取り上げました。
【歌】 玉箒 刈り来鎌麻呂 むろの木と 棗が本と かき掃かむため (長忌寸意吉麻呂 O-3830)
【口語訳】 玉箒を 早く刈って来い鎌麻呂よ むろの木と 棗の木の本を 掃除するために
 題詞には、玉箒、鎌、天木香(むろ)、棗を詠む歌とあります。与えられた互いにあまり関係のない題四つを、清掃を主題にまとめた歌。宴席で詠まれた歌とみられています。作者の意吉麻呂は、このような滑稽な歌や即興の歌を得意としたようです。
 玉箒は、落葉小低木のコウヤボウキで、枝を束ねて箒とされます(玉は美称)。10月半ばには花を咲かせますが、現在は写真のような状態です。なお、むろの木はネズとする説があり、むろの木が詠まれた歌は、7/22に取り上げました。

Posted by katakago at 18:33
ニラの花 [2011年09月07日(Wed)]

 今朝、畔の草刈りをしている時に、ニラ(ヒガンバナ科)の花が咲いているのを見つけました。裏山の植物園にも植えていますが、こちらは未だ蕾です(日当たりが悪いためでしょうか)。ニラは万葉歌には、くくみら(原文は久君美良と表記)として詠まれています。
【歌】 伎波都久の 岡のくくみら 我摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね (M-3444)
【口語訳】 伎波都久(きはつく)の 岡のくくみらは わたしが摘んでも 籠いっぱいになかなかならないわ そんならあの人と摘みなさいな
 東歌の中の未勘国(国名不明)の雑歌十七首の一首。上四句と結句とを二人の女が唱和する形とみられています。『萬葉集釈注』には、「誰かがうたった上四句に別人が結句を合わせたもので、本来、春の野の若菜を摘む女たちのあいだで掛け合い式にうたわれた歌なのであろう。」とあります。
 くくみらは、茎韮のことで、茎の生い立ったニラの意で、葉は食用となり、花は秋に半球状に密生して咲きます。
 次の写真は、裏山の植物園のニラ(蕾)です。

Posted by katakago at 13:26
東国万葉旅行(9/4その2) [2011年09月06日(Tue)]
 水沢観音近くで、昼食の水沢うどんを食した後、断続的に降る雨の中、最後の目的地子持山・子持神社(群馬県北群馬郡子持村)に向かいました。幸いバスを降りる頃には雨も止み、徒歩で片道1.5キロほどの子持神社を目指しました。


 子持神社に到着。

 この歌碑は、万延元年(1860)に建立されたものです。
この歌はモミジの若葉の写真と共に、5/14に紹介していますが、次に読み下し文と口語訳を載せておきます。
【歌】 子持山 若かへるての もみつまで 寝もと我は思ふ 汝はあどか思ふ (M-3494)
【口語訳】 子持山の 楓の若葉が 紅葉するまでも ずっと寝ようとわたしは思う おまえはどう思うかい


 歌碑の前で、坂本先生の説明を聞きました。この頃からまた雨が降り出し、笠をさしての下山となりました。


 今回の2泊3日の東国万葉旅行は、台風接近、西日本上陸という悪天候にも拘らず効率よく目的地を回ることが出来、また多くの万葉愛好者とも知り合え、大変有意義な故地探訪となりました。「万葉の大和路を歩く会」も今年で30周年を迎えましたが、今後もこのような企画を継続して頂きたいと願っています。機会を見つけては、参加して行きたいと思っています。
Posted by katakago at 12:46
東国万葉旅行(9/4その1) [2011年09月06日(Tue)]
 3日目(9/4)は明け方から激しい風雨で、バスを降りての散策が出来るか心配されましたが、出かける時間にも雨は止まず、雨合羽に笠をさしての移動となりました。伊香保温泉の「文学の小径」と伊香保神社境内にある万葉歌碑を見に出かけましたが、この天候では歌碑の写真も思うようには撮れません。まず、「文学の小径」内にある万葉歌碑の見学です。
【歌】 伊香保ろの 沿ひの榛原 我が衣に 着き宜しもよ ひたへと思へば (M-3435)
【口語訳】 伊香保嶺の そばの榛原の榛は わたしの衣に よく染まりつくよ ひとえだもの 上二句は、「着き宜し」を起こす序(榛の実は黒茶ないし黒色の染料に用いられた)。この歌は比喩歌で、『萬葉集全歌講義』では、「染色に用いられる榛原の木に女性を喩え、自分の衣服によく染まりそうだということで、私の妻に好適だという気持ちを表している」と解説されています(「ひたへ」は、一重の意。衣の縁語。女性の裏のない純粋な心を表す)。




