CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2013年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
第46回万葉の明日香路に月を観る会 [2013年09月22日(Sun)]
 昨日(9/21)は午後行われた市 大樹氏の受賞記念講演(於 岸和田市)を聴講した後、明日香村に移動し午後5時からの観月会に参加しました。
 明日香村では彼岸花祭りが開催中(9/21・22)でした。
 写真は橘寺
IMG_4372m.jpg

 観月会の行事は、橘寺と道路をはさんで向かい側の史跡川原寺跡の特設ステージで行われました。  
 恒例の八雲琴(二弦)の演奏(演奏は保存会と聖徳中学の皆さん)
IMG_2131m.jpg

 講演は、長谷川透氏(明日香村教育委員会文化財課技師)と、坂本信幸先生(高岡市立万葉歴史館館長)が行われました。
 長谷川氏は、現在氏が担当で発掘調査中の飛鳥寺西方遺跡について話されました。『日本書紀』には、皇極三年(644)条に、「中臣鎌子連、(中略) 偶に中大兄に、法興寺の槻樹の下に、打毬の侶に預りて、・・・」をはじめ、大化の改新直後(孝徳即位前紀645年)の「大槻樹の下に群臣を召集めて盟はしめたまふ」、天武元年(672年、壬申の乱)の「飛鳥寺の西の槻の下に據りて営を為す」など、飛鳥寺西には神聖な槻の木があり人々が集う空間があったと考えられています。今回の発掘調査で、入鹿の首塚から西へ120m、南北200mの石敷広場(砂利敷・石敷、石組溝・土管暗渠)が見つかったとのことです(7世紀半ばから後半の土器と瓦も出土)。今後は、槻(ケヤキ)の根の跡の発見が待たれます。

 坂本信幸先生の講演
IMG_2142m.jpg

 坂本先生の講演は、「大伴坂上郎女と月の歌」と題して、ちょうど日も落ちて暗くなり始めた頃から行われました(途中で月の出が期待されましたが、あいにく講演中には見れませんでした)。
 平安朝には中国思想の影響で月を見ることは忌む風習があったのに対し、万葉時代は、月を見ることについての禁忌はなく見るべきもので、月を詠む多くの歌が多く残されています。
 大伴坂上郎女は、甥の大伴家持の歌の手ほどきをしていた例として、初月(みかづき)を詠む次の歌が紹介されました(初月を題に歌の指導)。
【歌】 月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも (大伴坂上郎女 E-993)
【歌】 振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも (大伴家持 E-994)
 坂上郎女の歌の「眉根掻き」は、当時、眉がかゆいのは恋人に逢える前兆と信じられ、また、かゆくなくても自分から眉を掻けば、恋人が逢いに来てくれると考えて掻くこともあったようです(この歌の「掻き」には黛で描く「描き」が掛けられている)。家持の歌は、歌の配列順から天平五年(733)の年代が記された最も早い作とみられています(15, 6歳の頃)。


 昨年は台風のため中止になりましたが、一昨年の様子は下記のURLで
         ↓
 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/166
Posted by katakago at 17:31
第26回濱田青陵賞受賞記念講演会(市 大樹氏) [2013年09月22日(Sun)]
 濱田青陵賞は、岸和田市にゆかりの考古学者濱田耕作(号 青陵)博士の業績を称えるとともに、考古学の研究で業績のあった新進の研究者や団体を表彰するもので、1988年に岸和田市と朝日新聞社によって創設されたものです。今回の受賞者市 大樹氏(大阪大学准教授、42歳)の受賞理由は、「考古学と木簡などの研究を重ね、古代国家の研究を大きく前進させた」となっています。市氏は、2009年に阪大に移られるまでは、奈良国立文化財研究所(飛鳥・藤原宮跡発掘調査部)に勤務され、出土して間もない多数の木簡の整理研究に従事されてこられました。
 市氏については、これまで二度講演を聴く機会がありました。一回目は朝日カルチャーの阪大中之島講座(木簡を読む ー 飛鳥時代の木簡 ー、2010.1.19,26))、二回目は今年(5/27)の立命館大阪プロムナードセミナー「災害・戦災の歴史 − その教訓に学ぶ」(日本古代の災異と復興)です。そこであらためて今回の受賞講演も聴講したく岸和田市まで出かけました(9/21)。

 記念講演をされる市氏(演題は「木簡から日本古代国家の形成過程を考える」)
IMG_4368s.jpg

 講演の中で、「木簡研究の醍醐味は、木簡の出土した遺跡・遺構との関わりの中で、木簡の資料的価値を最大限に引き出し、既存の文献資料と照らし合わせることによって、新たな史実を掘り起こすことにある」と述べられていました。以下講演の中で興味のあった個所のメモを資料も参考にして残しておきます。
 7世紀の日本は朝鮮半島から多大な影響を受けていたが、7世紀末に藤原不比等が台頭すると、新羅路線から唐風化路線への転換が図られ、701年には大宝律令が制定され、約30年ぶりに遣唐使も任命され、最新の中国制度を直接摂取しようとする志向が強くなった(朝鮮半島方式から中国同時代方式へ)。こうした転換は、木簡からもうかがえるとのことでした。その一例として、701年の大宝令施行をうけて、コホリの表記は朝鮮系の「評」から中国系の「郡」に一斉に切り替えられたことが、出土木簡の調査から明らかになった。
 日本古代国家の地方行政区分は、クニ ー コホリ ー サトという重層構造をとっていましたが、藤原宮跡から出土した木簡には「己亥年十月上捄国阿波評松里」と書かれていました。その己亥年は699年にあたる(この年に「評」字が使われていたことを示す同時代資料)。その後、藤原宮跡からは、700年に相当する「庚子年」の荷札木簡も出土し、現在まで多数の木簡が出土しているが、地方行政区分のコホリは、700年までは「評」、701年以降は「郡」で例外は全くないとのことです。『日本書紀』の改新の詔(646年に出された)の記述は、大宝令の知識にもとづいて「郡」と表記されたことが明らかになり、郡評論争に完全に決着が付けられた(以上、市 大樹著『飛鳥の木簡ー古代史の新たな解明』より)。


 受賞講演の後、記念シンポジウム「解き明かされる国家の原像」が行われることになっていましたが、夕方に明日香村で行われるイベントに参加するため途中退席しました。
IMG_4360s.jpg

 後ほど、配布資料でパネリストの方々の資料を見ましたが、そのうちのお一人の千田 稔氏(奈良県立図書情報館館長)の、「国家という幻像 『古事記』から読む」は興味深い内容で、あらためて聴く機会があればと思いました。
Posted by katakago at 15:20
プロフィール

katakagoさんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/index2_0.xml