CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2013年02月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
記紀・万葉リレートーク8(万葉集に詠われる遙か紀伊国へ至る道〜紀路) [2013年02月10日(Sun)]
 奈良県では平成24年の古事記撰上1300年を記念して、「記紀・万葉プロジェクト」が立ちあげられ、さまざまな関連行事が企画実施されています。このプロジェクトは、日本書紀完成1300年に当たる平成32に年に向けた9年間にわたる事業とのことです。この一環の行事として昨年10月から県内各地で「記紀・万葉リレートーク」が開催されています。昨日(2/9)第8回目が高取町で開催され出かけて来ました。

 今回は地元高取町在住の和田萃先生(京都教育大学名誉教授)が、「万葉集に詠われる遙か紀伊国へ至る道〜紀路」と題して講演されました。
IMG_2864m.jpg
 講演では和田先生が『古代の地方史III』で作成された地図をもとに7世紀の紀路について話されました(時代によってルートは少し異なるようですが)。
 神亀元年(724)十月に聖武天皇が紀伊国に行幸された時に、お供の人に贈るために、笠朝臣金村がある婦人に頼まれて作ったと題詞に書かれている次の歌に、紀路の地名が詠まれています。長歌の初めの部分を載せておきます(下線は地名)
【歌】 大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出でて行きし 愛し夫は 天飛ぶや の道より 玉だすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀伊道に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は もみち葉の 散り飛ぶ見つつ むつましみ 我は思はず 草枕 旅を宜しと 思ひつつ 君はあるらむと ・・・・・(C-543)
 この歌にあるように、当時の紀路の出発点は軽(現在の近鉄橿原神宮前駅近く)であったと考えられています(古くから軽の市があった所)。


 講演終了後、午後から高取町観光ボランティアガイドの会主催の「記紀・万葉ウォーク」が予定されておりこれにも参加しました。
 今回のウォーキングは次のルートです(約4.5km)。会場の高取町リベルテホール → 森カシ谷遺跡 → 束明神古墳 → 岡宮天皇陵 → 紀の辻 → 薩摩遺跡 → 市尾墓山古墳 → 市尾宮塚古墳 → 近鉄市尾駅

 束明神古墳でボランティアガイドさんから説明していただきました。
IMG_2873m.jpg
 ガイドさんが手にした石槨の写真(橿原考古学研究所付属博物館の前庭に実物大の展示があるとのこと)。
IMG_2880m.jpg
 墳丘は八角形墳、石室は横口式石槨、棺は漆塗木棺で、石槨の変遷・棺の構造・須恵器などから築造年代は7世紀後半と考えられています。被葬者は草壁皇子(天武天皇の皇子)である可能性が大きいと言われています。近くの岡宮天皇陵(今回も立ち寄った)は宮内庁指定の陵墓でこれが草壁皇子の眞弓丘陵とされていますが(草壁皇子は即位することなく亡くなったが岡宮天皇と追尊された)。

 市尾墓山古墳(国指定史跡)
IMG_2892m.jpg
 墳丘の長さ約70m、高さ10mの前方後円墳で、周濠と外堤をあわせると全長100mの規模。後円部から横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されています。出土遺物(武器・馬具・玉類・土器など)などから築造年代は6世紀初めごろと考えられています(当時この地域で権力をもっていた豪族の墓とみられている)。
 石室と石棺の解説プレート(高取町教育委員会)
IMG_2893m.jpg

 市尾宮塚古墳(国指定史跡)
IMG_2905m.jpg
 墳丘は全長44m、後円部の直径は23m、高さは7mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室があり、外から中の石棺(凝灰岩製のくりぬきの家形石棺)を見ることができました。6世紀中ごろの築造と見られています。
 写真は石室内の家形石棺
IMG_2900m.jpg

Posted by katakago at 10:29
プロフィール

katakagoさんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/index2_0.xml