 雨の中、急な階段を上って伊香保神社に着いたものの、歌碑の文字もはっきり読めない状況でした。写真は伊香保神社に参拝の様子。


 この後バスで榛名湖畔に向かいましたが、雨と霧のためお目当ての榛名富士の眺望は叶いませんでした。
 次いで、水沢観音(水沢寺、次の写真)付近にある万葉歌碑を目指しました。


 水沢寺駐車場の東端、道路沿いにある万葉歌碑です。
【歌】 伊香保ろの やさかのゐでに 立つ虹の 現はろまでも さ寝をさ寝てば (M-3414)
【口語訳】 伊香保の やさかの土手に 立つ虹のように 人目につくほど 寝られたからは (この下に、あとはどうなりとなれ、という成り行き任せの捨てぜりふが省略されている)


Posted by katakago at 11:40
東国万葉旅行(9/3その2) [2011年09月06日(Tue)]
 しもつけ風土記の丘(下野市国分寺付近、天平の丘公園)にある、故犬養孝先生の歌碑です。下野国の防人の歌で、読み下し文と口語訳は次のとおりです。
【歌】 松の木の 並みたる見れば 家人の 我を見送ると 立たりしもころ (S-4375)
【口語訳】 松の木の 並木を見ると 家人が おれを見送って 立っていたのとそっくりだ


 次は三毳神社(下都賀郡藤岡町)にある、コナラを詠んだ東歌の歌碑です。佐野市内にはこの歌の歌碑が他に三基ありますが、こちらが一番古いようです(昭和22年5月3日に日本国憲法制定を記念して建立)。この歌は、コナラの写真と共に5/15に紹介していますが、読み下し文と口語訳を載せておきます。
【歌】 下野 三毳の山の こ楢のす まぐはし児ろは 誰が笥か持たむ (M-3424)
【口語訳】 下野の 三毳の山の こ楢のように 可憐なあの娘は 誰に嫁ぐのだろうか



 次の歌碑は、佐野市栃本、唐沢橋西詰にある、「安蘇の川原」を詠んだ下野国の歌です。写真は歌碑の前で坂本先生による解説の様子です。
【歌】 下野 安蘇の川原を 石踏まず 空ゆと来ぬよ 汝が心告れ (M-3425)
【口語訳】 下野の 安蘇川の川原を 石を踏まずに 宙を飛んで来たよ おまえの気持を聞かせておくれ



 午後から雨が激しくなり、赤城山は断念し宿泊先のホテルの会議室での勉強会に変更となりました。この旅行用に作成されたテキストをもとに、坂本先生からこれまでの復習も兼ねて高橋虫麻呂の歌を中心に、約1時間ほど講義して頂きました。その後、参加者全員が自己紹介を行い、あらためて全国各地から参加されているのを知りました。コンベンションホールでの勉強会の様子です。

 夕食の席で、まず主催者の富田さん(全国万葉協会代表、万葉の大和路を歩く会事務局)の音頭で乾杯。引き続き楽しい食事と交流の場となりました。


Posted by katakago at 08:48
東国万葉旅行(9/3その1) [2011年09月06日(Tue)]
 2日目(9/3)は、大宝八幡宮(万葉歌碑)→しもつけ風土記の丘(万葉歌碑)→三毳(みかも)神社(万葉歌碑)→佐野市安蘇の河原(万葉歌碑)→赤城山・赤城神社(万葉歌碑)→伊香保温泉(泊)のコースです。
 まず歌碑がいくつか建立されている大宝八幡宮に向かいました。社伝では、大宝元年(701)の創建とされています。



