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講演会&新年会(万葉の大和路を歩く会) [2014年01月20日(Mon)]
 昨日、「万葉の大和路を歩く会」の講演会(於 奈良県立文化会館)と新年会(於 北京料理 百楽)が開催され出かけて来ました。
 講演会での演者は、歩く会の講師もされている影山尚之先生(武庫川女子大学教授)で、演題は「万葉集 歌のちから、歌ことば」でした。
IMG_5338m.jpg

 講演では、はじめに光明皇后の次の歌を取り上げられて万葉歌の「ひとり」と「ふたり」について話されました。
【歌】 吾背児与 二有見麻世波 幾許香 此零雪之 懽有麻思 (G-1658 冬相聞)
【読み下し文】 我が背子と 二人見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しからまし
【口語訳】 大君(聖武天皇)と 二人で見るのでしたら どんなにかこの降る雪が 嬉しいでしょう
 万葉集中、「ひとり」が72例、「ふたり」が24例あるとのことです。
「ふたり」の用例には、二人ではない一人を不充足な状態として嘆くもの(次の例)と、
 【歌】 行くさには 二人我が見し この崎を ひとり過ぐれば 心悲しも (B-450)
理想的な二人の状態を歓迎するもの(次の例)がみられるようです。
 【歌】 馬買はば 妹徒歩ならむ よしゑやし 石は踏むとも 我は二人行かむ (L-3317)
 一方、「ひとり」の用例は、二人でその行動をしたいのに、一人であるためにそれが出来ないことを嘆く歌(次の例)にみられるようです。
【歌】 妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに 一人し見れば 涙ぐましも (B-449)

 講演では、「『ふたり』共に何かを行うことを前提とし、それが不可能であるとき、萬葉人は『ひとり』という言葉を用いる。すると、そもそも共に在り、『二人』共に行うことが常態であり、そうできない非常事態が『ひとり』何かを行う情況であるということになろう。」、という哲学者の解説も紹介されました(川井博義著『人間存在と愛ーやまとことばの倫理学ー』)。

 
 新年会の会場で挨拶される坂本信幸先生(右は影山先生)
IMG_5342m.jpg

 会場は近鉄奈良駅ビル8階の角部屋で、大変眺めのよい場所でした(写真後方中央には若草山)。中華料理とお酒をいただきながら、40名ほどの参加者全員が一人ひとり”万葉”への思いを語り合いました。参加者の中には、北海道や東京からも来られていました。この会のお世話をされている富田さんの資料によると、犬養孝先生が作成された12のコースをもとに昭和56年に1回目がスタートし、先生が亡くなられてからも継続され今回が428回目にになるそうです(総参加者数は70,874人とのこと)。歌を鑑賞する場合、歌が詠まれた歴史と風土に身を置いてが、先生の教えであったように思います。これからもこのような企画を続けていただければと思います。私は退職後関西で暮らすようになって、この会の行事にはこれまで9回参加していますが、カルチャーの仲間にも参加を呼びかけてゆきたいと思っています。
Posted by katakago at 16:56
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