交野が原の七夕まつりと万葉歌碑めぐり(7/7) [2014年07月09日(Wed)]
さる7月7日(七夕の日)に、「交野が原の七夕まつりと歌碑めぐり」のイベントがあり参加しました。実施は、万葉でお世話になっている岡本三千代さんが主宰されている「つらつら椿(株)」で、案内役は、こちらも万葉や拓本採りでお世話になった地元(交野市)在住の毛利信二さんで、交野市内(一部枚方市を含む)の関連場所を丁寧な説明で案内していただきました。実はこの日は、カルチャーの講座(坂本先生)の日でしたが、年に一度の行事で、今まで訪れたことの無かった場所でもありこちらを優先することにしました(これまでめったに休んだことが無かったのですが)。
交野市には星に因んだ地名や伝説が多く残り、生駒山系を水源とする天野川が市内を流れています。平安時代に都の貴族からこの一帯の”交野が原”に七夕文化が持ち込まれたそうです。市内には天野川流域や七夕ゆかりの場所に、七夕を詠んだ万葉歌や平安・鎌倉時代の歌の碑が建立されています(次の写真は私市水辺プラザ付近の天野川、このそばには大阪市立大学付属植物園がある)。 以下訪れた中で万葉歌碑関連の写真を載せておきます。 @ 観音山公園(枚方市香里ケ丘) 歌碑の前で毛利さん(写真中央)の説明を聴く 万葉歌碑 【歌】 牽牛之 迎嬬船 己芸出良之 天漢原尓 霧之立波 (山上憶良 G-1527) 【読み下し文】 彦星し 妻迎へ舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは 【口語訳】 彦星が 妻迎え舟を 漕ぎ出したらしい 天の川原に 霧が立ったのを見ると A 逢合橋(交野市私部西) 万葉歌碑(岡本三千代さん揮毫)写真の橋に向かって左脇に建てられている 同歌碑の拓本写真(提供毛利氏) 【歌】 彦星と 織女と 今夜逢ふ 天の川門に 波立つなゆめ (I-2040) 【口語訳】 彦星と 織女星とが 今夜逢う 天の川の渡り場に 波よ荒く立つな B 機物神社(交野市倉治) 境内に立てられた七夕飾り 万葉歌碑(参道右脇) 【歌】 棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見 (I-2034) 【読み下し文】 棚機の 五百機立てて 織る布の 秋さり衣 誰か取り見む 【口語訳】 織機(たなばた)を いっぱい並べて 織る布の 秋の衣は 誰が世話をするのだろうか C 天野川緑地の万葉歌碑(交野市星田西) 【歌】 天の川 梶の音聞こゆ 彦星と 織女と 今夜逢ふらしも (柿本人麻呂歌集出 I-2029) 【口語訳】 天の川で 梶の音がしている 彦星と 織女星とが 今夜逢っているらしい D 星田妙見宮(交野市星田) 七夕まつり 境内では、湯立て神事(お釜の熱湯を笹の葉で廻りに振りまいて穢れを払う)が行われていました。 万葉歌碑 【歌】 多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流 (大伴家持 P-3900) 【読み下し文】 織女し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る 【口語訳】 織女(たなばた)が 舟をこぎ出したらしい (まそ鏡) 清い月夜に 雲が立ち渡っている 中国での七夕伝説は、織女が牽牛を訪う形式であるのに対し、万葉歌ではほとんどすべてがその逆になっており、古代の日本の妻問い婚の影響によるとみられています。この歌は数少ない例外の一つ。 なお、「万葉の七夕歌」に関しては、昨年夏にシンポジウムがありその記事を下記のURLに掲載しています。 ↓ https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/673 今回の七夕関連ではありませんが、枚方市内にある犬養孝先生揮毫の歌碑も訪れました。 枚方のさわらび万葉歌碑の前で(毛利さんに撮ってもらいました) 【歌】 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 (志貴皇子 G-1418) 【読み下し文】 石(いは)走る 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出(い)づる春に なりにけるかも 今回お世話になった毛利さんは、地元で幅広い活動をされており参考までにそのホームページのアドレスを載せておきます。 URL http://www.eonet.ne.jp/~s-mouri/ |
Posted by
katakago
at 11:55