 案内は、1日目に続き地元の大木さん(東歌研究会代表)にして頂きました。

 この歌碑は、昨日も坂本先生に説明して頂いた歌です。


 次の写真は、故犬養孝先生の書(昭和40年代頃?)をもとに最近建立された歌碑です。この歌はヒメサユリの写真と共に5/23に紹介していますが、読み下し文を次に掲載しておきます。常陸国の防人の歌です。
【歌】 筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも かなしけ妹そ 昼もかなしけ (S-4369)

【口語訳】 筑波嶺の さ百合の花のように 夜床でも いとしい妻は 昼間もいとしい


 このブログでは写真は一回に5枚までですので、続きは「その2」でお伝えします。
Posted by katakago at 07:57
東国万葉旅行(9/2その2) [2011年09月05日(Mon)]
 筑波山神社境内に万葉歌碑が建立されています。まず、宮司から神社の説明をして頂きました。写真は拝殿で、本殿は男体山、女体山山頂にあります。

次いで、地元の東歌研究会の代表である大木さんから境内の歌碑の説明をして頂きました(2枚目の写真)。


   筑波の岳に登りて、丹比真人国人の作る歌
鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば 益して恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る (B-382)
【口語訳】 (鶏が鳴く) 東の国に 高い山は 数々あるが 男女二神の 貴い山で 並び立つさまの 見飽きない山だと 神代から 人が言い伝え 国見もする 筑波山を (冬ごもり) 国見の時節でないと 見ないで行ったら なお後悔するだろうと 雪解けの 山道なのに 苦労してわたしは来た



   筑波山に登る歌 (高橋虫麻呂歌集)
草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の 良けくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へは止みぬ (H-1757)
   反歌
筑波嶺の 裾回の田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折らな (H-1758) 
【口語訳】 (草枕) 旅のつらさが 紛れる こともあろうかと 筑波嶺に 登って見ると 尾花が風に散る 師付の田んぼに 雁も 来て寒々と鳴き始めたし 新治の 鳥羽の湖も 秋風に 白波が立っている 筑波嶺の この絶景を見ると 長い間 積もりたまっていた 不安は止んだ
(反歌) 筑波嶺の 裾の田んぼで 秋田を刈っている 女に遣るため 紅葉を折ろう


この歌碑は、故犬養孝先生の書をもとに最近建立されました。

 次の写真は、上記の歌に詠まれた「師付の田居」とされる場所で、坂本先生から解説して頂いている様子です。高橋虫麻呂は、仕えていた藤原宇合が常陸守になった時に東国に来ていた。この歌は、山讃めや国見系統の歌の様式に倣ったものであり、「わびしい否定的な景観、作者の、秋風落莫・孤独の心情を表すもの」とする見方(犬養孝)は、虫麻呂の時代として当たっていないとする考えを示されました。旅の憂いは、筑波嶺から見る見事な光景によって晴らされ、その反歌では、想像上の土地の女性が歌われています。

Posted by katakago at 19:08
東国万葉旅行(9/2その1) [2011年09月05日(Mon)]
 9月2日から2泊3日の旅程で、「万葉の大和路を歩く会」の特別万葉旅行に参加しました。筑波山(茨城県)、三毳・佐野(栃木県)、伊香保・赤城・榛名・子持(群馬県)方面の万葉故地を尋ねる旅です。久しぶりに出かけるので、農作業も早めに段取りをつけて楽しみにしていましたが、大型台風が接近する中での出発となりました。筆者は退職するまで長らく(三十数年)神奈川県横須賀市に居住していましたので、上記の万葉故地は、個人で訪れたこともありましたが、今回は、朝日カルチャーで受講している万葉講座の坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長、奈良女子大学名誉教授)が講師として参加される旅行でもあり、あらためて現地での解説を楽しみに出かけた次第です。「万葉歌を鑑賞するにはその歌が詠まれた風土と歴史に身を置いて」は故犬養孝先生の教えでもありました。
 台風にもかかわらず、全国各地(京阪神はもとより、北海道、広島、富山、広島、四国など)から計38名の参加者がありました。ここでは、まず1日目(9/2)に筑波山を訪れた様子をお伝えします。


