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橘寺で万葉歌碑の除幕式 [2012年11月26日(Mon)]
 昨日(11/25)明日香村の橘寺で万葉歌碑の除幕式があり出かけて来ました。主催は「飛鳥古京を守る会 事後処理委員会」で今回が最後の行事となりました。なお、この会は40年に渡る役割を終え、昨年より「飛鳥を愛する会」として再出発しています。

 この橘の地は聖徳太子の誕生地とされ、橘寺は聖徳太子建立の七ケ大寺の一つとされています。
 川原寺前から撮った橘寺 
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 境内のイチョウが鮮やかに紅葉していました。万葉歌では”黄葉・黄変”(もみつ)と表記されますが(11/22の記事参照)。
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 山崎馨会長の挨拶の後、橘寺住職・明日香村村長ほか来賓らにより歌碑の序幕が行われました。(歌碑の製作は石工の左野勝司さん)
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 『万葉集』に一首だけ「橘の寺」が出て来ます(巻十六)。その歌が選ばれました。
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【歌】 橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可 (O-3822)
【読み下し】 橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放りは 髪上げつらむか
【口語訳】 橘寺の長屋に私が連れて行って共寝をした放り髪の少女は、もう髪を結い上げたであろうかなあ。 (『萬葉集全歌講義』より)
 この歌の「童女放(うなゐはな)り」については、当時女子は14,5歳頃まで頭髪を伸びるままにしており、ここはその髪型でその年齢の少女を呼んだもので、今の時代なら犯罪に当たるかもしれませんが、当時も、「俗人が寺の僧坊で女と共寝をするなどあり得ない」と考えた人物がいました。『万葉集』では、この歌の後に次のような左注と歌が続いています(以下、『萬葉集全歌講義』より)。
 右の歌について、椎野連長年が診断して言うには、そもそも寺院は、俗人の寝る所ではない。 また若い女性を、「童女放り」という。第四句に「童女放り」と言っているから、第五句に重ねて「髪を結いあげただろうか」などと言うべきではないのではないか、と言う。修正して言うには、
【歌】 橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪挙都良武香 (O‐3823)
【読み下し】 橘の 照れる長屋に 我が率寝し 童女放りに 髪上げつらむか
【口語訳】 橘の実の照っている長屋に、私が連れて行って共寝をした少女は、今は放り髪に結い上げたであろうかなあ。

 前の歌(3822)について『万葉集全釈』では、「全く民謡風の作品である。野趣横溢。寺の神聖を冒涜するなどと、憤慨するのは野暮である。こんなことは随分あったであらう。純粋な直情径行的作品」と評されています。
 なお、これらの歌が収められた巻十六は、歌の背景となる物語が題詞や左注に詳しく書かれたものや、笑いと機知の強調された宴席歌、物の名が詠み込まれた技巧的な歌等が集められた異色の巻です。

 この日は同時に会津八一の歌碑の序幕も行われました(橘寺境内)。
 くろごま の あさ の あがき に ふませ たる
 をか の くさね と なづさひ ぞ こし
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Posted by katakago at 11:13
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