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『壁畫 阿騎野の朝』を入手 [2014年11月15日(Sat)]
 先日(11/8)、宇陀市の万葉公園(かぎろひの丘)を訪れた折の記事(https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/925)で、人麻呂の次の歌
【歌】 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 
【読み下し文】 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
が詠まれた時期について、澤瀉久孝著『萬葉集注釋』より引用しましたが、そこでは、画家の中山正實氏の説が採られていました。
 中山画伯は、昭和14年、当時皇紀2600年の記念事業として建設された大和国史館の萬葉室の壁画制作を委嘱され、その主題は、佐佐木信綱博士によって上記の柿本人麻呂作歌が選定され、画題は「阿騎野の朝」とされました。今回「日本の古本屋」のサイトで、中山画伯の著書『壁畫 阿騎野の朝』(昭和15年、私家版)を見つけて入手することが出来ました。この本で中山画伯の考証結果を直接知ることが出来ました。
IMG_0001m.jpg

 この小冊子に添付されていた壁画の図(残念ながらモノクロ)
実物は現在宇陀市中央公民館大ホールに在るとのことで、是非見てみたいと思います。
IMGm.jpg

 この小冊子には、壁画制作の基礎となった種々の考証(地理的考証ー阿騎野の位置・軽皇子の宿営地・人麻呂作歌の地点など、歴史的考証ー阿騎野の御狩は持統天皇の何年か・その頃の狩猟と馬の大きさなど、天文学的考証ーかぎろひの研究・時期は何月何日かなど)経過が記されています。自序では、「何故これだけの考証を経なければならなかったか。それは作者にとっては、あらゆる考証が、この壁画を構成すべき造形的な要素として必要であったからである」と述べられています。

 「かぎろひの研究」では、東の野に立つ「かぎろひ」は、西に傾く月に対照した言葉で、黎明の太陽の光であるとし、昭和14年12月中に行った観測結果を次のように記しています。「晴れた日の朝、太陽が水平線上に現れる時刻より約一時間前に、東の空に、太陽光線のスペクトルが現れる。これが早朝、肉眼に映ずる最初の光明であって、しかも「かぎろひの立つ」といふ言葉に最もふさはしい美しさを以て現れるのである」

 「阿騎野の御狩りは何月何日か」については、自身の観測結果を踏まえ、当時の東京天文台に調査を依頼しています。 
 東京天文台(辻技師、寺田編暦技手)の回答個所の写し(右ページ)
IMG_0003m.jpg

(条件)
 時 ー 持統天皇の六年初冬、太陽暦十二月頃
 場所 ー 東経135度55分46秒6
     北緯34度26分30秒3
(調査結果)
 ・持統六年は西暦692年也。
 ・西暦692年太陽暦十二月中にて十六夜の月が暁に沈む日は、持統六年陰暦十一月十七日なり。
  これを太陽暦にすれば西暦692年12月31日なり。
 ・質問の地点における上記の日付にて、午前六時五十分日の出の方向は、真東より南へ28度也。
  
 なお、『天文月報第70巻』9月号(1977年、p260)には、当時大宇陀町教育長の増岡清史さんの「『かぎろい』に寄せて」の記事で、『壁畫 阿騎野の朝』に書かれた中山画伯の壁画制作のための地理的・天文学的な考証経過が紹介されています。
 また、『北海道立理科教育センター研究紀要第12号』(2000年3月発行)には、中村隆信氏の「人麻呂が見た『炎(かぎろひ)』」の論文にも紹介されています。

 宇陀市の「かぎろひの丘」では、毎年陰暦11月17日の早朝、「かぎろひ」を見る会が催されているようです(次回は来年1月7日とのこと)。

 

Posted by katakago at 16:07
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