 写真(2枚目は9/3撮影)は、車窓から見た筑波山です。山頂は男体山(約871m)と女体山(約877m)の二つの峰に分かれています。『常陸国風土記』には、「そもそも筑波岳は、高く雲中にそびえ、頂きの西の峰(男体山)はけわしく高く、雄の神といって登るのを許さない。ただ、東の峰(女体山)は四方が磐石で昇り降りはごつごつとしてけわしいけれども、その側を泉が流れていて冬も夏も絶えることがない。[足柄の]坂から東の国ぐにの男女は、春の花が開く時季、秋の木の葉の色づく時節に、手を取り肩を並べて続続と連れだち、飲み物や食べものを用意して持ち、騎馬でも登り徒歩でも登り、遊び楽しみ日を暮らす。」とあります(吉野裕訳『風土記』より)。当時筑波山では、特定の日に多数の男女が集まって、飲食・歌舞する習俗(性的解放を伴う)があり、これを嬥歌会(かがひ)といい(中央では歌垣といわれた)、筑波嶺に登って嬥歌会をした日に詠まれた歌(高橋虫麻呂歌集)も『万葉集』に載せられています。

 山頂へは、先ずつつじケ丘駅よりロープウェイ(幸いにも運行されていた)で女体山へ登り、徒歩で男体山に向かいました。


 山頂付近は一面の霧で、眼下に関東平野を望むことは叶いませんでしたが、記念の写真を同行の荒川さんに写してもらいました。
次の写真は女体山山頂の本殿です。


 女体山から、ガマ石(写真)を通り過ぎ、霧の中を男体山に向かいました。下山のケーブルの最終発車時間の関係で男体山の山頂には行けませんでしたが、筑波山へ登るというこの旅の当初の目的は達せられました。下山後、筑波山神社で、筑波が詠まれた歌の歌碑を前に説明を受けました。これは「その2」でお伝えします。
Posted by katakago at 17:00
クズの花 [2011年09月01日(Thu)]

 クズは、はびこると防除が大変な強害草ですが、写真のようなきれいな花を咲かせます。根は肥大し葛根と呼ばれ葛粉は食用、薬用となります。万葉歌にも詠まれ(原文は葛・久受・田葛などと表記)、山上憶良は秋の七種(ななくさ)の一つに取り上げています。ここでは、大伴坂上郎女の次の歌を紹介します。
【歌】 夏葛の 絶えぬ使ひの よどめれば 事しもあるごと 思ひつるかも (C-649)
【口語訳】 (夏葛の) 絶えなかったお使いが 途絶えたので 何かあったのかと 思っていました
 この歌は、左注によれば、大伴駿河麻呂の次の歌に対して 大伴坂上郎女の答えた歌です。
【歌】 相見ずて 日長くなりぬ このころは いかに幸くや いふかし我妹 (C-648)
【口語訳】 お逢いしないで ずいぶん久しくなりましたね このごろ どうしています あなたお変わりありませんか
 駿河麻呂は、坂上郎女にとっては従兄の子に当たる人物であり、左注には、歌を作って贈答し互いに安否を尋ねた(起居を相問す)とあります。この贈答歌は、当人たちが疑似恋愛を楽しむ応酬と見る説と、坂上郎女が娘の二嬢(駿河麻呂が求婚の歌を贈った事がある)に代わって詠んだ代作と見る見方があります。
 
 なお、この歌の「夏葛の」は、クズの蔓は長く伸び太くて強靭で少し引いたぐらいでは絶えないので、「絶えぬ」の枕詞として用いられています。
Posted by katakago at 13:13
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