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奈良学文化講座「北・山の辺の道」 [2015年03月08日(Sun)]
 昨日(3/7)、久しぶりに奈良学文化講座(第141回)に参加しました。午前中は「影媛あはれー石上の歴史と文学」と題する講演(乾善彦関西大学教授)を聴講し、午後は小田木治太郎天理大学准教授の案内で北・山の辺の道を巡りました。

 午後の散策では途中から雨が降り出したため、当初のコースを一部スキップして、JR桜井線の櫟本駅から、
柿本寺(しほんじ)跡 → 和爾下(わにした)神社 → 赤土山古墳 → 櫟本高塚遺跡(高塚公園) → 白川溜池 → 石上神宮 → 天理駅までを歩きました。

 日本書紀歌謡の碑(櫟本 和爾下神社参道途中)
IMG_0878m.jpg

 『日本書紀』武列天皇即位前紀の歌謡九十四(午前中の講演で解説された)。
 皇太子(後の武列天皇)は物部麁鹿火(あらかひ)大連の娘 影媛と結婚しようとしたが、影媛の思い人は平群真鳥大臣の子 鮪(しび)であることが分かり、大伴連金村に命じて鮪を乃楽山(ならやま)で殺させた。影媛は悲しみ道行の葬送歌を作る(葬送の列は、石上から山の辺の道を通って乃楽山の麓の佐保へ)。
【歌】 石上(いすのかみ) 布留(ふる)を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ 物多(ものさは)に 大宅(おほやけ)過ぎ 春日(はるひ)の 春日(かすが)を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉盌(たまもひ)に 水さへ盛り 泣き沾(そほ)ち行くも 影媛あはれ
【口語訳】 (石上) 布留を過ぎて、(薦枕) 高橋を過ぎ、(物多に) 大宅を過ぎ、(春日の) 春日を過ぎ、(妻隠る) 佐保を過ぎて、美しい器には飯まで盛り、美しい椀には水まで盛って、泣き濡れて行くよ、影媛我は、ああ)

 赤土山古墳での説明の様子
IMG_0892.JPG

 櫟本町には、この赤土山古墳の他、東大寺山古墳(全長140m)、和爾下神社古墳(全長110m)など古墳時代前期の大型前方後円墳が存在(東大寺山古墳群)し、古代の有力者「和爾氏」の祖先にあたる人物の墓とみられています。
 赤土山古墳は、古墳時代前期(4世紀)後葉と推定される前方後円墳(全長106.5m)で、後円部後方に造り出しがつき、その南には家形埴輪を並べた祭祀遺構が出土している(次の写真はレプリカで復元されたもの)。国史跡に指定されている。
IMG_0889m.jpg

 石上神宮境内の万葉歌碑
IMG_0899m.jpg

【歌】 未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者 (柿本朝臣人麻呂 C-501)
【読み下し文】 娘子(をとめ)らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は
【口語訳】 乙女が 袖を振るという名の布留山の 年を経た神垣のように 久しい前から 思っていたのだよわたしは


 

Posted by katakago at 21:34
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